![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@ynabe39 真実や真理には「個人的な価値づけ」があり、法則や理論にはそれがない、と?いずれにせよ、真実や真理という言葉は渡邊さんにとっては嫌いな言葉である、と?
2012-07-27 17:50:56![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@123_euglena 嫌いというか「価値的なので研究では使うべきでない言葉」だと思います。これは人文系の研究者なら共有している感覚だと思います。
2012-07-27 17:52:20![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@123_euglena ただし私が言っているのは「真理という言葉を使うな」ということでなくて「真理と事実には少なくとも研究の場面で用いる場合にはレファレントの違いはない」「事実について論ずれば充分」ということです。
2012-07-27 17:53:46![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@123_euglena たとえば論文に「自分はこの事実が大好きである」とか書いてあったらおかしいと思うでしょう?同様に論文に「この真実は」とか書いてあったらおかしく思うということです。
2012-07-27 17:55:28![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@ynabe39 ここでの議論は、認識論や学問論であって、少なくも僕の方では自分の専門分野から離れた形での議論をしていることはお分かりだと思います。
2012-07-27 18:00:59![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@123_euglena これは専門分野に関係なく,論文や学術書に「真実」とか「真理」とかいう言葉を比喩とかレトリカルな表現以外で(端的には「」つきでなく)用いることはないのではないかと思います。
2012-07-27 18:17:31![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@123_euglena it is trueはせいぜい「真」であって「真実」とか「真理」ではないでしょう。これは日本語の話をしています。ただ英語でもなにかの事実を fact だとは言っても truth だとは書かないのでは。
2012-07-27 18:33:22![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
う~ん、偏屈過ぎ!科学は科学的真理を探究する以外の何ものでもないのだよ。それと科学の社会的価値とは全く別。もっと素直になろう! QT @ynabe39: 「科学の目的は真理の探究である」というような言い方も「科学は素晴らしい,科学は素敵である」という価値の文脈で使われることが多い
2012-07-27 18:36:46![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@ynabe39 後者はもちろん当たり前のこと。factとtruthは実体が異なる。Truth is in the pudding. さて、The truth is the following,,と論文に書かれていたって、全然、違和感感じません。
2012-07-27 18:43:59![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@123_euglena 「言葉について偏屈であること」を仕事にしているのが文系の学者です。「科学は科学的真理を探究する」というのがすでに「価値的な表現」だというのは前に書いたとおりで,じっさい「科学的真理の探究」がよくないと批判する人はいないですよね。
2012-07-27 18:46:38![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@123_euglena それは英語だからです。前にも感じましたが先生は「辞書的に同じ意味の英語と日本語」を「まったく同じ意味」だと考えているふしがある。言葉のうち「テクニカルターム的に語義が統一されているもの」などごくわずかですよ。
2012-07-27 18:49:04![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
「科学は科学的真理を探究する」という「宣言」にはそのあとに「そのことが科学の存在意義である」とか「科学者は科学的真理の探究を使命とすべきである」とかいった価値的な主張が言外に伴っているのだろうと思う。
2012-07-27 18:54:18![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
「真実」とか「真理」という言葉をもっともたくさん見ることができるのは宗教にかかわる出版物である。そして多くの場合それらの真実や真理は「多くの人の目には隠されている」こととして述べられる。
2012-07-27 18:56:21![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
そういう意味では「科学的真理の探究」というときにもその「真理」は「人々の目からは隠されている」ということが含意されているようにも思う。誰の目にも普通に見えるようであればそもそも「探求」する必要もない。
2012-07-27 18:58:02![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
私の言語感覚ではそう思います。 RT @__pon_: 研究によって成果を得られた科学者が「私は真理を解明した!」って言うことってあんまり無いですよね。
2012-07-27 19:03:26![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
なるほどそうですね。 RT @Ichy_Numa: だから、発見者が特権化するわけだね、宗教でも科学でも。 RT @ynabe39: そう考えると「真理」というのは「隠されていて探求されることを待っている事実」でもあるのかもしれない。
2012-07-27 19:04:45![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
どうしてそれが「宣言」になっちゃうのかな。それは、科学という営為(事実)を表現しただけでしょう。そこに「主張」を読み取るのは先入観というか勘繰りです。QT @ynabe39 :「科学は科学的真理を探究する」という「宣言」にはそのあとに「そのことが科学の存在意義である」とか
2012-07-27 19:42:01![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@123_euglena 「科学は科学的真理の探究(だけ)を目的とする」というのは(そうでないことがありうるからこそ)明らかな「宣言」で,それは19世紀に「科学者」や「科学者社会」が生まれて「科学」が支配者に隷属するのではなく自律するようになったことと深く結びついています。
2012-07-27 19:48:55![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@123_euglena いずれにしても「科学の存在や目的,歴史に対してナイーブである」ことは「職業としての科学者」の大きな特徴で,そのことは実験・統計・ジャーナル共同体によって「自己相対化装置が外部化されている」ことの結果だと思います,ということで話は前に戻ります。
2012-07-27 19:55:18![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
日本で生まれた日本人なら考えもしない「日本の特徴」を日本に憧れて日本人になろうと努力する外国人が知っているということはありうる。心理学者と科学との関係というのはそれと似ていると思う。
2012-07-27 20:17:23![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
科学は科学的真理を探究するという営為以外に、どのような営為があるのでしょう。どのような科学論文もそれ以外の営為を感じたことはないんだけどな。QT @ynabe39 :「科学は科学的真理の探究(だけ)を目的とする」というのは(そうでないことがありうるからこそ)明らかな「宣言」で
2012-07-27 20:26:04