【哲学の小授業2】デリダの太極拳、その道すじ~はかないきずあとともに

http://togetter.com/li/327089 このまとめの脱構築の、思考のプロセスを、僕の差延のヴェチェールが追いかけます。 脱構築太極拳の、伏線回収。 続きを読む
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večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

ちょっと待って。昔の言葉は、じゃあ僕らが今使っている言葉と、まったく同じ言葉だったんだろうか?…違う。そこもまた、「ずれ」ているし、だからもはや違う言葉にまで変化していることもある。「おくれ」もある。差延だ。

2012-07-08 22:47:16
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

思えば、言語それぞれになにか著作権や版権、ていうのがあるわけじゃない。結局その言葉、誰が作ったの?「誰かが作った」としか、結局のところ、言えない。…いちおう、文字の開発者が明らかになっている言語とかもあるにはある…だが、それもすでに彼のものとして所有はされない…。

2012-07-08 22:57:40
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

言葉は後ろの方向でも、「差延」のなかにある…言葉の変化、それも「差延の一形態」に過ぎないんだ。

2012-07-08 23:01:48
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

じゃあ、どんどん言葉がその内側も、外側も、変化しざるを得ず、差延って運動にさらされていて、どこまでも外側に開けて行ってしまうのか?…デリダはこういう。『言葉(テクスト)に外部は無い』…そう、言葉の外側、っていうのは実質、無いようなものなんだ。

2012-07-08 23:04:12
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

『すなわち、この文は、これまでだれの許可も必要とせずにやってきたし、わたしがいなくても生きてきたということである。それはいつもそれだけで生きてきたのだった』…デリダの言葉をもう一度思い出してみよう。今のことをふまえながらここを読むと、ふいにすとんと落ちてくるんじゃないかな。

2012-07-08 23:05:55
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

さて…言葉がそういう風に、伝わりにくくて、でも伝えようと頑張っているものである、生きている、ってことを、デリダは「郵便」とか「幽霊」とか言う。その「郵便」という発想は、まさしくちょうど「やぎさんゆうびん」の話そのものだった。

2012-07-08 23:07:20
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

まさしくちょうど…というのもどうもあれだけど(それこそ、差延だから)、流れとしては同じと言っていい。手紙は届く。だが伝わらない。差延を後々、デリダはこうした手紙の性質で例える。実際、フランスの郵便はどっか可笑しくて、手紙がなかなか届かないで先延ばしにされることが多いらしいね。

2012-07-09 02:00:31
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

幽霊っていうたとえは、おそらくはプラトンの書いた本のアイデアからだろう。(本当は脱構築の処で一緒に話してもいい事なんだけど)プラトンは、話し言葉が書き言葉より優れているといいながら、同時に書き言葉が話し言葉と等価なんだと気づかずに話している。

2012-07-09 02:01:55
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

そしてそんなことを書いている本(パイドロスという本だ)、これプラトンの著書なんだけど、話すことを肯定して書くことを排除しようとするから結果、「これ俺の本じゃないよ」って言う羽目になる。じゃあ誰が書いたの?プラトンはソクラテス著と言い張る。

2012-07-09 02:03:22
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

でも、これ実は、ソクラテスが死んだ「後に」書かれてるんだよね。つまり何か?死んでから書いたのか、ああ、要するにソクラテスの幽霊が書いたんだな、っていう、そういう事。

2012-07-09 02:04:08
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

そこから、もう予想がついた人もいるかもしれないが…・差延とは、実に「幽霊を生む運動」とも言っていいんだ。プラトンが、ソクラテスを『演じる』。するとそこにソクラテスの像が出来る。それがプラトンの本でないと云いさえすれば、もうそれはソクラテスが書いた本としか思えなくなる。

2012-07-09 02:05:31
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

…ホントはソクラテスは一冊も本書いてないんだけどね。そんな様子を悉く表現した絵があるよ。プラトンが本を書いている後ろから、ソクラテスがプラトンの手を借りて書いているんだ。そんな絵。ソクラテスの幽霊が、プラトンに憑りついている。そういう表現だ。

2012-07-09 02:06:35
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

そういえば、言葉で「自分の想いを伝える」と言う。「自分の想い」とは言うけれど、言葉はさっきも言ったように、伝わった地点で違ったり遅れたり、他人の咀嚼するかたちでまた伝わってしまう、んだったね…。そうだ。まさに、言葉に宿る「キミ」が、幽霊になってるんだよ。

2012-07-09 02:08:42
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

だから幽霊はあなたではないし、その幽霊がかれに伝わってしまうのだからその憑りついた幽霊をもってしか貴方の言葉が理解されない。で、その理解もさらにその人の理解の仕方でさらに幽霊が憑りつくから…誤記、書き間違いが、伝え間違いがいっぱい生まれやすくなる。誤記可能性、とも言うね。

2012-07-09 02:10:01
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

ようはイメージなんだ。イメージから言葉を紡ぐしかない。だから、さらに細かくするために差延の運動を、激しくしざるを得ない。…じゃあこれはネガティブなことか?そうじゃない。デリダはこれをポジティブに、有効に使おうとしているんだ。

2012-07-09 02:11:04
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

その先の話は…またあとでしよう。今日は、なんだか眠くなってきた。それじゃあ、僕はお先に落ちるね。おやすみなさい。

2012-07-09 02:11:39
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

今晩は。回線が最近悪いんだけれども…世界線への機能がうまく働いてないのかな?

2012-07-10 22:45:44
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

以前は、差延の話をしたね。ことばの伝わり、そして”ずれ”。言葉に込めた「想い」が幽霊となり、郵便となって人に伝わり…つつ、つまり伝わることから逃げ出している。…還元不可能、もとをたどることが出来ない儚いもの、それが言葉なんだ、表現すること、思考すること、なんだということ…

2012-07-10 22:47:21
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

現象学徒だったデリダが、フッセルルを批判しながらも考えていた「差延」は、あらわれている何らか、ではなくてその狭間みたいなところでひびくような運動だった。それも、届いているはずなのに消し去っていて伝わることを先延ばしにしようとする、つんけいしたような言葉のあや。

2012-07-10 22:49:27
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

…別の世界で、有名な流行り言葉があるね…『あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ! 「おれは 奴の前で階段を登っていたと 思ったら いつのまにか降りていた」 な… 何を言っているのか わからねーと思うが  おれも 何をされたのか わからなかった… 』

2012-07-10 22:51:20
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

フッサールたち、現象学のやってるものの観方って、スタンド使いがすでにやってたんだね。で、ここで注目すべきなのは、この部分。「おれは 奴の前で階段を登っていたと 思ったら いつのまにか降りていた」

2012-07-10 22:52:21
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

そうすることで、先入観や思い込み、そうじゃなかったとしても、考え方や思いが「そういうふうになっている」条件を探すこと。それが現象学の方法だったんだけど、つまりポルナレフさんの例でいうなら、「おれもなにされたのか」、此処の部分が現象学で出す答えになる部分だ。

2012-07-10 22:55:13
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

階段を上ったと思った、その理由は?その「理由」ってところが現象学の探すところなんだけど、言葉、それを伝えること、そういう活動は、その「理由」がぽっかり抜けてて、解らない。解ることはできない。

2012-07-10 22:57:55
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

どう解らないか、を明らかにしたのが、デリダなんだ。つまり、言葉が、届こうとして『出た』のに、『届かない』…届くことが凍る…(まさに”とどこおる”…なんちゃって)。それがほんとうに、あのポルナレフのようだよね。階段上ったのに、降りてる。昇ってない。良く似ているね。

2012-07-10 23:02:27
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

こういうものの曖昧さを、「差延」とか、「郵便」「幽霊」って言ってたんだね。

2012-07-10 23:02:57