TUF 福島で日常を暮らすために 第2回 ゲスト早野龍五先生
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早野:はい、お子さんだと半年ぐらい、大人だと1年ぐらいで飽和って言葉ですが、ある点で止まります。重要なのは、そのあとで、あるときに食べるのをやめたらどうなるか?という点で、同じような曲線で減っていって、やがて消えていくわけです。
2012-05-28 11:39:50大森:お子さんのほうが速く消えるわけですね。 これは100ベクレルということで100ベクレルを食べ続けると、大人の場合で14000、10ベクレルだったら?
2012-05-28 11:40:18大森:ありがとうございます。私どもは福島にいて、多かれ少なかれ被ばくはしていることはわかっているわけですが、セシウムによる被ばくというのは日本人にとって初めての経験なんでしょうか?
2012-05-28 11:40:43早野:大森さんは何年のお生まれでしょうか? 大森:私は1957年でございます。 早野:大森さんが小学校に入られたころが東京オリンピックのころですね?そのころが日本人の事故前のセシウム被ばくのピークの年でした。 そのころのグラフですが、
2012-05-28 11:41:041960年代から事故の直前まで毎年データがあって、1960年代のころ日本人が毎日だいたい、3,4ベクレルずつ食べていたというのがわかっています。 現在、COOP福島の結果などを見ていると、ちょうどそのころと同じぐらいというのがわかります。
2012-05-28 11:41:46早野:論文ではこういうのがありまして、大人だと思いますが1964年に体内に550ベクレルぐらい、体重1Kgあたりにすると10ベクレルぐらいですね、そのあと段々減ってきたというのがわかっています これは特殊な人ではなくてそのころの日本人全員にこういう値があったということかと思います
2012-05-28 11:43:13大森:実際の自分の内部被曝を計るというと、WBCでという事になると思いますが、WBCで見た場合、例えばチェルノブイリと比べて今の福島の全体量は?
2012-05-28 11:43:27早野:去年の暮あたりから南相馬その他の病院でWBCの統計データが公表されるようになりました。 赤が福島、灰色がチェルノブイリの事故後10年たったあとのWBCの結果から作ったグラフで、体重あたりのセシウム量の分布です
2012-05-28 11:43:47これでみると、チェルノブイリの場合は10年経っても体重1Kgあたり500ベクレルに達するような方がおられるのだけれど、現在南相馬ではかっても、20ベクレル/Kgを超える方が非常に稀である。多くの方は検出されない。
2012-05-28 11:44:42早野:500ベクレルあったとして、どういう理由でそこにあるかによります。 事故で内部被曝を起こして、それが減った結果500になった場合。 事故時には吸わなかったけれど、その後食品から食べてしまった人。 両方の人。
2012-05-28 11:45:45一回の計測ではわからないのですが、2回目をとってみると減ってない方がいる。そういう方は汚染された食品を摂ってしまっていることが想像されます。500ベクレルあったとして預託実効線量に直すと?
2012-05-28 11:46:08早野:1mSv超えているか超えてないか?という話ですが、事故前にはなかったセシウムが体の中にあるわけですから、減らせるのなら減らしたほうがいいのです。
2012-05-28 11:46:51大森:このまま低いまま推移されていく楽観していいのでしょうか? 早野:かならずしもそうではなくてチェルノブイリ周辺では、事故後10年後にあがってしまったという統計があります、これはソ連が崩壊して農民が自由に活動できるようになったため、汚染管理が緩んでしまったという事かと思います
2012-05-28 11:47:30早野:あちこちのモニタリングポストの線量に24時間×365日を掛けると結構な数量になってしまうかと思うのですが、実際にガラスバッジをつけてみると、、大森さんのはいかがですか?
2012-05-28 11:48:39