武谷三男 『資本論』第1章における 価値と その実体について
長谷部文雄による 『資本論』 訳は 戦前の 日本評論社販 (戦争により 中断)、戦後すぐの 日本評論社販、続いて 青木文庫版、1961年から 刊行された 角川文庫版、最後に 河出書房 『世界の大思想』シリーズ中の 3冊として 1964年に 出版されている。
2012-10-16 12:00:58「比喩的にいえば『資本論』は精巧に編みあげられた網のようなものである。どの結びめも他のすべての結びめとつながりあっている。第1巻首章の理解は全巻の理解を前提とする。
2012-10-16 12:07:33「といっても、一応全巻を通読した者にとっては、つねに念頭に浮べられていなければならない文章は全体の十分の一にも達しないであろう。
2012-10-16 12:09:43「『自然科学と社会科学の現代的交流』(理論社販)中の、価値論に関する武谷三男氏の説を一読したさい、日本のマルクス経済学者でも武谷氏ほど価値論を理解している人が果たして幾人あるであろうかと思った。
2012-10-16 12:14:40「武谷氏が『資本論』全巻を研究されたかどうか知らぬが、もし第1巻を読まれた程度であれだけ深い把握をされたものとすれば、それは武谷氏の天賦の脳細胞の働きのせいばかりでなく、専門の理論物理学の領域であれだけの仕事をされたこととの因果関係において見なければならぬと思う。
2012-10-16 12:18:16「一つの特殊科学をマスターしている人が他の特殊科学における本質的なものを凡庸な専門家よりも遥かに深く把握しうることは、マルクスにおいて幾らでも例を見出しうるであろう。
2012-10-16 12:20:51『自然科学と社会科学の現代的交流』 は 現代経済学の 杉本栄一の 設問に 武谷三男が 答えるかたちの 討論を まとめたもの。 その後、井上健編 『科学の思想 (1)』(筑摩書房刊 「現代日本思想大系」) に 武谷三男の 発言部分のみを 収録。 武谷三男著作集にも 収められた。
2012-10-16 12:36:09「今までの経験があって、これらの要約として新しい実体を導入すべきだということになった場合でも、もしこの実体の導入がすでに得られた経験だけを満たしているというのならば、物理学者は新しいものを導入してもしなくても同じだから、こんなものは意味がないという結論になってくる。
2012-10-16 12:46:47「どころが 新しいものを 導入しますと、必ず これが 他の 方へ 尻尾を 出しますので、こういうことによって 検証が できるのです。
2012-10-16 16:57:56「ただ A,B,Cという経験にたいして、それ以上のことを意味しない新しい概念を導入して、それでどうしようということではないわけです。
2012-10-16 17:00:48「必ずこれが次に尻尾を出してくる場所があるわけです。だから物理学では、導入した概念にたいして必ずそれが他の場面でバラされるということが常に成り立っているし、またそういう体系でもあるわけです。
2012-10-16 17:04:10「マルクスの資本論の第1章にあるような社会的以外の何ものをも含んでいないもの、そういう意味の価値と、それにたいする価値実体という関係はやはり普通の意味のズブスタンツ(実体)ということがいえると思います。
2012-10-16 17:13:26「もちろんその場合、社会構造というものも実体ですけれども、それは価値実体と複雑に関連させられているものです。価値実体というものはそういうものだと思うのです。
2012-10-16 17:15:22「それから価値実体ということからつながって、マルクスの資本論の重要な基本構造は、やはり理論がいわゆる経済学の範囲というものだけにとどまっていないということだろうと思うのです。
2012-10-16 17:17:32「価値実体といっても、これは労働ということに求めてゆくわけでしょう。この労働というところにもって行くと、はじめて価値というものにたいする一つの価値の測定の基準というものがでてくると思います。
2012-10-16 17:20:25「それはどうしてそういう構造になるかというと、一つは純粋に社会的な要求、つまり経済学的な概念がそれだけで自立しているということでなく、やはり自然の発展としての社会において、労働力というものは自立的要素の最後の抽象的な要素だと思います。
2012-10-16 17:24:28「やはりマルクスの資本論の第1章でいっているように、労働で測られる価値というものは、一方において生理学的に抽象された人間労働というもので基準がきまっている。
2012-10-16 17:26:52