『西洋美学史』twitter読書会 14章~15章

小田部胤久著の『西洋美学史』を、なんとなく集まった専門バラバラ文系民で読み進めた読書会の試み第六回まとめ(8/27)。
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DG-Law/稲田義智 @nix_in_desertis

@ja_bra_af_cu 記号と寓意の違いってなんだよ!って話もありますよw #西洋美学史読書会

2012-08-27 23:12:49
jabrafcu @ja_bra_af_cu

@nix_in_desertis 何かで別のものを意味するやり方が社会的なものである以上、なかなか綺麗に分類するのは難しいんでしょうねw #西洋美学史読書会

2012-08-27 23:15:19
tieckP(ティークP) @tieckP

@twidokusho 寓意は、人間の有限性と神の無限性が成り立つ状況で使われる、というのと、あとはレトリックと結びつくような気がするんだよね。たんなる=で結びつくのではなく、一つに限定されず拡張する関係性みたいな。 #西洋美学史読書会

2012-08-27 23:16:58
シノハラユウキ @sakstyle

@twidokusho 記号と寓意は、指示作用がちゃんとしているかどうか(?)で区別できると思うけど。ティークPさんがいうように、寓意は1つに限定されないから。記号と呼ばれるものは、わりと一意に定まっていると思う。あとは、「記号」という言葉に一体何まで含めるかだけど。

2012-08-27 23:21:10
tieckP(ティークP) @tieckP

@twidokusho さっきの鳩と平和の例で言えば、平和は不変であり、無限に続くものだけど、僕らの世界にはその無限性を表せるものはないから、どうしても不足を伴う、無限を持たないものによる指示になってしまうということ。 #西洋美学史読書会

2012-08-27 23:20:31
jabrafcu @ja_bra_af_cu

@tieckP ということは寓意よりむしろ象徴ということになりますね? #西洋美学史読書会

2012-08-27 23:21:29
tieckP(ティークP) @tieckP

@ja_bra_af_cu いえ、普遍【平和)と特殊(鳩)は重なるものでない以上、この指示は「象徴」のような一対一の指示性は持てないと思うのです。

2012-08-27 23:24:51
jabrafcu @ja_bra_af_cu

@tieckP ふむむ。ミロのヴィーナスでも美そのものを表すわけじゃないですよねえ。「普遍と特殊が絶対的にひとつ」っていう自体がよくイメージできないw #西洋美学史読書会

2012-08-27 23:28:01
DG-Law/稲田義智 @nix_in_desertis

@ja_bra_af_cu そこを突かれると多分崩壊するようなw

2012-08-27 23:30:00
tieckP(ティークP) @tieckP

@ja_bra_af_cu なんというか、これまたイデア論に近づいてる気がするのですがw、ミロのヴィーナスは、それそのものが「ミロのヴィーナスの美」を象徴しているのであり、そうしてそれぞれに美しいものは多数あるのですが、おそらく無限なる美の分有ではないのですねw

2012-08-27 23:31:22

このミロのヴィーナスについては、当時の美が無限とすれば美の神に擬人化し、それを像にする二段階の過程で有限化が隠蔽されているという予感。装置としてよくできてるなと。(tieckP)

ほとけ🐶 @schwer_metall

@ja_bra_af_cu @tieckP 「可視的な直観がそのまま不可視的な意味の認識になる」ていうことなはずですけどまあやっぱイメージ出来ないですねw とにかく形而上学的に連関していると

2012-08-27 23:32:53
シノハラユウキ @sakstyle

@ja_bra_af_cu ヴィーナスは美の神様なので、=美なんですよ、きっと。例えばですけど、ギリシア人に対して「無限」を表現しなさいって言ったらきっと「無限の神様」の像を造るんじゃないですか。というわけで、有限なものに従属してるわけです。

2012-08-27 23:33:47
DG-Law/稲田義智 @nix_in_desertis

@tieckP 多分そういうことで,シェリングの中ではミロのヴィーナスは美のイデアの体現なんだよきっと,的な。 #西洋美学史読書会

2012-08-27 23:33:58
DG-Law/稲田義智 @nix_in_desertis

とか書いてたらsakさんが同じ事書いてた。 #西洋美学史読書会

2012-08-27 23:34:28
DG-Law/稲田義智 @nix_in_desertis

実はこの章を読んで一番納得したのは最後の著者の指摘で,アレゴリー同様に象徴も解体されてしまうんだろうな,という。象徴体系も普遍性は高くなく,文化依存であるように思う。表現と内容がルール抜きに一致するなんてのは難しい。 #西洋美学史読書会

2012-08-27 23:31:28
シノハラユウキ @sakstyle

@ja_bra_af_cu でも、鳩は別に「平和の神様」ではないんですよ。「平和」というのは「無限」と同じで、実際には表現できないもので、だから「平和の絵を描きなさい」と言われても本当は描けない。ところが、ピカソが鳩を描いたら、なんか平和っぽく見えちゃったw

2012-08-27 23:35:59
シノハラユウキ @sakstyle

@ja_bra_af_cu というか、多分あの鳩は、平和な世界において空を飛んでいる鳩で、「平和」というもののごく一部分だけでしかない。で、その一部分だけを見て、「平和」という全体を想像している。もし「平和の神様」だったら、それが平和全体を表していることになっている

2012-08-27 23:37:47

この「ミロのヴィーナスは美の象徴」だけど「鳩は平和の寓意」というたとえは割りといい線ついているんじゃないかと。半分自画自賛ですが。(DG-Law)

シノハラユウキ @sakstyle

なんか、ベンヤミンは象徴を「総体性」、アレゴリーを「断片性」と言ってるらしい。てらまっと論文からの孫引きだけど。さっきのじゃぶらふさんへのリプライで、部分と全体と言ったのは、これが念頭にあった #西洋美学史読書会

2012-08-27 23:42:06
jabrafcu @ja_bra_af_cu

@twidokusho 表現形式の問題かという気もしてきた。詩や彫像だと感性的な領域にとどまるから無限は表現できないけど、それで何かを意味する(文字のように、物語のように)よう寓話化すると人間のイマジネーションによって無限を読み込める的な #西洋美学史読書会

2012-08-27 23:38:32
DG-Law/稲田義智 @nix_in_desertis

@ja_bra_af_cu その理屈で「感性的な領域で表現できるものを,人類の精神が追い越してしまったから,芸術は終焉した」と言い切ってしまったのが,まさにヘーゲルですね。おおつながった。 #西洋美学史読書会

2012-08-27 23:39:58
シノハラユウキ @sakstyle

最後にリオタールの「表象不可能なもの」についてちらっと出てたけど、そこらへんについては自分はこの本が面白かった。 桑島秀樹『崇高の美学』 - logical cypher scape http://t.co/h0fd1FdI #西洋美学史読書会

2012-08-27 23:44:29

自分もこの本を推薦しときます。崇高論なら外せない。(DG-Law)
http://blog.livedoor.jp/dg_law/archives/51558320.html

その後ググった範囲ではこちら(http://www.lunalala.jp/proclus.lecture1.2.html、ページ中段あたりから)がわかりやすかった。

記号論風に言うと、象徴は記号と意味されるものが類似するなどの有契的な結びつきをしていて、反対にアレゴリーは意味するものとされるものの間に必然的な関係はない(恣意的に結びついている)。上で議論したこととも当たらずとも遠からずな感じ。

ここでいわれてる象徴とアレゴリーはそれぞれパースの区分でいうイコンと象徴にあたるように思われます。
(ja_bra_af_cu)

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