『ティマイオス』
- Abraxas_Aeon
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神はこの「宇宙の魂」を、宇宙全体を貫いてひきのばし、さらに外側からも身体の周囲を魂で覆ったとされる。そのようにして、円を描いて回転する球状の唯一つしかない宇宙を据え置いたのだという。
2010-02-05 02:29:05「外側からも体の周囲を魂で覆う」とは、宇宙の外にも魂が広がっているというわけではない。それは宇宙の一番外側の天球自身もまた、魂によって円環運動をなすものだということが意味されている。
2010-02-05 02:29:41この「宇宙の魂+宇宙(万有の身体)」は、優れた性質を備えているが故に、自ら自分と交わることができ、ほかには何ものも必要とせず、自分で十分に知己たりえ友たりえた。こうして、当にこれらの条件全てによって、神はこの宇宙を、幸福な神として生み出したとある。
2010-02-05 02:30:12ユングの高弟ノイマンによると、球であるこの宇宙は自己完結的なものであり、始原も終極も持たないという。世界のできる以前の完全性であるこの宇宙は、いかなるときの流れにも先立ち、永遠である。なぜなら球(あるいは円)という性質には時間と空間がないからである。
2010-02-10 21:10:08宇宙を球として仕上げたとはいえ、そこではまだ何も始まっていない。それは言うなれば宇宙卵であり、世界が生成される以前なのであって、この状態から世界が生成するのである。球は対立物を包含している完全なるものであり、始原(α)であり終極(ω)である。
2010-02-10 21:10:35αであるとは対立物がまだ分離しておらず、世界が始まっていないからであり、ωであるとは、対立物が再び綜合されて、世界が再びその中で安らいでいるからである。そして「α=ω」は、対概念が対消滅していることを意味するから「始原も終極も持たない」ともいいえるのである。
2010-02-10 21:11:03同じような状況は、『創世記』の冒頭、ユダヤ神秘主義カバラの「アイン・ソフ(エン・ソフ)」、グノーシス主義のアイオーネスで構成される「プレーローマ」、老子の述べている「太極」、インド神話の「宇宙卵」、錬金術の「世界卵」などが該当している。
2010-02-10 21:11:19プラトン『饗宴』に登場する両性具有の原人(アンドロギュヌス)も、手足が四本ずつあるとはいえ球形であった。対立物を包含している完全なるものは、自足しているが故にこそ完全だといえる。ここでは詳しくは触れないが、シュジュギア神話と兼ねて考えてみるのが面白い。
2010-02-10 21:11:41『ティマイオス』の「宇宙の魂+万有の身体としての宇宙」は、自己充足的で自己満足的であり、「一なるもの」として自らのうちに安らい自己回転運動している。それは一個の独立したものとして自己完結的で永遠であるということであり、完全なるものだということの印である。
2010-02-10 21:12:07安らうものは絶対なるものであるから静的永遠であり、変化もなく、そのため歴史もない。しかし、同時に他方では、創造的なるものが生まれ、芽生えるところとなりうる。
2010-02-10 21:12:35ユングやノイマンは、『ティマイオス』に限らず宇宙創世神話の始原において必ずといっていいほどに共通して表れているこのような元型的な特徴が、ウロボロスという象徴的表現をまとって現出しており、これは人間の意識の発生以前の状態を表していると説明するのである。
2010-02-10 21:13:34さて、ティマイオスの内容に戻ろう。「宇宙の魂」の組成と構造についてである。これは若干難しいが、知的好奇心をくすぐるものがあるのでじっくり触れてみることにしよう。「宇宙の魂」はギリシア語のプシュケーに該当しており、それは「生命力」とも訳しうる語である。
2010-02-11 21:48:40神の工作においては「宇宙の魂」の方が「万有の身体としての宇宙」よりも生まれが新しいというわけではなかった。神は、魂と身体とでは、身体が支配さるべきものであるのに対し、魂はその主人となり支配する側になるものとした。
2010-02-11 21:48:56神は「宇宙の魂」を、生まれにおいても、力量においても、身体よりもより先なるもの、より長老のものとして構成したのであるが、この魂を構成した際の材料と方法についての記述が、ちとやっかいである。これについて解釈するためには「有」「同」「異」について触れなければならない。
2010-02-11 21:49:16この「有(ある)」「同」「異」についての意味解釈は多岐に渡っている。ここでは全部取り上げるというわけには行かないので、コンフォード及び種山恭子の訳注・補注を参照した図式と意味を参照するにとどめたい。
2010-02-11 21:49:33これを解釈していくと、まず宇宙の魂は、「不可分で同一を保つ理性対象」と、「分割可能で多性を備えて変化する感覚対象」の双方にかかわるものとして、その「在り方」は、後二者の「在り方」のどちらにも与るものであるといえる(a”=a+a’であるということ)。
2010-02-11 21:51:00その「在り方」に両面を持つ魂は、確かにその単一で、同一的な面で理性対象にかかわり、多性を備えて変化する面で感覚対象にかかわるが、しかし、このどちらの次元の対象についても、「同じ」「異なる」を判断しなければならない。
2010-02-11 21:51:17したがって、宇宙の魂は、思考対象に見られるような厳密な「自己同一性」と、感覚対象に見られるような「自己同一性」の双方に与るものであり(b”=b+b’であるということ)、「他からの相違性」にしても同様だ(c”=c+c’であるということ)というわけである。
2010-02-11 21:51:32ティマイオスの続き投下します。魂と音階についてです。音階については専門的な知識に欠けるので、フォローがあればよろしくお願いいたします。
2010-02-12 21:05:22神は、このように宇宙の魂を構成した後、今度は逆に、その全体を、適当な数の、しかもどれもが「有」「同」「異」から混ざり合わさっているような部分に区分したという。その分割を、神は以下のようにして行った。
2010-02-12 21:05:55まず全体から一つの部分を切り離す(第一の部分)。次には第一の部分の二倍の部分を。第三には第二の部分の一倍半で、第一の部分の三倍に当たる部分を。第四には第二の部分の二倍を。第五には第三の部分の三倍を。第六には第一の部分の八倍を。第七には第一の部分の二十七倍を。
2010-02-12 21:06:13