渡邊先生(心理学)と後藤先生(生物学)の科学とその境界に関するツイート

10
前へ 1 ・・ 3 4 ・・ 7 次へ
後藤 健 @123_euglena

それは科学者が関与しましたが、科学という営為ではなく、技術或いは工学的応用という営為です。QT @ynabe39: 最近ですと政府に強制されて原爆を造ったり。

2012-07-27 20:30:29
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 科学や科学者がなぜいまのようであるのかを考えるためには科学の歴史を遡ることが必要だろうと思います。科学や科学者がいまのようであるのはせいぜい150年くらい前からの話です。

2012-07-27 20:31:22
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 「あれは科学ではなかった」「これは科学ではない」と言ったら科学の範囲はますます狭くなるし,「科学的真実」がカバーできる世界の領域もどんどん狭くなりますね。

2012-07-27 20:34:02
渡邊芳之 @ynabe39

「科学とは,科学者がやっていることである」。

2012-07-27 20:34:56
後藤 健 @123_euglena

別に詭弁を弄しているわけじゃないですよ。お分かりでしょうけど。科学というのは認識の一種。知識を生む。技術というのは営為としての側面は「ものを作る」。同人物が両方を兼ねる場合でも営為として次元の異なる二つです。QT @ynabe39: 「あれは科学ではなかった」「これは科学ではない

2012-07-27 20:41:16
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 科学とは制度であり組織でありコミュニティです。その中ではさまざまな種類の「認識」が普通に同居していて,認識論から「科学と科学でないもの」を分けることはできないというのが20世紀後半の科学哲学のひとつの結論だったように思います。

2012-07-27 20:44:12
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 今問題にしていることと、どのようなつながりがありますか?問題は、科学的真理探究のほかに科学には営みとしてどのようなものがあるか、ということで、、、渡邊さんが原爆製造をあげたので、僕は科学と技術の営みとしての違いを述べたわけです。

2012-07-27 20:48:36
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 「科学とは認識である」「科学者の認識と科学者の営為は分離できる」と先生が言うので,そんな簡単な話じゃないですよ,という話です。

2012-07-27 20:52:09
後藤 健 @123_euglena

これは、科学という営為をどう捉えるか、とは完全に独立な事柄です。科学はかってに進みます。QT @ynabe39: 科学の範囲はますます狭くなるし

2012-07-27 20:53:45
渡邊芳之 @ynabe39

それが違うんですよ,というのが以前からの私の主張。同じことでも科学者がやれば科学で,それ以外がやれば科学じゃないということはある。 RT @Ichy_Numa: 科学者とは、科学をやってる人である。 RT @ynabe39: 「科学とは,科学者がやっていることである」。

2012-07-27 20:54:04
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 「科学という営為を捉える」ということは(すくなくとも学問としては)おそらく「科学の外側」からしかできないと思います。科学哲学や科学技術社会論と「科学をやっている人」との緊張関係はそこに生じます。

2012-07-27 20:56:41
渡邊芳之 @ynabe39

まさにそうで,なにかが「科学」であるかどうかは「科学者養成のシステム」と深く結びついているわけです。 RT @Ichy_Numa: 確かに、ダーウィンの時代とは違うわな。資格のある奴が、大学や研究所でやるのが科学になってきた。

2012-07-27 20:58:07
渡邊芳之 @ynabe39

これはトートロジーではないんです。前後を入れ替えたら成り立たないので。 RT @untitled_skz: トートロジー。 RT @ynabe39: 「科学とは,科学者がやっていることである」。

2012-07-27 20:59:01
後藤 健 @123_euglena

仮にそれが結論だったとして、その結論の妥当性はどこにあるのでしょう?科学哲学は科学界の外での営みだし、まさか、その結論に従え、とでも言いたいのかな? QT @ynabe39: 20世紀後半の科学哲学のひとつの結論だったように思います。

2012-07-27 21:00:18
後藤 健 @123_euglena

科学とは区別できない「何か」というのは、どのような認識行為なのでしょうか。QT @ynabe39: 認識論から「科学と科学でないもの」を分けることはできない

2012-07-27 21:07:27
渡邊芳之 @ynabe39

@untitled_skz 科学者とは「科学者養成システムによって養成された人材」です。「科学をやっているから科学者と呼ばれる」のではなくて「科学者養成システムによって輩出された人材だから科学者と呼ばれる」わけです。

2012-07-27 21:13:23
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 単純に「その問題について専門的に多大な時間をかけて行われた議論の結論がそうであったことは知らないより知っていたほうがいい」ということです。科学者であれば科学のことをすべて知っているわけではありません。

2012-07-27 21:14:52
渡邊芳之 @ynabe39

@JF3NRI @Ichy_Numa つまり科学者とは「科学者を養成する学校を卒業した人」であるわけです。

2012-07-27 21:15:39
渡邊芳之 @ynabe39

「自分は現に科学をやっているのだから,科学哲学者になにかいわれなくても科学については十分理解している」というのも「科学者」に典型的な反応だと思う。

2012-07-27 21:17:27
渡邊芳之 @ynabe39

実際そういうことを立派な本に書いて出版している科学者もいたはずである。

2012-07-27 21:17:51
渡邊芳之 @ynabe39

必要条件ですから,それにあてはまらない人は科学者ではないですよね。 RT @JF3NRI: それは必要条件で、十分条件ではないです @ynabe39 つまり科学者とは「科学者を養成する学校を卒業した人」であるわけです。

2012-07-27 21:18:35
渡邊芳之 @ynabe39

科学的な認識論と科学的な方法論にもとづいて科学的な知識を得ているような研究でも,科学者養成システムを経ない人がやっていることはそう簡単に科学とは呼ばれません。心理学はそれを実際に経験しているわけです。

2012-07-27 21:20:18
渡邊芳之 @ynabe39

で,現在のように「科学」と「科学者養成システム」「科学者社会」が不可分のものとなったのが19世紀末だったわけで,日本の「科学」はそうなったばかりの「科学のシステム」をまるごと導入したわけです。だからこそわずか70年でノーベル賞学者を出して欧米に伍すことができた。

2012-07-27 21:24:48
渡邊芳之 @ynabe39

@tmrmt 科学者養成システムによって養成され科学者社会に所属している人です。

2012-07-27 21:26:54
渡邊芳之 @ynabe39

科学者養成機関としての東京大学理学部ができたのが1877年,同じ年に日本初の学会とジャーナルのひとつである「東京数学会社」と「東京数学会社雑誌」が誕生します。その後1890年代までに各分野の学会が続々と成立して,わずか20年で科学者社会が成立していきます。

2012-07-27 21:31:47
前へ 1 ・・ 3 4 ・・ 7 次へ