民衆知の可能性―「衆愚」とは何か?

自分のための備忘録。暫定的なまとめです。
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廣田鉄斎 @hirotatessai

「唯一自由が存在するのは、政治独特の中間的空間においてだけなのである。私たちはこの自由から逃げて歴史の『必然性』に走る。まさに愚の骨頂」

2012-07-10 18:45:43
廣田鉄斎 @hirotatessai

「政治の意味を問う疑問に対する答はあまりにも単純で断定的なので、その他の答はすべてまったく的外れのように思われそうだ。その答とは、『政治の意味は自由である』というものだ」

2012-07-10 18:46:17
廣田鉄斎 @hirotatessai

「政治の意味とは、以下の通りとなる。すなわち、自由な人間たちが、強制も暴力も互いの支配もなく、平等者中の平等者として、相互に交流することができる・・・互いに語り合い説得し合って自分たちのすべての問題を処理することができるということである」

2012-07-10 18:46:38
廣田鉄斎 @hirotatessai

「したがって『政治』の中心にあるのは自由ということになり、それによって自由は、消極的な形では、支配されることも支配することもない状態として理解され、積極的な形では、それを創出できるのは人間だけであり、しかもその中では一人ひとりの人間が平等な仲間たちの間を動き回る空間として...

2012-07-10 18:47:41
廣田鉄斎 @hirotatessai

...理解されるのである。私と平等な者たちが存在しないなら、自由は存在しない。それだからこそ他人を支配する・・・人間は、・・・ほんの僅かですら彼ら(支配されている人々)よりも自由な人間ではないのだ」

2012-07-10 18:48:00
廣田鉄斎 @hirotatessai

「命令することしか知らない暴君は、自分自身が彼ら(支配されている人々)と同じ境遇にあることに気づく。彼が語るためには、自分自身と対等な他者を必要とするだろう。自由は・・・最良の者たちが、平等者中の平等者として互いに交流する領域を必要とするのである」

2012-07-10 18:48:23
廣田鉄斎 @hirotatessai

「必然=必要は・・・はっきり言って政治とは無関係である。実際、政治は物質的必要と身体的獣性の世界が終わるところに始まるのだ。そのようなものとして政治が実在した時期と地域はあまりにも希で、歴史的に言えば、それを認識して実現したのは少数の偉大な時代にすぎなかった。

2012-07-10 18:49:22
廣田鉄斎 @hirotatessai

「しかしそうした歴史的幸福から成る少数の壮大なる時代の到来は、きわめて重大なものだった。なぜならそれらの時代でしか、政治の意味が・・・十全に明かされることはなかったからである。またそれらの時代は標準(基準)を設けたのだが、その意味は、

2012-07-10 18:50:14
廣田鉄斎 @hirotatessai

・・・それらの時代に短い間ながら十全に現実化された特定の理念や概念が、政治が十分に実現される経験を奪われた時代をも限定するということなのである」

2012-07-10 18:50:24
廣田鉄斎 @hirotatessai

アーレントの「政治」観は、直接・水平・参加民主主義にもとづくオキュパイ運動(「2011年から」のグローバル社会運動)と親和的であるように思われる。むろん、これらの運動は同時に経済的・階級的な要求、「コモンに対する要求」、したがって所有と権力の問題を再提起するものでもあったのだが。

2012-07-10 18:58:51
廣田鉄斎 @hirotatessai

21世紀の基本的な対抗軸は、「エリート主義・専門家主義・代行主義」対「直接・水平・参加民主主義」にある、それは「所有と権力の問題」の、20世紀型の左翼とは異なる、新たなかたちでの提起である、というのがわたしの考えだ。

2012-07-10 19:06:00
http:何処も?@ワク7回接種 @gainersanga

そもそもアテナイの公・私領域を切り分けた民主制(?)を礼賛してたアーレントを、こういう文脈で引っ張り出す時点で、アーレント理解も半可通な気がするのだよ/「民衆知の可能性―「衆愚」とは何か?」 http://t.co/4TFMu9j6

2012-07-10 11:15:59
http:何処も?@ワク7回接種 @gainersanga

民衆に理解できない専門知は、衆愚ではない!知の方が悪いんだ!って、専門家の素人軽視に対するカウンターとしての意義を除けばゴミみたいな主張でないのか(´Д`)/「民衆知の可能性―「衆愚」とは何か?」 http://t.co/4TFMu9j6

2012-07-10 11:13:01
ねるちゃん @neruchan_neru

反原発派のデマ拡散とWikipediaの添削厨と自治厨を見る限り、集合知は幻想。集合知の行き着く先はカルト、言い換えれば閉鎖された村社会。そして常連気取りによる価値観押し付け。やがて先鋭化し衰退する ⇒ 民衆知の可能性―「衆愚」とは何か? http://t.co/6L6pWiMN

2012-07-10 10:42:21
廣田鉄斎 @hirotatessai

「閉鎖された村社会。そして常連気取りによる価値観押し付け。やがて先鋭化し衰退する」→アカデミズムと「専門知」の特徴付けとしては、かなりいい線行っている。笑

2012-07-10 19:18:51
廣田鉄斎 @hirotatessai

(1)わたしは、極端な「社会構築主義」や「相対主義」には批判的なのだが、あえて「極論」を言わせてもらうと、自分の知識や主張を「客観的」「中立的」「学問的」「科学的」という言葉で仰々しく飾り立てる人ほど、

2012-07-10 19:44:31
廣田鉄斎 @hirotatessai

(2)これらの言葉に象徴される「権力」の傘の下に身を寄せているのであって、彼らは「個々には」本当は自信がなく、主観的で、(ふつうの人びとのふつうの感覚から見て)偏っており、かつ非学問的・非科学的なのだと、わたしは疑っている。

2012-07-10 19:44:52
廣田鉄斎 @hirotatessai

(3)「科学的で客観的な真理」というものが仮に存在するとしても、個々の「専門家」が担っているのはせいぜい「真理の一部」であり、より正確に言えば「誤謬を含む真理発見のプロセスの、一極小部分」を担っているにすぎない。

2012-07-10 19:45:14
廣田鉄斎 @hirotatessai

(4)社会の集合的意志決定において科学的知識が果たす役割は、知識の行使する正当化・説得力に関係したものであり、科学的証明そのものにはないと言えるだろう。環境問題の意志決定に関わるものにとって、科学的知識は矛盾を含んだ決断をする際の信任の手段なのであり、社会運営の効果的な手段なのだ

2012-07-10 19:45:55
廣田鉄斎 @hirotatessai

(5)「環境政治では、科学的根拠の正確さよりはむしろ、『科学的』知識の持つ正当化機能(特定の政治的立場について『科学的知識に基づいているのだから、正しいものであろう』といった期待を生む機能)の方が重要である」

2012-07-10 19:46:32
廣田鉄斎 @hirotatessai

(6)「科学的知識の政治的な役割」は、「価値観をめぐる議論を、事実に関する議論へとすり替える」ことにある。「それゆえ、科学的知識を、宗教家・預言者・神学者が持つ神による託宣を解釈する機能や、哲学者が倫理・規範に関して解釈を行う機能と並び立つものだと論じるものもいる」。

2012-07-10 19:46:51
廣田鉄斎 @hirotatessai

(7)「専門知識を問題の解釈に利用することを通じて、個人、団体、そしてそれらのネットワークは一定の問題領域において一種の権威を獲得しうるのだ。それは・・・

2012-07-10 19:47:56
廣田鉄斎 @hirotatessai

(8)神の意志を解釈する神官や預言者、規範・倫理を解釈する哲学者のそれに近いものである」(堀田康彦「エコロジー的近代化と脱国家的権威――グローバリゼーション下の環境政策・技術戦略の形成について――」年報科学・技術・社会 12, 2003)

2012-07-10 19:48:13
廣田鉄斎 @hirotatessai

「神の意志を解釈する神官や預言者、規範・倫理を(権力的・天下り式に)解釈する哲学者」はいらない。アーレントは「哲学者」と呼ばれることを拒否したが、「エピステーメの体現者」としての哲学者・科学者はいらない(エピステーメの「探求者」なら許そう。わたしもそれを探究しているのだから。笑)

2012-07-10 20:13:05
廣田鉄斎 @hirotatessai

アーレントは「私たちはこの自由から逃げて歴史の『必然性』に走る。まさに愚の骨頂」と書いているが、わたしの解釈によれば歴史の「必然性」とは(1)経済決定論(マルクス主義、近代化論、経済成長論)と(2)科学技術決定論の二つ。この二つから脱け出すことができてはじめて人間は自由になれる。

2012-07-10 20:32:37