渡邊先生(心理学)と後藤先生(生物学)の科学とその境界に関するツイート

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渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena たとえば「幽霊の存在」は「幽霊が出ると思って夜トイレに行かない人」にとっては「事実」です。「科学者」が「幽霊はいない」というのは「物理的なレファレントが発見できない」という意味で,それは社会的事実として共有された「幽霊の存在」を否定できません。

2012-07-27 16:32:36
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 人文学はそそういう幽霊の存在のような「事実」も「ひとつの事実」として扱うことのできるものです。

2012-07-27 16:34:26
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 宗教的な「事実」,政治的な「事実」,倫理的な「事実」などもみなそうで,背後にある実体ではなく「それを事実として共有するコミュニティ」とそれに属する人々の行動がそうした事実のレファレントです。そういう「事実」こそ人文学の対象。

2012-07-27 16:36:38
後藤 健 @123_euglena

科学的真実の他にどのような「学問的」真実があって、後者の真実の背後にある非物理的な「何か」とは何か、について議論しているかと思っていたのですが、、、 QT @ynabe39 :「真実」という言葉は「価値づけられた事実」を意味するもので,何が真実かは個人に依存します。

2012-07-27 16:37:50
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 自然科学も含めて学問は「事実」について語ることはできても「真実」そのものについて語ることはできないと思います。人文学が「なにかを真実と考える人々」について語ることはできるでしょうが。

2012-07-27 16:40:15
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena そのうえで,「事実」とはなにかについては前のツイートで述べました。

2012-07-27 16:40:49
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 科学的真実だけが真実ではない、って渡邊さんが言及したんですよ。そのうえで、真実について語れない、というんじゃ、冷酷すぎます。

2012-07-27 16:43:29
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena それは先生が「科学的真実」という言葉を使ったからそれを受けただけで,その後の私の説明でも私は「事実」という言葉を使いました。「科学的真実」というのは「科学者が科学的方法によって知りえた事実に大きな個人的価値を置いて呼ぶときの名前」のように感じます。

2012-07-27 16:45:38
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 渡邊さんにとって人文学は真理探求とは無縁の学問である、ということ理解しました。

2012-07-27 16:56:35
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 人文学に限らず自然科学でも社会科学でも,研究によって発見されるのは「事実」だけであって,それを「真実」とか「真理」と呼ぶかどうかはそれに対する個人の価値づけの問題だと思います。じっさいそういう言葉を最も多用するのは宗教でしょう?。

2012-07-27 17:01:40
渡邊芳之 @ynabe39

「真理とは価値づけられた事実である」というのは便利な説明だな。

2012-07-27 17:06:49
渡邊芳之 @ynabe39

間違えた。「真実とは価値づけられた事実である」だな。そうであれば「真理」は「価値づけられた理論」かな。

2012-07-27 17:11:37
渡邊芳之 @ynabe39

いずれにしても数学の証明みたいなイメージでの「真である」ことと「真実」や「真理」はずいぶん違う意味の言葉ではないかと思う。

2012-07-27 17:12:23
渡邊芳之 @ynabe39

「語の意味とはその使用である」。 RT @ykkawa18: ソクラテスが怒りそうな定義ですね。

2012-07-27 17:13:26
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 うーん、ラディカルですね。例えばメンデルの法則。それを真理と呼びたいなら呼べ、、、それは別の個人にとっては真理ではないのだから、というような感じかな?この法則によって、いろいろな事実が説明されたり、予測できるのですが。

2012-07-27 17:15:58
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 個別の事実を説明できる一般法則や理論は「真理」「真実」ということですか?それは単に事実のレベルとか階層が違うだけのように思えます。

2012-07-27 17:18:24
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 「メンデルの法則は真理である」というときにはやはり「メンデルの法則は素晴らしい,偉大な発見である」というような価値が含まれているように思います。

2012-07-27 17:19:45
渡邊芳之 @ynabe39

そもそも「科学の目的は真理の探究である」というような言い方も「科学は素晴らしい,科学は素敵である」という価値の文脈で使われることが多いだろう。

2012-07-27 17:23:17
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 そのような価値がどうであれ、その法則によっていろいろな生物事象が予測、説明できるし、古典遺伝学の方法はそれに立脚しているわけです。それは、個人がこの法則にどのような心情を抱いているかどうかとは全く独立に通用することです。

2012-07-27 17:24:36
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 私が言っているのは「わざわざ真実とか真理という言葉を使うこと」についてです。メンデルの法則が役に立ち通用する理由は「それが事実だから」で充分で「単なる事実にとどまらない真実であるから」などとはいわないでしょう。

2012-07-27 17:26:56
渡邊芳之 @ynabe39

少なくとも心理学者が研究によってなにかを発見したときにそれが「真理である」などということはないし,長年にわたって支持されている理論であってもそれを「真理」だなどとはまず言わない。「真理」とか「真実」とかはレトリックの言葉だよね。

2012-07-27 17:31:46
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 メンデルの法則をはじめ、およそ法則と名のつくものは、事実そのものでないことは、渡邊さんも同意する理解である、と思ってきました。事実という具体的現実から一部のエッセンスを抽出した、抽象的な事象であって、それ自体としては存在しえないものだと思います。

2012-07-27 17:34:47
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena だから「事実のレベルや階層」と言いました。事実の抽象化されたものが法則や理論です。「事実の抽象化されたもの」という意味であれば「真実」などといわなくても単に「法則」「理論」と呼ぶのでよいと思います。

2012-07-27 17:40:02
渡邊芳之 @ynabe39

はい。客観的に存在しうるのは「事実」だけだと思います。 RT @Uske_S: 「真理」などは、結局主観でしかないと僕は思います(誰が真理であると決めるのか?)。

2012-07-27 17:41:20
渡邊芳之 @ynabe39

さっきも書いたけれども「真である」ということと「真実である」「真理である」ということは「語の使用」としてはずいぶん違うだろうということ。 

2012-07-27 17:48:51
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