おっさんの江戸薀蓄(時代劇が面白くなる編)

時代劇が面白くなる薀蓄だけこっちにまとめました。
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Randy Hickey @randy_TSK

@takaoICU 内匠頭は馬鹿殿って所は激しく同意でござるww 私は創作としての忠臣蔵は好きですが、史実の赤穂浪士はもっとリアリストで、浄瑠璃坂の仇討ちを真似て仇討ち後に赦免された後、どこかに仕官するのが本当の目的だったんじゃないかと思っていますww   

2012-07-10 12:54:27
Randy Hickey @randy_TSK

まーでも、よーく考えれば浄瑠璃坂の仇討と松の廊下ではそもそも前提条件が全く違うんだけどねwww  http://t.co/cYz7Ujc3

2012-07-10 12:56:46
タカオ@2足歩行も可 @takaoICU

@randy_TSK ランディさんこんばんわ♪浄瑠璃坂の仇討って全く知らなかったです。源八に加勢した人達って義憤が理由なんでしょうか?ランディさんの赤穂浪士就活仇討説wは理解できるけど、源八組も事件を起こした事自体でお家が罰せられるのを挽回しようとしたという事なのかな?

2012-07-10 22:30:23
Randy Hickey @randy_TSK

@takaoICU 流石Takaoさん目の付け所がシャープですね|ωΦ) 源八の与党には40数名集まって、しかも上は1200石取から数百石取の大身が多いんですが、どうも家(主君)を見限ったっつー人が多かった様な感じもしますよね。何れにせよ本懐遂げた後に直ぐ自裁していないので(続

2012-07-10 23:31:33
Randy Hickey @randy_TSK

@takaoICU 純粋に義憤だけだったかはなんとも言えませんが。この件は先代が亡くなって新藩主になった奥平昌能公に大問題があったのは間違いないですねww 将軍家御連枝の格式が無ければ「追腹一件」(先代の重臣に殉死を強要、これが幕府の殉死禁止令に抵触して幕閣大激怒)で改易のはずw

2012-07-10 23:37:27
Randy Hickey @randy_TSK

@takaoICU 先代に功績の有った重臣に、幕命に逆らい尚追い腹を強要する若殿が家臣団の心にどう映ったか興味深いです。そこへ加えて興禅寺刃傷事件で源八の父が切腹後の裁定が喧嘩両成敗になっていない事で、主君に対しての憤りが爆発したと見る向きもあるんじゃないでしょうか(私はその口w

2012-07-10 23:42:44
Randy Hickey @randy_TSK

@takaoICU 勝手解釈&妄想をお許して願えれば、浄瑠璃坂仇討は、仇討の先にある本当の敵は方手落ち裁定を下した旧主馬鹿殿にある気がします。浄瑠璃坂仇討ちは徒党を組んで押し入った点を統治の上から厳しく処断され仇討とは認められなかったのですが結果的に後に赦免されています(続く

2012-07-10 23:50:12
Randy Hickey @randy_TSK

@takaoICU 通常仇討の場合は本懐遂げればお家に凱旋的に帰参(逆に本懐遂げる迄お暇扱いで浪々の憂き身)しますが、仇討は主君の裁定を不服としての行為でもあり、赦免後奥平家に帰参した人の情報が見当たらないので源八と与党は奥平家そのものに遺恨あったのでは?と妄想しております。

2012-07-10 23:58:06
Randy Hickey @randy_TSK

仇討噺が盛り上がって来たので一つトリビア。よく仇討赦免状が時代劇に出てきますが、これは地方の藩内で刃傷があり加害者が出奔した場合に主家から出されるもので、実際には江戸に出て町奉行所の敵討届出の帳簿に届出、その謄本(書替)を持っていないと一旦は殺人事件として扱われたそうですww

2012-07-11 00:08:56
Randy Hickey @randy_TSK

さってさて、朝から大津市長の臆面もないテヘペロ会見みてビキビキしちゃいましたが、今日も今日とて一部の読者(?)の皆さんに向けての江戸薀蓄、今日は江戸城内での格式とイベントについて。 

2012-07-11 07:26:04
Randy Hickey @randy_TSK

武家官位・官職の時にも触れましたが、徳川幕府の身分制度は官位官職・石高・国持・城持・将軍家との姻戚関係、譜代・外様等の諸条件が複雑に絡みあいながら厳格に決まっておりまして、それは大名・旗本衆の江戸城内の控室、イベント時に拝礼の形式内容更に言えばドレスコードまで規定されておりました

2012-07-11 07:29:55
Randy Hickey @randy_TSK

城内の控え席について。在府(参勤で江戸に居る)大名は毎月決まった日(毎月朔日、15日、28日:)と式日に総登城しますが、登城した時の控え室が格式毎に決まっていました。御三家と前田本家、越前松平家が大廊下、以下大広間etc.という具合です。http://t.co/D9rtpVJU

2012-07-11 07:42:52
Randy Hickey @randy_TSK

この伺候席は出世や将軍家との婚姻で高位に上がったりする事もあり、大名家の格式を表す大事な指標で、江戸時代の大名、幕府役人の人名事典である「武鑑」にもちゃんと記載されていたそうです。参勤の御供で江戸に来た勤番侍の江戸見物にはこの大名総登城見物もあり、武鑑片手に見物したそうです。

2012-07-11 07:48:29
Randy Hickey @randy_TSK

伺候席の内、最も格上とされているのが御三家、御三卿、越前福井松平家、外様筆頭の加賀前田家が詰める大廊下(松の廊下の隣に有った部屋)と国持大名と四品(官位四位以上)が詰める大広間ですが、譜代大名で老中経験者等が詰める溜間は老中の諮問機関的意味合いがあり別格扱いを受けていました。

2012-07-11 08:04:48
Randy Hickey @randy_TSK

又、将軍家に拝謁を賜る形式にも序列がありました。江戸城は御存知女人禁制憧れのハーレムである大奥、将軍家が日常を過ごし政務を見る中奥、老中以下諸役人の執務室と外交の為の場所(大広間、白書院、黒書院)である表から構成されていました。 参照:http://t.co/nhDT4o5F

2012-07-11 08:12:55
Randy Hickey @randy_TSK

正月元旦には御三家・御三卿の当主、御家門、譜代、加賀前田家他、将軍家と縁の深い一部外様大名が年賀登城しましたが、将軍の居間である中奥御座の間で謁を賜るのは御三卿のみ(三卿は将軍家家族という扱いの為)、御三家、加賀前田家、大廊下詰御家門、溜りの間詰の一部大名は白書院で拝謁。

2012-07-11 08:34:27
Randy Hickey @randy_TSK

その他の大名は大広間での拝謁となります。白書院での謁見に加え、大広間での四品、侍従以上の官位官途の大名は独りずつ将軍家に拝謁できましたが(独礼) それ以下の大名諸役人は立礼となり、十把ひとからげでの拝謁です。先程の江戸城の図の大広間の見取り図を見ると判るのですが、(続

2012-07-11 08:38:03
Randy Hickey @randy_TSK

江戸城大広間は上段・中段・下段の間が七寸ずつ段差を付け、上段は二重折上格子、中段は折上格子、下段は格子天井となっていて、下段の上段向って右側に二の間、三の間が続いています。独礼の大名は二の間に並んで順番待ちをし、大目付に呼び出しを受けて下段の間に伺候、奏者番が名前を呼び(続く

2012-07-11 08:50:28
Randy Hickey @randy_TSK

老中が取りついで将軍家から「めでたい!」とお言葉を賜り、持参の太刀(中身は木刀の儀礼用)・御馬代と目録を献上、将軍家からのお流れを一献と吉例の兎の吸物を戴き(お流れを頂いた土器と一緒に懐紙に兎を包んで懐にしまう)時服一領を拝領して退出します。(実際は更に細かいのですが)

2012-07-11 08:57:14
Randy Hickey @randy_TSK

それ以外の五位の平大名と年賀登城を許された諸役人は、大広間二の間、三の間にずらりと居並び(勿論殿中伺候席の序列順にw)平伏しておりますと、大目付の合図で襖が開き、下段まで下がってきた将軍家が二の間の方に向き直り立ったまま「めでたい」と言いそのまま上段へ戻り、襖を閉めますww(続

2012-07-11 09:03:28
Randy Hickey @randy_TSK

後は順番に三人ずつ二の間から拭い縁を回って下段に進み、太刀御馬代献上、お流れ、時服頂戴となります。それ以下の御目見得幕臣には時服頂戴はありません。

2012-07-11 09:11:04
Randy Hickey @randy_TSK

更には松の大廊下でも立礼が合って御目見得格の拝謁がありましたが、大廊下は90度曲がっているので序列の低い場所に座る人は将軍家の影も感じられない訳ですなww ここには特別に陪臣でも拝謁を許された榊原、奥平、井伊家等の家老も並んだそうです。

2012-07-11 09:12:27
Randy Hickey @randy_TSK

こういう城内儀礼で活躍するのがお城坊主。坊主といいながら歴とした幕臣(御家人)ですが、御坊主には大名の担当が決まっていて、大名に賜った時服は御小姓から御坊主が預かって、後で大名の供をして出仕している家臣に渡したそうです。河内山宗春でお馴染ですなwww

2012-07-11 09:26:27
Randy Hickey @randy_TSK

坊主にも幕閣や若年寄担当で他の坊主を監督する同朋と呼ばれる坊主から、主に大名の世話をする表坊主、茶道専門で世襲制のお数寄屋坊主と種類がありましたが、殿中の噂に詳しく、大名間の非公式な折衝事に便利に使われたりという事もあり、大名家からの付け届けが多く実入りの良い役目だったとかww

2012-07-11 09:31:20
Randy Hickey @randy_TSK

以上、今日の江戸噺でした~|ω・)ノシ  

2012-07-11 09:32:11