〈主体〉のゆくえ
- sunamajiri
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このように実体を考えると実存がやばくなる。具体的には老年のことを考え、老いが主題のプラトンの『国家』なんか再読しはじめたからこんななるのだろう。(・_・;
2012-06-22 02:34:08ここの所寝ていなかったから久々に半日寝れたよ。そのかわり体調が限界で仕事はおやすみしたが。@nakagawasun
2012-06-22 05:31:45ツイッターでおかしくなるのではなく、私自身はブレがないのだけど、生徒とかにどう分からせるか、となるとつい悩んでしまう。わからない人が世の中にいるってことだからね。@nakagawasun
2012-06-22 05:34:20しかしそれこそ國分的スピノザにならい、わからない奴を一々指導してやる必要がないと割り切ればイイのだが、生徒だと切り捨てられないのがつらいのよねー。@nakagawasun
2012-06-22 05:34:31分かる人が、分からない人を切り捨てられれば、個人的には穏やかな日常が送れるのだが、そうやって切り捨てた途端に、一般社会では批判にさらされるだろうし、授業だと職務放棄になってしまう。これが最大のストレスだ。(・_・;)
2012-06-22 05:43:47纏めれば、実体を考えると、物をめぐる日常がめんどくさくなって、実存=生活がおぼつかなくなってしまうのだが、この原因は実体が分からない人に、どう分からせるかというストレスなんだと思うな、
2012-06-22 05:49:47やはり。その結果、実体を踏まえてる人だけがストレスをかかえ、実存をやばくされてしまう。昨日はまさしく、そんな感じだって、ついに疲れて寝込んでしまったぞ(その前が不眠症だったので)。
2012-06-22 05:50:28攝津氏の吉本隆明の原生的疎外(知による疎外)が、非知→死の欲動なら、この知ってる人間が、知らない人間に、指導することが不可能で、へたすりゃ殺される、と思えてしまう、分からない奴に分かる奴が骨までしゃぶられる。そういうのは私は嫌だww(^-^)/
2012-06-22 05:52:10それを國分的スピノザは、実体によって生じる懐疑者が自動的に学ぶまで、指導を放棄してしまうのだが、たぶん必要なのは、知らないフリ、分からないフリ、が得策ということだろうな。しかし、バカのフリは真逆。馬鹿正直に哲学の話をするのがバカなのだろうが、それだと逆効果ww
2012-06-22 05:56:18http://t.co/uXROZnB2 摂津氏の日本のポストモダン分析は、主体性を奪う詐術を明らかにする試みに見えましたが、中川郁代さんとの対話では、原発への無関心や、無力な貧困層という、弱者の主体性が被支配となる、詐術だったのではないか、と発展しました。
2012-06-22 06:18:41http://t.co/uXROZnB2 日本で今何が現象しているのか、ということを考えるときに、日本的ポストモダン(バブル時代に流行った高度消費理論、言語哲学など)が、結果的に、いかにその後の日本に、主体性を奪われた弱者を生み出したのか、という分析をしていたことになるようです。
2012-06-22 06:22:17@sunamajiri ちなみにですね、私も分からないと白状したいです。言語に地平が。要するに、トシのせいにしてはいけない話で。実体とか実在が、おいそれと使えなくなって、終いに使えそうになくなりそうな感じです。
2012-06-22 06:44:21@sunamajiri 37分前のツイートで私との"対話"であるなどと畏れ多くて恐縮します。おっそろしー。だけど、私が放っておくわけにいかない、と痛切に思うのは、一般的にいわれる"無関心"という病態とそれが音もなくじわりじわりと蝕む過程、なぜそうなのか。ほったらかし、自由奔放
2012-06-22 07:01:47@sunamajiri とは違う、病んでいる、あの感じ、そのことが、なんでそうゆうことになったのか、きっと今でもそうだとも言える、そうゆうの、なんだろうな、とそれは気がつきました。
2012-06-22 07:05:04@sunamajiri 話が長くなってすいませんが。自分のことを相対化して、その私が対してコレは病態だというところを抽象をしてこうゆうこと、と簡潔にしたいけどなかなかできないです。
2012-06-22 07:19:25哲学の概念で不明になるようでしたら、普通に西欧哲学の解説書をお読みになるのがいいと思います。それをいきなり現代思想から始めたら頭がグラグラになるのは無理からぬことです。(主体性どころか)脈絡を奪われるのですから、私はそれで何人も発病した人を知っています。@nakagawasun
2012-06-22 07:48:47補足すれば、『監獄の誕生』のフーコーの課題は「魂」、但し唯物論的な実在としての魂である。彼が「魂」という用語を皮肉に選択したのは間違いない。身体実践=規律・訓練の結果(効果)として「魂」が生産されるというのが彼の論点である。
2012-06-22 10:03:53彼は、指示対象から遊離した記号、実体的階級と結び付かない政治的言説を批判している、というより、嘲笑している。(柄谷行人「表象と反復)ファルスとしての日本政治 http://t.co/4Er99Pgg
2012-06-26 11:53:33「“中”以下の人がこれからどうなっていくか」を ひとつ、主眼にして、 生きてる今を考え、それを広げて 自分のやってることに関連づけるんです。 そこになんだか、 ほんとうのことが 隠れているような気がするんです。
2012-06-27 11:06:56