加藤哲郎さん講演「反原爆と反原発の間」まとめ

◇「全ての原発の終焉をめざして」講演会  日時 5月26日(土) 午後1時開場、1時半から5時  於 明治大学リバティタワー 1011教室  【第一部】演題 反原爆と反原発の間  講師 加藤哲郎さん 続きを読む
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ありす @alicewonder113

承前(科学や技術に対する批判精神のない楽天主義者)このような雰囲気は、戦後の科学者・技術者に共通するものだったのではないだろうか。敗戦直後の46年1月に民主主義科学者会議(民科)が発足するが、その名の通り主張は研究者と研究活動の民主化であり、「科学」それ自体の批判は念頭になかった

2012-05-26 22:04:55
ありす @alicewonder113

(承前)民科を追うように49年、首相の所轄下に政府から独立して職務を行う「特別の機関」として、日本学術会議が設立される。そのもとに「原子力利用検討のための委員会」が設けられたのは53年のことだ。 http://t.co/BGrT7iTB

2012-05-26 22:05:54
ありす @alicewonder113

(承前)日本学術会議は、自主・民主・公開の「平和利用3原則」を提案、55年の「原子力基本法」に反映させる。しかしそれは、核兵器と米ソの核戦争戦略、そのもとでの「平和利用」の政治・軍事的な狙いを「平和利用3原則」で隠蔽する意味を持っていたと言わざるをえない。

2012-05-26 22:08:31
ありす @alicewonder113

(承前)「自主」はそもそもアメリカの核兵器と原子力エネルギー戦略のもとにあることで、最初から無意味であった。「公開」はIAEAのウケはともかく、組織的な隠蔽とデマ宣伝というやり口が最初から横行していた。 http://t.co/BGrT7iTB

2012-05-26 22:09:17
ありす @alicewonder113

(承前)そして「民主」が「民主的科学者」の参画を意味していたとすれば、楽天的な「平和利用」の賛美になりかねなかった。 http://t.co/BGrT7iTB

2012-05-26 22:09:42
ありす @alicewonder113

加藤哲郎さんの講演会の資料を読みながら、思いついたところからツイートしてしまったけど、ちょっとここらでお話しの最初の方を紹介します。

2012-05-26 22:15:36
ありす @alicewonder113

加藤哲郎さん(1)去年3月11日はメキシコで日本史の講義をしていた。原発事故が起きて、話そうとしても、英語で出てこない。311以前は、政治学者・社会学者は、原発を語る言葉を持っていなかった。

2012-05-26 22:19:18
ありす @alicewonder113

加藤哲郎さん(2)海外にいたときは、2~3日目頃になると、みんなメルトダウン、メルトダウンと言っていた。メキシコよりも地震の多い日本でなぜ原発造っているのかと聞かれ、答えられなかった。

2012-05-26 22:20:37
ありす @alicewonder113

加藤哲郎さん(3)福一事故の後、世界で反原発は増えたが、日本は世界ランキングで真ん中位、反原発は4分の1。去年ヨーロッパをまわったとき、チェルノブイリを経験した国の人々から「日本は今頃気づいたの?」と言われた。

2012-05-26 22:23:04
ありす @alicewonder113

加藤哲郎さん(4)高木仁三郎によると日本の原発を支えたのは9つの原発神話。①「原子力は無限のエネルギー源」④「原子力は安全」⑤「原子力は安い電力を供給する」⑥「原発は地域振興に寄与する」⑦「原子力はクリーンなエネルギー」(PDF) http://t.co/7So1YxXz

2012-05-26 22:38:07
ありす @alicewonder113

加藤哲郎さん(5)自分の考える10の「原爆・原子力」神話(一部抜粋)⑥科学者の良心で統御可能⑧核抑止、原発潜在的抑止力 http://t.co/7So1YxXz

2012-05-26 22:40:51
ありす @alicewonder113

加藤哲郎さん(6)原発の導入は確かに中曽根がきっかけだったが、それだけではなかった。当時の左翼ー社会党も、共産党も、労組も、「反原爆・親原発」で一致していた。1956年のメーデーには、3つのスローガンの一つがそれだった。

2012-05-26 22:52:05
ありす @alicewonder113

今日の加藤哲郎さんの話に正力松太郎の話がまったく出てこなかったのはどうなのかな。正力はマスコミを通じて相当喧伝したはず。

2012-05-26 22:59:07
ありす @alicewonder113

講演会でもらった資料にある武谷三男の引用がすごすぎる「原子力は悪いように使える代物ではない。必ずいいようにしか使えない代物である。人類が、すべて生の本能を持っている限り、人類絶滅の道具として使用することはあり得ない。道徳の問題としてではなく、ザインとしてそういうことはあり得ない」

2012-05-26 23:02:40
ありす @alicewonder113

武谷三男「科学の限界という考え方が、現在まで進歩的な唯物論者といわれる人の間にもなお残っている」

2012-05-26 23:03:41
ありす @alicewonder113

武谷三男「ソヴェトは科学者に莫大な援助、必要な研究費はいくらでも要求すればとれる、科学者・技術者が優遇されその次が労働者、官吏はかえって悪い待遇、労働の安全性について組合の力はすばらしい、そのことはさまざまなソヴェト抑留者の手記に書かれている。(続

2012-05-26 23:14:40
ありす @alicewonder113

(承前)学問の自由はソ連において真に守られている」いやーすごいなー。これ本気で思ってたんだなぁ。今はここまで何かの体制を信じることってできなさそうだけど、オウムなんかは形を変えたそれってやつか。

2012-05-26 23:17:28
ありす @alicewonder113

こういうの読むと、科学者ってやつは今も昔も…と言いたくなるけど、当時は科学者じゃない左翼もいっぱいいたんだから、別に科学者の問題じゃないか。

2012-05-26 23:18:33
ありす @alicewonder113

加藤哲郎さん(7)アメリカが「共産主義の宣伝活動家たち」への懸念から、日本人の懐柔策を取ったことは確かで、その一つが一時期「ノーモアヒロシマズ」運動を広めた広島市長対策である。彼をMRA(Moral Rearmament 道徳再武装運動)に誘い、スイスとアメリカを旅行させた。

2012-05-26 23:24:24
ありす @alicewonder113

加藤哲郎さん(8)広島市長は懐柔され、1952年には「戦争は人の心の問題」として広島の記念碑に「安らかに眠ってください過ちは繰り返しませんから」と、誰の責任かもわからないような内省的な文を刻ませた。

2012-05-26 23:26:10
ありす @alicewonder113

(3)に書いた世界の反原発割合のランキングがこちらにありました。 http://t.co/ImHBUPr2

2012-05-26 23:31:44
ありす @alicewonder113

加藤哲郎さん(9)このころ米国の記録を見ると「日本人は病的なまでに核兵器に敏感、自分たちが選ばれた犠牲者だと思っている」「日本人は原子力平和利用に熱狂している。原子力にすっかり熱心になり…」と、当時の世相の観察が書かれている。

2012-05-26 23:32:59
ありす @alicewonder113

加藤哲郎さん(10)まぁ今アメリカにしたら、50年前お前らだまされて、勝手に原発いっぱい造ったんであって、後始末は自分たちで勝手にやっとけ、みたいなもんかと。

2012-05-26 23:35:20
ありす @alicewonder113

ところで加藤哲郎さんのホムペはどれもこれも…いや問題は中身とは思いますがね、でも見た感じってものも… http://t.co/ImHBUPr2 http://t.co/FtCU9i11

2012-05-26 23:44:32
ありす @alicewonder113

1970年代の伊方原発訴訟やもんじゅ訴訟で住民側に立って反対運動をした久米三四郎という科学者がいる。「彼は徹底した現場主義で、原発立地の地域住民と講演という形ではなく直接住民の自宅で、「原発とは」を丁寧に説明していた。」 http://t.co/rPzNYoHM

2012-05-26 23:50:32
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