誤解されてる太閤検地

まとめさしていただきました。
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MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

続きを書こうとしたら、ネタ本がどこかに埋まってしまった。無念。見つかったらまたツイートします。というより、あの本が行方不明なのはかなりまずい。困った。

2012-07-02 00:18:19
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

太閤検地の石高の意味については、中口久夫『太閤検地と徴租法』(清文堂、2012年)の第一章「二 石高の擬似制」に記述がある。詳細はややこしいので省くが、貞享2年(1685)には、もう幕府内で石高の意味がわからなくなって、当時の収穫高だったのであろう、という推測がなされている。

2012-07-02 00:32:38
とりん(・と・) @trinh_JP

これは豊臣政権との人的連続性の断絶が原因でしょうか? @kurmacf 貞享2年(1685)には、もう幕府内で石高の意味がわからなくなって

2012-07-02 00:36:07
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

これを中口氏は、「一世代後の徴税担当者が怪しんで実務上の経験から独自の仮説を試み出すのは至極当然な成行きと云うべき」「これは石高=生産高説の嚆矢であろう」と位置づけている。中口氏によれば、享保期には石高=生産高説は幕府代官所の中で通説化していったという。極めて重要な指摘である。

2012-07-02 00:36:10
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

.@trinh_JP 世代差、時間の経過が要因だと思います。実は、1700年前後に意味が分からなくなったものがもうひとつあります。それが兵農分離です。財政困窮を目の当たりにした学者が、中世を兵農未分離社会と決めつけて、そのやり方に戻せば財政は健全化すると唱え出すのがこの時期です。

2012-07-02 00:39:12
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

さて太閤検地=生産高把握が目的ではなく、役賦課のための基準値設定が目的である、となると重要な問題がもうひとつ出てきます。それは、戦国大名検地とどう違うのか?という問題です。

2012-07-02 00:46:45
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

実はこの問題は、太閤検地論争が盛んだった時期から提示されていて、古い時代の研究者から、「最近の戦国時代研究は検地、検地といっているが、荘園領主だって検注をやっているじゃないか(どう違うんだ?)」という疑問が寄せられていました。この疑問、正鵠を射たものでした。

2012-07-02 00:48:46
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

通説では、太閤検地=生産高把握・丈量検地・石高制、戦国大名検地=在地不掌握・指出検地・貫高制とされています。この通説も、かなり根強い。

2012-07-02 00:50:50
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

しかしここにまず誤解があります。すべての戦国大名が貫高制を採用していたわけではありません。北条・武田・今川・毛利といった著名な大名が貫高を採用しているにすぎません。石高制を採用している大名もあります。ざっくりと苅高制(稲で何把分か)を採用している大名もいます。ばらばらです。

2012-07-02 00:52:57
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

貫高制を採用している大名も、新規に占領した領国が石高制であれば、その場所では石高制を採用します。ようは、銭建てか米建てかの違い、というだけ。

2012-07-02 00:53:47
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

そして最大の問題は、「指出検地」なるものは誤った概念用語である、ということです。「指出」と「検地」はまったく別物だからです。

2012-07-02 00:54:38
とりん(・と・) @trinh_JP

@kurmacf 意外と常識的基本的な事柄についての知識が世代差によってあっさりと不明になるというのは当たり前と言えば当たり前ですが、面白いですね。

2012-07-02 00:56:32
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

「指出」というのは、領主が交代した際に、村落側から今まで賦課されていた税がいくらだったか、先例を新領主に提出する行為をさします。これをしないと、どんな増税が襲ってくるかわかりません。領主と村落の間で、いくら税を賦課するかを定める際に行われる重要な手続きです。

2012-07-02 00:56:40
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

これに対し、検地は当然土地の価値の再判定を伴う行為です。そして北条氏の事例を見る限り、検地役人が実際に現地に行って検地を行っています。「指出検地」とはとても呼べません。

2012-07-02 00:57:57
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

北条氏では代替わり検地(当主の交代に伴う一斉検地)というものが行われていますが、これを免除した時があります。その際には、今は検地を行う余裕がない、そこでその代わりに一律増税をする、ただし検地による増税よりは低いのだから不満に思わないように、というような文書が村落に出されています。

2012-07-02 00:59:56
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

したがって、戦国大名検地と太閤検地をわけて考える必然性は見出しがたい、というのが現状での僕の結論です。もちろん、太閤検地の規模がすさまじいものであり、かつ最終的に日本全国の石高(役賦課基準高)を定めた、ことは戦国大名検地とは比べものにはなりません。

2012-07-02 01:01:46
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

また、戦国大名の場合、政策的に検地を行うよりも、所領相論が発生したから、実態を把握するために検地をする傾向もあります(公事検地論、ただし大名による)。ようするに、全領国を検地しようとはしなかったことは確かです。村高は、指出でも把握出来ますから、基本的にはそれで十分なのです。

2012-07-02 01:06:30
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

特に国衆領に手を出そうという発想は、戦国大名にはまったくありませんでした。これは、豊臣政権が大名領にも検地を実施する指向性を有していたのとは完全に異なります。ただし豊臣政権の場合も、大名領検地は、大名が自力で検地を行えないと判断した場合が基本とみたほうが良いでしょう。

2012-07-02 01:10:23
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

戦国大名は、国衆領については申告高に基づいて役を懸ける。豊臣政権は、大名領にも検地を行う可能性があり、それを踏まえて役を懸ける。この点は大きな違いといってよいと思います。ただし太閤検地の大名領検地には、大名が自力で行えない場合、という政策補助的な側面があったことも軽視できません。

2012-07-02 01:12:44
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

こんなとこかな。検地の問題については、もう少し掘り下げる余地があるので、気が向いたらいずれまた続きをします。

2012-07-02 01:14:17
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

@trinh_JP そうですね。大体同じくらいの時期に戦国時代のあり方がわからなくなるので、その時代に生きた人間がみな死んでしまって、しばらく経つとこういう事態が起こる、ということなのでしょう。

2012-07-02 01:19:35
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

あ、相良氏の検地の話は、『中世政治史の研究』(日本史史料研究会)に載せた論文の一部で述べています。興味のある方はご参照ください。1000ページ越えで5250円と大変お安いです(笑)真田のほうは、そのうちどこかでまとめようと思っています。

2012-07-02 02:08:22
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

@manriki 幕府のほうで、石高の増加分を把握しようという意識はなかったものと思います。

2012-07-02 02:27:49
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

@ugata_noto 正確にその年の収穫を実測するには、収穫日に村を訪れて検査するしかありません。これ、どう考えても実施不可能な話です。

2012-07-02 02:29:31
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