今朝「歴史的仮名遣にしたところで,古典を読むためには古語や草書を読む能力が要る」とか言ふ人がゐたけれども,それに加へて正字・正仮名遣が要求せられるのが問題であつて。
2012-08-21 14:42:44前者には寧ろさういふ問題が,所謂新字新仮名に依つて作られたことを理解せしめねばならない。後者はならば復しても大した問題はあるまいに,何故所謂新字新仮名にさう執著するのか,といふ話になる。
2012-08-21 14:51:00――――――
@Sucky_m7 それに、歴史的仮名使いだけ知ってても千年前の文献は読めないですよね。まづ変体仮名を含む連綿体で書いてあるし、そもそも古語ですし。古語を学び、連綿体を学べる人なら、現仮名と旧仮名の差なんて何でもない筈。千年後に伝えるなら言語も書き方も固定する必要が有ります。
2012-08-20 23:24:23活字出版が出來した後に、古文書を一般人が其の儘目にするなんてまづない訣で。古文書どころか、漱石あたりの自筆原稿だつて目にしない。
2012-08-21 19:20:48古文書を解讀出來る位の專門家だけが過去の文獻を讀めれば良くて、後の愚民はそこいらで叩き賣られてゐる駄文でも讀んでゐろ、と、かういふ寸法である。全く認められない。權威主義的にも程がある。民主主義國家の國民には相應しくない。
2012-08-21 19:24:51@acy んー。それを言うてしもたら、「連綿体や変体仮名は今の読者が読みやすいやうに活字化するのに、なんで仮名遣ひの部分だけ、そのままにしておく必要があるの? 仮名遣ひも同じやうに新仮名に活字化したらいいだけぢゃん」と言はれても反論できなくなるやうな。
2012-08-21 19:31:10@owmist 歐洲で筆記體で書かれた文章は、一字一字ばらされて綴り方はそのままに活字化されるけれども、日本でそれをやつてはいけないなんて法則はない。
2012-08-21 19:32:39連綿體は一字一字書くのが面倒で續け字にしただけで、活字にするときまで續け字にする意味が無い。ばらして何の問題もない。假名遣を變へて字を置き換へるのとは訣が違ふ。
2012-08-21 19:34:25@acy 私は、漢字も仮名遣ひも変体仮名も連綿体も、全て「文献」を構成する等しく大切な要素やと思てるので、活字化の過程での変体仮名から現行仮名への書き換へと、旧仮名遣ひから新仮名遣ひへの改変は、私には同程度の問題に感じられるんです。
2012-08-21 19:41:35@owmist それに、假名の意識については、變體假名は異字體が澤山あるけれども、いろは四十八といふ意識は結構昔から成立してゐたのでは? 後はどの異字體を使ふのか、つてだけの話で。
2012-08-21 19:45:44@owmist 筆で書いた其の物を藝術の對象とする「書」の限りに於いては、私も連綿體やら變體假名に意義は大きにあると思つてゐる。でも、文獻として、讀み物として側に置いて讀むときに、どこまで意味があるのか。兩者は區別されて良い。
2012-08-21 19:47:59@acy なんといふか、旧字旧仮名遣ひを読めないのも、書家や専門家しか変体仮名や連綿体に接する機会がないのも、「過去との断絶」といふ点では同じぐらゐ問題やと思ふんですよね。
2012-08-21 19:49:33@owmist 筆書き出來ない人が增えてゐるのは、自分も含めて確かにみつともない話ではある。ただ、假名遣の變更は道具によらず影響する問題で、餘計に深刻なやうに思へる。
2012-08-21 19:53:05@acy @owmist 欧文でも古い作品のlong s(ſ)は普通のsで代用して印刷する事が多いけれど、knowとnoをnoに統一するやうな馬鹿な真似はしないのと同じで、変体仮名と仮名遣は分けて考へた方が良ささうですね。
2012-08-21 19:57:06