後漢時代の軍隊の編成と後世への影響

(まとめ途中)
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黒井丸🇺🇦九州歴史研究会 @gokutubusi354

@rudel101 @sweets_street 長史と尉の差ってどのようなものでしょうか?ググってみたけど今一ピンと来ないもので…。宜しかったらお教え下さい。

2012-06-16 14:17:55
お菓子っ子 @sweets_street

属国長史は属国都尉の副官ですね。本来の指揮官は都尉だと思います。都尉は校尉と同格で、守備隊長ですね RT @gokutubusi354: @rudel101 長史と尉の差ってどのようなものでしょうか?ググってみたけど今一ピンと来ないもので…。宜しかったらお教え下さい。

2012-06-16 14:21:12
るーでる@柏葉(※パロディです) @rudel101

@gokutubusi354 @sweets_street 中央での長史というのは、次官あるいは副官といったところですね。

2012-06-16 14:22:47
お菓子っ子 @sweets_street

三公や九卿の長史は事務次官・官房長。武官の長史は参謀長、首席事務官、秘書長と訳しています RT @rudel101: @gokutubusi354 中央での長史というのは、次官あるいは副官といったところですね。

2012-06-16 14:24:59
黒井丸🇺🇦九州歴史研究会 @gokutubusi354

@sweets_street 中郎将って将軍より偉かったり下だったりして上司の官位から所属を見ないと偉さが分からないイメージでしたが、単純に見ても高位なのですね。

2012-06-16 14:26:08
お菓子っ子 @sweets_street

後漢では将軍の次ですね。将軍が滅多に任命されないので、とても偉いです。群雄割拠以降は量産されるようになりますが RT @gokutubusi354 中郎将って将軍より偉かったり下だったりして上司の官位から所属を見ないと偉さが分からないイメージでしたが、単純に見ても高位なのですね。

2012-06-16 14:29:21
るーでる@柏葉(※パロディです) @rudel101

@gokutubusi354 @sweets_street また、中国史における「長史」という官職はかなり曲者でして、例えば隋書列伝第六の高ケイの伝に「九年、晋王広大挙伐隋、以ケイ為元帥長史」とありますが、この場合の元帥は楊広で名目上の司令官と見るのが自然でしょうから、

2012-06-16 14:33:11
黒井丸🇺🇦九州歴史研究会 @gokutubusi354

@sweets_street @rudel101 所属によって文武が違うのは、同じ課長でも製造部と人事部で仕事内容が異なるようなものですか。史書は所属部署無視で書かれる事が多いから注意が必要ですね。

2012-06-16 14:33:37
るーでる@柏葉(※パロディです) @rudel101

@gokutubusi354 @sweets_street 実質的には「元帥長史」が征陳軍最高司令官代理を意味している、と見てもよいでしょう。

2012-06-16 14:34:09
お菓子っ子 @sweets_street

どっちも事務方トップだけど、大臣と将軍の事務方では仕事は違うってことですね RT @gokutubusi354 @rudel101 所属によって文武が違うのは、同じ課長でも製造部と人事部で仕事内容が異なるようなものですか。史書は所属部署無視で書かれる事が多いから注意が必要ですね。

2012-06-16 14:34:52
お菓子っ子 @sweets_street

その場合は「征陳軍司令部総参謀長」といったところですね。参謀長として作戦を取り仕切っていると RT @rudel101: @gokutubusi354 @sweets_street 実質的には「元帥長史」が征陳軍最高司令官代理を意味している、と見てもよいでしょう。

2012-06-16 14:36:27
るーでる@柏葉(※パロディです) @rudel101

@gokutubusi354 @sweets_street それと、その職に就いている人間の能力や家柄、状況も加味したほうが良いかと。同じ職の長史でも事務方の人間の場合もあれば実質的な参謀長の場合もあります。

2012-06-16 14:37:23
黒井丸🇺🇦九州歴史研究会 @gokutubusi354

@rudel101 @sweets_street 大企業の課長代理と、零細企業の課長を比べて「課長の方が偉い!」と言う愚を予防頂いた事に感謝します。

2012-06-16 14:39:35
るーでる@柏葉(※パロディです) @rudel101

@sweets_street @gokutubusi354 う~ん、確かに総参謀長として作戦もやっているのは間違いないんですが、指令も出しているようなんですよね。となると総参謀長というよりは最高司令官代理と言ったほうが適切かと。

2012-06-16 14:40:39
お菓子っ子 @sweets_street

@gokutubusi354 @rudel101 丞相曹操の長史王必は許都の留守司令官を務める大物ですが、当時の量産型雑号将軍の長史あたりが大して偉くないであろうことは、想像に難くないと思います

2012-06-16 14:42:25
お菓子っ子 @sweets_street

@rudel101 @gokutubusi354 南北朝以降は参謀であるはずの参軍の資格で兵を指揮する人も珍しくないので、「当時は参謀の肩書きで兵を指揮することもあった」ぐらいで良いのではないでしょうか

2012-06-16 14:45:06
黒井丸🇺🇦九州歴史研究会 @gokutubusi354

@sweets_street @rudel101 なるほどー。相当なキャリアのある人と無名人では役職は同名でも扱いは雲泥の差があるから、経歴と状況などから推測する必要があるのですね…調べるのが大変そうです。orz戦闘力みたいな偉さの数値が見えればいいのに…。

2012-06-16 14:51:37
るーでる@柏葉(※パロディです) @rudel101

@sweets_street @gokutubusi354 それでも良いと思うのですが、この場合、行軍元帥楊広(帝紀第三煬帝上に「八年冬、大挙伐陳、以上為行軍元帥」)がいて、本来の指揮権はこちらにあるので、現代語に無理やり訳すと、代理になるかなぁ、と。

2012-06-16 14:52:57
るーでる@柏葉(※パロディです) @rudel101

@sweets_street @gokutubusi354 ただ、総参謀長と訳すことに反対ではありません。状況を考えると、私は総司令官代理と訳したが適切と考えている、ということです。

2012-06-16 14:54:10
お菓子っ子 @sweets_street

@gokutubusi354 @rudel101 上司の偉さと本人の経歴を辿れば推測は難しくないかもと思います。例えば諸葛亮の長史楊儀は、蜀の全軍を指揮する諸葛亮の軍務を取り仕切っています。そして、かつては大臣格の尚書を務めた経歴があり、現在は将軍を兼任。偉いのが分かりますね

2012-06-16 14:55:12
お菓子っ子 @sweets_street

@rudel101 @gokutubusi354 本来の肩書きにこだわるか、実質的な立場にこだわるかでしょうね。先の戦争の日本軍は「司令官はお飾りで、参謀が全部仕切る」という例が多かったのですが、こういう場合は参謀と呼ぶのが適当かと。名目上の指揮権と責任は楊広にあるわけですし

2012-06-16 14:59:05
るーでる@柏葉(※パロディです) @rudel101

@sweets_street @gokutubusi354 前職が何だったか、というのは一つのポイントですね。

2012-06-16 14:59:11
るーでる@柏葉(※パロディです) @rudel101

@sweets_street @gokutubusi354 確かに本来の肩書きで訳すとなれば総参謀長でしょう。高ケイの閲歴や能力からも「総参謀長」というのは違和感がない。しかし私は実質的な立場で訳すほうを選びたいですね。特に当時は参謀が制度的に確立していたわけではありませんから。

2012-06-16 15:05:08
お菓子っ子 @sweets_street

@rudel101 @gokutubusi354 長史というのは、本当に立場次第で実質的な役割が変わるから難しいですね。丞相長史でも曹操と離れて帝都許昌の防衛軍を指揮した王必と、諸葛亮に随行して兵站や人事を取り仕切った楊儀ではだいぶ違いますし

2012-06-16 15:09:12
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