こーど(code)氏による旧陸軍の「社会民主主義」

「国民の生活が第一」というスローガンは、旧陸軍によって実現し・・・そうに見えた。 そんなお話をまとめてみました。 (いつもながら、何で歴史が「趣味」のサブジャンルなのか、私としてはtogetterに再考を促したいところです)
歴史 旧陸軍 社会民主主義 昭和史
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こーど @skskmkh
戦前の政治システムでは、労働者の権利等(これを社会主義的要求と言う)を求める動きは、既成政党・貴族院・枢密院によって潰されていた。しかし、開戦までの国民の総意は、「あくまで政党政治を通じて社会主義改革を」、またはそれが可能となる民意が反映されたシステムを、というものであった。
こーど @skskmkh
この対立を解消する存在として人気を高めたのが、「自作農創設工場法制定農村金融機関の改善」という社会民主主義的改革を自らの主張に盛り込んだ、軍部であった。軍部は、擬似的な改革推進者であった。
こーど @skskmkh
1930年(昭和5年)の日本の農業人口は46.8%。既に1928年には普通選挙権に基づく選挙が行われていたが、小作法など農民の求める法は議会を通過しない。しかも1929年の世界恐慌をきっかけとした恐慌が日本を直撃する。
こーど @skskmkh
不況下では、農村に金を貸してくれる銀行は無かった。もし害虫などの被害を受けたら(そして、当時の作物は現代よりも病気に弱いのも当然であった)、高利貸しなどに頼るしかなかった。
こーど @skskmkh
陸軍統制派が1934年10月に「国防の本義と其強化の提唱」において、「農山漁村の疲弊の救済は最も重要な政策」と断じたのは、このような状況であった。農村は、軍隊に入る兵士の最も重要な供給源であった。都市の学校に通う男子や、企業・工業で働く者は、徴集猶予の恩恵を受けた。
こーど @skskmkh
この頃陸軍省軍務局長であったのが永田鉄山で、国防を「国家生成発展の基本的活力」として、いちばん大事なのは国民生活だと断じた。「国民生活の安定を図るを要し、就中、勤労民の生活保障、農山漁村の疲弊の救済は最も重要」というのである。
こーど @skskmkh
具体的な労働者・農民救済案とは、義務教育費の国庫負担肥料販売の国農産物価格の維持・耕作権などの借地権保、また労働組合法の制定労働争議調停機関の設置など、一見美しく、正しいスローガンであった。勿論画餅であったが、政治・社会の改革者として軍部が期待されるのである。
こーど @skskmkh
国民生活というキーワードに触発されて、と言うとなんだかときめくようである。
こーど @skskmkh
何故陸軍が、ここまで国民生活を重視したのか。それは一つには、第一次大戦におけるドイツの敗因分析に基づくものであった。列強の経済封鎖に国民が耐えかねたこと。思想戦、革命思想の台頭により、国民が内部的に自壊したこと。そこから、戦争の勝敗は「国民の組織」にあると見いだしたのである。
こーど @skskmkh
就業人口の半数を占め、兵士の供給源である農民を組織する事を、戦争準備として必要としていた。こう目的を書いてしまうと、「国民を組織するためには政党の議会政治ではダメだ」と一歩進んでしまう理由がわかる。また、そう考えを進めざるをえない必然的背景は、ソ連五カ年計画成功であった。
こーど @skskmkh
加藤陽子氏が『満州事変から日中戦争へ』で引く日ソの兵力格差では、人員はもちろんのこと、工業力格差が重視される。戦闘機数を比較すると、1932年では1.5倍だった彼我の機数差が、1934年には3倍に達している。重化学工業化に成功したソ連は、極東方面に関する軍備増強にも成功した。
こーど @skskmkh
この工業力格差は年々拡大していくもので、安全保障上必要としたはずの満州国に、軍事的側面から、さらに安全な後背地を持たないと安心できなくなった。日本の植民地獲得欲求は、安全保障上の利益に基づくものなのだが、ここで中国に対し華北分離工作を行うのも、同じ発想であった。
こーど @skskmkh
米国海軍を増強する前にソ連の重化学工業化が進展する前に。「もし満州国がソ連に攻められても、ソ連軍を撃退できる状況を作りたい」という発想が、また国際連盟に介入力は無く、一年や二年で中国を降伏させるだけの打撃を与える事は可能だ、という見通しが、日中戦争に至る思考であった。
こーど @skskmkh
だいぶ長くなったので、胡適や汪兆銘について、すなわち実際に日中戦争が長期化する過程や、太平洋戦争について、1930年代後半から40年以降に国民の意識がどう変わるのか、ここでは置こう。
こーど @skskmkh
さて、農家の平均年所得が1929年に1236円で、1931年には650円になるという恐るべき環境(農林省調査)で、「国民の生活すなわち経済問題を基調とし、我が国民の生きんとするゆえんの大方針を立て、これを遂行する」目的を建前にした軍部に対し、民政党・政友会は対抗できなかった。
こーど @skskmkh
ただし軍・警察は、今のやくざ屋さんと同じく「その」と呼ばれ、怖い存在でもあった。実際三月事件・十月事件などのクーデターや、五・一五事件などのテロも軍によるものであった。暴力で内閣を威圧し、甘言で国民(の多数を占める農民)にアピールしていたのである。
こーど @skskmkh
戦争反対の勢力は、治安維持法で根こそぎ検挙された。無産政党が出兵反対と主張する際、論拠となるのは出征・在営家族の保障であったが、実際に強い圧力をかけてそのような保障を勝ち取っていたのは、戦争を推進する陸軍省そのものであった。
こーど @skskmkh
帝国主義に反対するということと、実際に戦争の犠牲者である兵士家族の待遇を改善する(すなわち、戦争を援助する)ということ、日本ではこの主張は切り離しづらかった。結局、国民が「苦しい選択」を続けた末に、軍部に一定の支持がもたらされたと見るべきであろう。
こーど @skskmkh
おしまい。長文失礼。

コメント

天婦羅★三杯酢 @templa_3 2012年7月12日
よく、戦後GHQがやって来たから 1.農地取られた 2.労働組合が強くなった 3.農協がのさばった という人がいるけど、実際には戦前から綿々と続く議論で、形だけでもやり始めたのは陸軍だった、ということはもっと宣伝されるべきでしょう。
harusawa @humikasan 2012年7月12日
この話を見ていると、本当に日本が赤い皇国になった可能性はかなりあったんだろう、と思えてきますね。不満だらけの農民と労働者、彼らの属する軍部。ペテルブルク蜂起が浮かびます
岡一輝 @okaikki 2012年7月12日
古代ローマ帝国の昔から、社会制度の整備は軍から始まる、というかむしろ、軍隊が社会の基になるのよな。
天婦羅★三杯酢 @templa_3 2012年7月12日
プロローグ http://togetter.com/li/337262 と エピローグ http://togetter.com/li/337267 を まとめました。こちらもあわせてどうぞ☆
カム @comekurisu 2012年7月12日
おもしろかったです。そりゃあ社会主義者のペンネームが荒畑寒村になるわ。日本史詳しくないけど非合理で傲慢な軍部の暴走的な史観以外のものが出てきて面白い。まあその方が救いがないのかもしれないけど。
BUNTEN @bunten 2012年7月13日
社会民主主義という表現には一応抵抗しておく。ファシズムという用語もある。(ヒトラーの党名を想起せよ。で、彼の政治は国民に幸福をもたらしたか? 日本の軍部は?)
天婦羅★三杯酢 @templa_3 2012年7月13日
もちろん、私自身もこーど氏の論に100%の賛同はしていません。ただ、旧陸軍のやったことの背景には、このような社会情勢と、情勢に対応するための情報宣伝活動があったということについて、括弧付きで「社会民主主義」と表しているところでお察しいただければ。
S.N @NaoyaSugitani 2012年7月14日
旧陸軍の農村改革主義については確か加藤陽子氏の言及があった筈。指摘はされていないが農村は良兵の供給源だったので、農村振興策を軍が自ら打ち出した背景には社会主義思想の流入を軍が忌避した自衛的な意味合いもあったと思われる。
天婦羅★三杯酢 @templa_3 2012年9月26日
なんかいきなりお気に入りにしてくださる方が出てきた。これのおかげみたいです。「「なぜ、貧困層、社会的弱者ほど国家の戦争に熱狂するか」から始まる会話」http://togetter.com/li/379538
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