九国大公開FD研修会

ファカルティ・ディベロプメントの代表例として
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山本 啓一 @kyamamoto

選ばれる大学になるためには、少なくとも5割の学生を高校の先生が驚くぐらいの成果を出さなければいけない。それは今の就職状況を考えると、これくらいは当然。 #ashida0801kiu

2012-08-01 15:20:59
山本 啓一 @kyamamoto

第2部。大綱化前後の話。それまで1975年の私立学校振興助成法で私学の定員管理は厳しくしていた。中曽根臨教審はこの考え方と相容れない。そこで、規制緩和し、入り口の敷居を下げて、競争させようとした。2008年からは転換し「質の高さ」を問うようになった #ashida0801kiu

2012-08-01 15:25:55
山本 啓一 @kyamamoto

「質の高さ」は「多様化」とか「個性」と対立する概念。この20年間「多様化」「個性」をうたっていた。特色GPはその路線。でも実際は、大学は選択科目でしかやってなかった。GPのタイプは、抽象主義、教室外、ワークショップ、またはそれの両方の大学ばっかり。 #ashida0801kiu

2012-08-01 15:33:15
山本 啓一 @kyamamoto

なぜそんな授業ばかり増えてきたのか。臨教審の影響。それ以外には①進学率の上昇に伴って講義が成り立たない ②教育評価がない、標準性(質)がない ③学生満足度がすべて ④努力評価主義・裁量主義 ⑤メインカリキュラム、メインの人材目標が存在しない #ashida0801kiu

2012-08-01 15:43:52
山本 啓一 @kyamamoto

たとえば体系的な教育とは、哲学でいうと、古代、近代、現代と教授がいることと思っているが、実は違う。できない学生がいる現状ではしっかりした教材を深めていかないとダメ。 #ashida0801kiu

2012-08-01 15:47:17
山本 啓一 @kyamamoto

2011年の中教審キャリア教育も中曽根臨教審を引きずっている。キャリア教育の反対語は職業教育。職業教育をやっているのは専門学校。専門学校には1流と3流はない。たとえば、より上流の専門学校に移りたいと思ってる教員などはいない。 #ashida0801kiu

2012-08-01 15:53:07
山本 啓一 @kyamamoto

専門学校で4年コースがあるがカリキュラムはスキルが積み上がっていくように設計されていない。専門教員の専門性が低いため、接遇教育とか「〜力」教育になってしまう。キャリア教育とはそういう職業教育ではなくて、息の長い人材をつくるための教育のはず。 #ashida0801kiu

2012-08-01 15:56:33
山本 啓一 @kyamamoto

文科が考えるキャリア教育とは「生涯にわたって自立した職業人を養成する」ことを目指している。でもそのために何が必要かということになると「人間関係形成・社会形成能力」といったハイパー・メリトクラシーと言ってしまう。そして「中堅」職業人育成と言ってしまった #ashida0801kiu

2012-08-01 16:00:17
山本 啓一 @kyamamoto

シングルトラック時代の学校教育と社会の接続は、リベラルアーツ→企業。国語が得意な奴が近代文学を勉強し、その勉強する力でもって社会に出ていく。現在は、それが成り立たなくなってきた。その時代は勉強ができないやつが専門教育を受けていた。 #ashida0801kiu

2012-08-01 16:03:38
山本 啓一 @kyamamoto

専門学校は、政治家の思惑(権威ほしさとか)が絡んで誕生した経緯がある。日本では職業教育はグランドデザインではなく、勉強できない学生の受け皿にしかなっていない。アメリカではハーバードとかでも職業教育が入ってる。 #ashida0801kiu

2012-08-01 16:06:34
山本 啓一 @kyamamoto

本当の個性教育とは、たとえば「この大学に行けば野村證券に行ける」というもの。実際には、中堅人材とは、リベラルアーツを得意とする人材の手足になる人材のこと。高等教育で専門学校が馬鹿にされていることをもう一度やろうとしている。 #ashida0801kiu

2012-08-01 16:08:26
山本 啓一 @kyamamoto

さらに文科は「地方人材」と言い出した。「中堅人材」より風当たりが弱いから。でも、実は、この言葉はかつては専門学校に割り当てられたもの。差別用語。キャリア教育とは3流大学の救済策でしかない。設置基準を緩めた学校を作ろうとしている。 #ashida0801kiu

2012-08-01 16:11:45
山本 啓一 @kyamamoto

ここから休憩をはさんで第2部。 #ashida0801kiu

2012-08-01 16:25:12
山本 啓一 @kyamamoto

先ほどの話のまとめ。ハイパー・メリトクラシー教育、キャリア教育は、大学版「ゆとり教育」学生の学力は落ちるし、教員の評価もできないから授業のレベルも落ちる。みんなが活発ににやってるわりにはテストができない。新卒労働市場に対応できない。 #ashida0801kiu

2012-08-01 16:29:40
山本 啓一 @kyamamoto

「学び」という言葉の登場。自動詞としての「学び」。学び主義は他者のことばに耳を傾けなくなる。学ぶことが大事なのは「まず他者の言葉に耳を傾ける」こと。他者に耳を傾けることの面白さを喚起することが本当は大事。 #ashida0801kiu

2012-08-01 16:32:55
山本 啓一 @kyamamoto

子どもの主体を認める教育は、地域と家族が全面化する。本来の学校教育は、家族から引き剥がすこと。教育の中で自分を再認識させること。メリトクラシーの恩恵を最大にこうむってるのは例えば大学教員。教室では身分や貧富に関係なく共通の教育を受けられる。 #ashida0801kiu

2012-08-01 16:36:25
山本 啓一 @kyamamoto

学校教育以前の子どもの自主性や主体性を認め始めると、家族・地域の再生産になる。そうではなくて親がダメでも引き受けるのは学校。階層をシャッフルさせるのが学校。そして例のフィシュキンのジレンマの話になる。 #ashida0801kiu

2012-08-01 16:38:39
山本 啓一 @kyamamoto

少子化の時代は、ネガティブな家族のオートノミーが全面化する可能性がある。中曽根臨教審は家族や社会と連携というが、貧乏な地域にある学校が地域や家族と連携してどうする。学校の門は地域と家族から子どもを守るため。 #ashida0801kiu

2012-08-01 16:43:40
山本 啓一 @kyamamoto

次代のニーズや親の要求をはねのけるために、校門がある。学校はいい意味で内的な体系的な教育を行うのが大学教育。学びの主体主義になると家族と地域が全面化する。家族や地域から引き剥がす機能がないと学校はだめになる。それを証明したのが関西調査。 #ashida0801kiu

2012-08-01 16:46:45
山本 啓一 @kyamamoto

関西調査の2001年の結果からは、中曽根臨教審以降、文化的階層の差が拡大していることが見えてきた。意欲に定位した教育、ハイパー・メリトクラシー教育は、意欲の低い学生を救えない。 #ashida0801kiu

2012-08-01 16:56:47
山本 啓一 @kyamamoto

意欲を抽象的に取り上げると、新学力観の狙いそのものがダメになる結果しか生まれない。新学力観に依拠した教育は、格差を拡大させる。ここで第3のまとめ終了。 #ashida0801kiu

2012-08-01 17:02:22
山本 啓一 @kyamamoto

雇用の入り口接続には2つある。それがメンバーシップ型雇用とジョブ型雇用。スペシャリスト(専門家)とは組織に対する忠誠心がないのが特徴。高級なのが大学教員。専門学校のように下に行けば行くほど世の中に必要とされなくなった時にすぐに切られる存在。 #ashida0801kiu

2012-08-01 17:11:35
山本 啓一 @kyamamoto

メンバーシップ雇用は企業の社風で選ぶ。三菱商事は組織的に動けるやつをとり、三井物産は個人的能力が高いやつを選ぶ。一流企業は社風にある人物をとっている。入社後、東京本社人事部が直轄でジョブローテーションで育成している。 #ashida0801kiu

2012-08-01 17:14:15
山本 啓一 @kyamamoto

専門学校卒は、スペシャリストなのに、学歴差別で小さな会社にしか入れず、結局スキルが評価されず人間性評価をされてしまう。就職してから組織の現実につぶされてしまう。大学生は遊んでる分、社会がわかっている。 #ashida0801kiu

2012-08-01 17:17:06