東アジアに定住したもっとも早期の現生人類のY染色体DNA上の証拠について

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早雲 @souun_udoku

したがってわれわれは、D系統が他の系統とは別に独立して、早い時期に北方へ移動したとすることが、東アジアにおけるD系統の現在の分布を合理的に説明できると考える。

2012-07-24 16:41:10
早雲 @souun_udoku

すなわち、O3系統がD系統より遅れて北方へ移動し、新石器時代になると漢民族(O3が中心)が膨張したことにより、東アジアの中心地域のD系統の痕跡は、遅れてやってきた、おそらく非常に大きな規模のO3系統の移動によって、一掃されたのである。

2012-07-24 16:41:31
早雲 @souun_udoku

東アジアのD系統の現在の周辺地域への分布パターンは、以上の考えと一致する。  また、その推定される年代は、D系統の北方への移動が、O3の移動より年代的に遡りうることを支持する。

2012-07-24 16:41:46
早雲 @souun_udoku

後期更新世の早い時期(約135-75千年前)の東アフリカで起きた大干ばつが、現生人類の出アフリカの説得力のある説明である。  そして早期の現生人類は、沿岸地域を占有し、出アフリカの頃には、沿岸付近の海産資源を利用していた。

2012-07-24 16:50:44
早雲 @souun_udoku

それから、現生人類は、熱帯の海岸に沿って広がった。最も早い時期の現生人類の化石は、約10万年前のアフリカから見つかっている。  最終氷河期、すなわち80,000-10,000年前は、現生人類の移動に非常に大きな衝撃を与えた。そして海水面は、現在より50-200mも低下していた。

2012-07-24 16:51:04
早雲 @souun_udoku

その結果、大きな乾燥地が姿をあらわした。たとえば、日本と大陸の間は、現在では海で隔てられているが、当時は人類の移動が可能であった。人間の化石記録とこれまでの遺伝子データによると、東アジアへの最も早期の現生人類の定住は、60,000年前以降のことであった。

2012-07-24 16:51:30
早雲 @souun_udoku

たとえば、最も古いオーストラリア人の化石(レイクマンゴー3)は、約45,000 ± 3,000 - 62,000 ± 6,000年前と計測されているし、現在のオーストラリアの少数民族集団のミトコンドリアDNAやY染色体の分析では、

2012-07-24 16:51:54
早雲 @souun_udoku

彼等のオーストラリアへの入植は約50,000-70,000年前であったことを示している。東アジアやオーストラリアへの現生人類の移動は、それぞれ別々に独立して行われたかもしれないが、われわれのD系統の年代推定は、以上の考えと一致している。

2012-07-24 16:52:12
早雲 @souun_udoku

このD系統の推定年代は、これまでに東アジアのY染色体とmtDNAの両方を組み合わせた分析から報告されていたものよりも、より古くなっている。  それが過大評価であるか否かにかかわらず、われわれは同じ方法で、DE*とE系統の分岐時期を計算した。

2012-07-24 16:52:29
早雲 @souun_udoku

結果は、27,176年前である。これは、D系統よりはるかに遅いが、これまでの推定(27,800-37,000年前)と一致している。  したがって、D系統の古さは、東アジアにおける人間集団の先史時代の真の姿を反映したものである可能性が高い。

2012-07-24 16:52:41
早雲 @souun_udoku

 チボトフスキーによって開発された(2001)年代推定モデルは、集団固有の構造的影響を完全には排除できないため、有効な集団のサイズや最近の人口膨張に対して敏感に反映するモデルではない。 (そのモデルで計算された)D系統の古さは、D系統の起源が50,000年前より以前であると

2012-07-24 16:53:39
早雲 @souun_udoku

推定されたこれまでの研究とも、また一致する。ハプログループDの分岐年代は約60,000年前であり、D系統が広範囲に断片的に散らばって分布していることを考えると、D系統の旧石器時代の移動は、最初に東アジア南部に定着し、その後現生人類としてはじめて、北方へ集団で移動を始めたのであろう

2012-07-24 16:54:04
早雲 @souun_udoku

80,000-10,000年前に起こった最終氷河期に、D系統が北向きの移動を始めたという事は、現生人類がマンモス草原の食料を求めて起こした行動であるという考えに一致する。

2012-07-24 16:54:34
早雲 @souun_udoku

後世の人口膨張以外に、最終氷河期の間にあった特に寒い気候が、D系統の現在見られる分布の断片化をもたらしたのかもしれない。 最近の考古学的発見によれば、興味深いことに、約30,000-40,000年前現生人類がチベット高原を探索していたという。

2012-07-24 16:54:55
早雲 @souun_udoku

その時期は、これまでに示された時期よりはるかに早いが、われわれの仮説には合致している。 後氷期の海面上昇は、最終的には、日本と大陸とを隔てさせることとなった。それは現在の日本人集団の中にD系統が遺物のように分布していることの説明になる。

2012-07-24 16:55:13
早雲 @souun_udoku

考古学データは、約30,000年前の日本列島に、現生人類が初めて到達したことを示している。これは、D2系統のわれわれの推定年代(37,678 ± 2,216 年前)と一致する。

2012-07-24 16:55:39
早雲 @souun_udoku

 同時に、現在のチベット人集団と日本人集団はそれぞれ、おそらくD系統とO3系統の二つの古代の集団が混血して出来上がったのだろうと考えられる。

2012-07-24 16:56:02
早雲 @souun_udoku

要約すると、われわれは、東アジアで、これまで提唱されてきた北向きの集団移動に先行して、より古い、旧石器時代の集団移動があったことを実証してきた。

2012-07-24 16:56:22
早雲 @souun_udoku

D系統が現在分断化されて分布している状況は、最終氷河期に起こった人口膨張とその後の新石器時代の人口膨張の組み合わせ、両方に起因する可能性が高い。 以上http://t.co/YNLudO4Id02

2012-07-24 16:56:47
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