「母性の二面性」について:「母性」は「放射性」と同様の明確な意味付けや定義付けがあるのか?

先行するまとめ『恐怖、心痛、大きな怒りすべてに愛という根があった:「チェルノブイリの雲の下で」と、詩「彼ら笑う」、「アシュリー事件」』http://togetter.com/li/302885 の後半を取りあえずこちらに再まとめしました。 ●追加しました。⇒「チンパンジーの子育ては消極的介入、現代人は積極的介入へ:過去のツイートから」 ●追加しました。⇒「渡邉琢氏の、信田さよ子『共依存』の書評のブログ記事:「共依存」~ケアを通しての抑圧の悲哀と隠微さhttp://d.hatena.ne.jp/takutchi/20120927/1348750111 に関するツイート」 続きを読む
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 ●渡邉琢氏の、信田さよ子『共依存』の書評のブログ記事:「共依存」~ケアを通しての抑圧の悲哀と隠微さhttp://d.hatena.ne.jp/takutchi/20120927/1348750111 に関するツイート


satoopen @satoopen

「「母なるもの」の微妙な加害性について、実に見事に、女性へのシンパシーあふれる筆致で、描いている」 |信田さよ子『共依存』の書評です。 ■「共依存」~ケアを通しての抑圧の悲哀と隠微さ http://t.co/EBa67oQe

2012-09-28 07:21:52
ひじじきき @hijijikiki

「「共依存」という概念をもっと広げて考える。そしてこの言葉の中に、愛情とか奉仕といった美名を越えて、ケアという行為によって相手を所有する快感、さらには人間関係の上下を操ろうとする力・権力の行使」「共依存」~ケアを通しての抑圧の悲哀と隠微さhttp://t.co/aoo9qfaz

2012-09-28 13:07:21
ひじじきき @hijijikiki

「一つの、この社会を生き延びるためのスキルだ、とみている。そして、女性に限らず、この社会の中で組織の一員となっている者は多かれ少なかれ、こうした隠微な方法を行使しているはずだ」「共依存」~ケアを通しての抑圧の悲哀と隠微さhttp://t.co/aoo9qfaz

2012-09-28 13:12:32
ひじじきき @hijijikiki

「(共依存)を用いて生きていかないといけない局面は‥あるだろう。しかし、それがより弱者に対して用いられるとき‥その者たちに対する抑圧・加害につながっていることは気づかれないといけない」「共依存」~ケアを通しての抑圧の悲哀と隠微さhttp://t.co/aoo9qfaz

2012-09-28 19:07:37
ひじじきき @hijijikiki

ご紹介多謝(続く)。RT @satoopen 「「母なるもの」の微妙な加害性について、実に見事に、女性へのシンパシーあふれる筆致で、描いている」 |信田さよ子『共依存』の書評です。 ■「共依存」~ケアを通しての抑圧の悲哀と隠微さ http://t.co/aoo9qfaz

2012-09-28 22:56:35
ひじじきき @hijijikiki

.@satoopen続1)「母なるもの」、「ケアを通しての抑圧」という言葉から、まとめhttp://t.co/MYmwV70Sの詩:石川逸子「彼ら笑う」を思い出しました。この詩でもケアを通しての抑圧と社会=彼ら、の関係を指摘していると思います。以下宛先無しでツイします。

2012-09-28 22:57:56
ひじじきき @hijijikiki

続2)この社会との関係は、書評で「共依存という支配は、その中を生き延びていくための有効なスキルの集積でもある」http://t.co/aoo9qfazと、スキル=生きるための方法・技術、とされている。それは生きてゆくために必要なものである。

2012-09-28 23:00:20
ひじじきき @hijijikiki

続3)しかし他方では、それがより弱い立場に向けられるときに生ずる抑圧・加害が問題となる。という、上記の書評での、共依存の社会的役割や位置付け、問題点の解析には同感するところが多い。その上で、例えば共依存について。

2012-09-28 23:00:57
ひじじきき @hijijikiki

続4)共依存とは「‥妻のケアが夫の依存症を維持させてしまっている。そして妻も、この人は私がいなければだめなのだという思いで、その関係の中にはまりこ」むこととある。これのどこが問題なのか?

2012-09-28 23:01:45
ひじじきき @hijijikiki

続5)「依存症」は治療すべきものであり、共依存が「依存症」を維持することが問題であることは理解しやすい。しかし「依存症」が単なる依存ならば、問題にならないのでは。この社会では、人は一人では生存できず、その意味で他人に依存して生きている。

2012-09-28 23:03:01
ひじじきき @hijijikiki

続6)相互依存・共依存が“悪”であるとしたら、それは依存の内容の問題であり、依存それ自体ではないのでは。「支配」に関しても同様。制御と支配の間は連続しており、明確な線引きはできないだろう。自分を制御できないことは一般に“悪”とされている。

2012-09-28 23:03:44
ひじじきき @hijijikiki

続7)自分の延長である自分の属する集団の中で、期待される制御ができないことも、一般的には“悪”とされている。では何が問題なのだろうか?まとめhttp://t.co/MYmwV70Sに書いた、

2012-09-28 23:04:25
ひじじきき @hijijikiki

続8)主体性α「侵入・侵害によって受ける苦痛を防ぐ、妨げられずに快を得るための権利」が主体性β「制御できることを価値として、制御できないこと・受動的であることを負の価値に割り当てること」により侵害されることではないだろうか。

2012-09-28 23:04:58
ひじじきき @hijijikiki

続9)この社会は主体性βを多くの場合に規範としている。主体性αは基本的人権や生存権の基底となっているものである。「ケアをする妻」は主体性βが満たされる条件であり、この社会の規範に沿っている。しかし、それによってケアされる人の主体性αが侵害される場合が問題なのでは。

2012-09-28 23:05:54
ひじじきき @hijijikiki

続10)展開が不十分でまとまりませんが、今日はこの辺で。

2012-09-28 23:06:34
リンク はてなダイアリー 「共依存」〜ケアを通しての抑圧の悲哀と隠微さ - 障害・介助・ベーシックインカム 前号で、上野千鶴子さんの『ケアの社会学』を紹介した。ケアを家族の束縛から解放させ、その社会化をよ..
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