- ttt_ceinture
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@cosmogarden ライプニッツのそういう側面が強く出ているところほど、逆に非合理的でドロドロしているんですよね。。吉本が俳句について語っていた環境と詠む者の「逆転」というのは、それ自体が俳句の美の方法論になっていた。言い換えると、美的直観の在り方だった。
2010-07-21 12:51:06@cosmogarden 吉本だとこの逆転で、作者とは別の視線が出てくるという議論になるし、たぶん彼の後の、世界視線だとかなんだとかの議論ともつながると思う。
2010-07-21 12:53:53@cosmogarden この前くくのちで「自然契約」の話をしたときも、結局は美的直観の話としてこれを精錬させないといけないと実感したけど、俳句にもそのヒントがある気がする。
2010-07-21 12:54:20@omnivalence 何か仮定があって、それを前提に、こうならばこうだろう、と理にかなった方向へと持っていっている感じです。微小表象も感覚、知覚出来ないのに、あるはずだ、なければならい、ってとこから語ってますしね。
2010-07-21 12:36:51@omnivalence 美的直観も何か、大そうなものだという感覚よりも、日常での美的なものの発見、認識という方向があるのではという気がします。ライプニッツの場合は 何か単純な形式から、いかに多様なものが出てくるか、そういうものの調和の直観。むしろ調和への願望でしょうか。
2010-07-21 13:04:42@cosmogarden 無意識=世界について語った哲学でもあると。こう書ききっちゃうと乱暴ですが。で、肝心かなめの部分は調和や美というものが目安にもなるんだけれど、その基準をもっと明確化したいなぁ。。吉本の「環境からの逆作用」みたいな発想も面白いんだけど
2010-07-21 13:09:30@cosmogarden 多様性が出てくる、というのも大事な基準ですね。。吉本的な「環境からの逆作用」を、ピエール・レヴィがいう「メビウス効果」と結びつけて考えられないかなぁ。。しかしそれだとライプニッツとはずれるのかな。多様性も大事だけど、あえて二元論的にそれを語りたいんだよな
2010-07-21 13:13:46@omnivalence むしろ、曖昧なもの、日常的なものを、どう調和や美といった形式にまで引き上げるか。そいったことや、日常の豊かさなどを肯定するための、曖昧さの肯定の様なものがあるのかと思います。
2010-07-21 13:01:46@omnivalence 美の基準はちょっとわかりませんが、調和に関してはバランス、均衡、平衡ということが一つ基準になるかと思いますが、まだまだ曖昧なので、このあたりも明確化させたいと思います。
2010-07-21 13:14:45@omnivalence 相互作用や、組み合わせということで、もう少し概念や体系を織り上げてみたいので、今はそのための整理期間という感じです。大分かかりますが、きちんと考えて整理したいです。
2010-07-21 13:16:02『善の研究』を読んでいるが、西田の「純粋経験」は概念として提出されているが、いろいろ入れ込まれて、体系へと昇華していっているような印象を受ける。
2010-07-21 13:17:15@omnivalence 二元論的に話を進めていく中で、多様性みたいなことが言えないでしょうか。多様性ありきで話を進めていくのも、良いのでしょうが、何か違うと言うか、物足りないような気がします。
2010-07-21 13:21:29@cosmogarden そこなんだよね。あんまり平衡とかバランスが美だとは、少なくともセールは考えない。「敢えて二元論的な論理構成を採りつつ、多元論を語る」というのを、美的直観について理論化したいんだけど、それは「世界の全体的調和」を語らすに、理論をつくりたいからなんだよな。
2010-07-21 13:19:32@omnivalence その理論、素敵ですね!! ライプニッツの予定調和は何か究極の一手のようであまり好きにはなれないんです。確かに、調和を語る、神がいるとか考えると言っていることはわかるのですが、現代でそう言われても、物足りなさを感じます。
2010-07-21 13:24:33@omnivalence ルクレティウス論も見ておこうと思ったのですが、『干渉』が意外と重い上に、おもしろくて……ベルクソンはデカルト的段階だと批判していますね。
2010-07-30 18:21:31@cosmogarden 現代科学論で再構成したモナドロジーなんですよね。ベルクソンは、デカルトより後の段階だといってなかったかな。だいだいこういうのはトリアーデだよね。
2010-07-30 18:29:11@omnivalence 現代科学論的モナドロジー、確かに『干渉』にはそんな印象を受けます。ベルクソンも「主観的-主観的」段階だったと思います。
2010-07-30 18:44:25@cosmogarden ああ、邦訳でいうと84ページくらいの議論を踏まえて言ってるんですね。このあたり、特に辛辣なところで、ベルクソンを古典主義とまでいってしまう。それはそれで面白い議論なんですが、
2010-07-30 19:16:43@cosmogarden たとえば『北西航路』の、「固体、流体、炎」なんかでは、トリアーデを形成しつつ、デカルトの次の段階にベルクソンを持ってきてます。後の書物でも大体そういう含意ですね。
2010-07-30 19:19:46@omnivalence ベルクソンの位置づけが異なるんですね。セールの「固体論」が気になるところです。すこし、ルクレティウス論ものぞいてみます。
2010-07-30 21:31:44@omnivalence いや~良かったです。もう一度、『干渉』をやって、「モナド的干渉」の辺りもやりたいですね。
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