それはどの様に語られるか。 「無断転載される権利」「権利」「自由」
@3or7935 難しいですなぁ。「文脈」というのはおそらくある、と考えています。「正しい文脈」はよく分からないですね。文脈を「正しく認識出来るかどうか」という点は、あると思います。
2012-09-07 01:00:43@ah0cat では「正しく認識している」と認識できるのでしょうか?文脈から言葉の意味を読み解くとして、意味を知ると感じるときに文脈がなければならず、当然に何らかの文脈見出していると認識できますが、その認識が正しい認識だと、事実として「知る」事はできるか?
2012-09-07 01:06:12@ah0cat その文脈の認識が、正しいか、誤っているかは会話が成立している、ズレていると言う事をヒントに推測するのがせいぜいであって、であれば言葉の意味もそうである、と言う事になりそうですが
2012-09-07 01:19:03@ah0cat ズレが生じていないと感じている時にあっても文脈の誤読でよりそう感じているだけかも知れない、ズレていると感じる時には常に誤読と見ても良さそうではありますが、つまり今我々は会話を成立させているだろうと推測はできたとしても確信するに至るだけの根拠は見出せないはずです。
2012-09-07 01:20:58@3or7935 しばらく咀嚼してみました。その通りだと思います。ゆえに私は会話において「こうである」と言い切るのが非常に苦手です。> つまり今我々は会話を成立させているだろうと推測はできたとしても確信するに至るだけの根拠は見出せないはずです。
2012-09-08 17:32:38@ah0cat ちょっとまとまりを欠いてきましたね、まぁその界隈がどういう状況であるかを議論するのは良いとしても、その上で個別の意志がどの様な選択をするかと言うのは各々が見出す個人的利益が問題になるのだと思います。
2012-09-09 02:15:03@ah0cat 個人的な理念としてはその場に特別な利害関係者が介入すべきでなく、責任の取らない第三者が介入すべきでない、と言う立場かなぁと感じます。また何かが断定される事を嫌うのでカウンター中心の発言にもなったりしますし、まぁその解釈も曖昧なんで自分でも分からない所はありますが
2012-09-09 02:17:16@ah0cat 少々話が飛びますが集団利益の追求はその集団におけるマイノリティの疎外を生みます。それは集団である以上不可避ですが、それは差別的でありいじめ的構造です。それを「許されない事だ」とは言う気もないのですが、感情としてどう消化すれば良いかと言う問題を感じています。
2012-09-09 02:23:41@ah0cat 最大利益の獲得のためリスクを取るか?と言ってその行動する人の意志として「拒否の明示ない無許諾の二次創作は黙認され」なければならず、違法ではなくてはならず、違法に不満を感じる。
2012-09-09 21:08:28@ah0cat 所で不満は何故に発生するか?と言って、「自分の解釈と異なる解釈である」若しくはもっとその視点によれば「事実と異なる解釈である」
2012-09-09 21:10:51@ah0cat しかし、これは今回の事例に限定されているようでもっと一般化するば、「それがあるべき形を為さない時」であって、これはある規範を前提にしている状態であるわけですよね。なぜ規範は発生してしまうのか?人間はなんらの規範を持たない事が可能であるか?
2012-09-09 21:13:04@3or7935 その規範とは、すなわち価値観そのもの(の一端)であって、それが無いというのは、ちょっと想像出来ません。ある特定の事例について、価値観を変えるというのは、あるいは可能かも知れない、とは思いますが。
2012-09-09 22:54:13@ah0cat 何かが「あるべき」と言う規範として、価値観そのものではないとして、価値観と言う根源的感覚が個人の認識的規範を作るのか?であれば、どの様にして価値観は形作られるか?若しくは規範はどう発生するか?と言う事に先だって不満とは価値観と事象の相違で発生するのか?辺りが問題か
2012-09-09 23:06:49@3or7935 価値観は、伝聞等も含んだ体験を元に形成されると考えられます。個人的にはそのものだと思う点はさておき、価値観が感覚であり、そこから規範が発生するとすれば、おそらくは、感覚と体験(行動)の因果を整理、紐付けすることで、規範として纏め上げられるのではないでしょうか。
2012-09-09 23:24:38@ah0cat その体験と言うのは記憶としての体験?体験により理として認識する物と感覚が育まれるのではなくて、感覚と体験は別の物になりますか?
2012-09-09 23:29:55@3or7935 「不満」を何と捉えるかですが、より一般的には「欲求と事実が異なるため」発生するのでしょう。まぁなんといいますか「お腹減った」は今話題にしている「不満」に含まれるかどうか。
2012-09-09 23:30:21@ah0cat ここは個人的に、おなかが減ったからご飯を食べられる「べき(はず)」と感じる時に食事にありつけないと不満が発生するのではないか?と考えてそうなるべきそうであるべきと言う意味での「規範」と言う概念を持ち出しました。
2012-09-09 23:33:26@3or7935 何かを体験したときの感覚も含めて体験と考えています。また、体験は瞬間の物ではなくそこに至るまでの道程も含めて体験としています。価値観としての感覚は体験における感覚を分類した物と捉えました。同じような体験であれば同じ様に感覚する、というのが価値観ではないかとの仮定
2012-09-09 23:45:14@3or7935 であれば、「不満は価値観と事象の相違で発生する」として良いと思います。ただ、価値観てひどく根源的で広範囲なんで、うーん、ちょっと、なんというか・・・モニョモニョしますね。
2012-09-09 23:51:32@ah0cat 体験から感覚はなり、それは価値観を発生させる。それが価値観である以上、触れることのできる自称の評価はその価値観に縛られる、例えば言葉の意味を理解するのもそうだし、何らかの行為の善悪の決定にもそう、そしてそれらは体験からなる。と
2012-09-09 23:51:33@ah0cat 事象の評価、そこで考えるのはある個人間で意見が対立した時に、それは体験の違いによる価値観の違いによって発生する。その時に「正しい事とは何か」と言うのを問題にしたい、それは各々が感覚として持つだけの物かはたまた絶対的に存在し、それは「正しい体験」によって知るものか?
2012-09-10 00:06:09@3or7935 むー・・・それは文脈によるキメの問題のような・・・。一応一般論のままで考えてみます。まず、誤解から生まれた価値観は正しくないと考えます。そうで無い場合、価値観としてはどちらも正しい。
2012-09-10 00:21:14@3or7935 次に所属するコミュニティの価値観に照らし合わされ、判断されると思います。つまり、法と多数決。ここでマイノリティは、価値観として正しいにもかかわらず、誤っているとされることがあります。ん・・・この辺りの話?
2012-09-10 00:25:27@ah0cat う~んとちょっと厄介な問題ですが誤解とはなんでしょうか?またそれはつまり「絶対的な価値観」の様な存在があると言う事でしょうか?
2012-09-10 00:26:09