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それはどの様に語られるか。 「無断転載される権利」「権利」「自由」

若しくはどの様に語られたか。それというのはどの様にあるべきか、前提は見た目には唐突に現れます。知らない何かを本当に考えるというのは難しい。
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ah0cat @ah0cat

@3or7935 事実の誤認です。単なる例ですが、誰かがミカンを食べて「ミカンはすっぱい」という価値観を持ったとします。しかし、実はレモンでした。この時「ミカンはすっぱい」は誤っている。絶対的な物はないと考えています。

2012-09-10 00:34:33
あーるえっくす。 @3or7935

@ah0cat それは言葉が事実と異なっている言う意味ですか?

2012-09-10 00:35:47
ah0cat @ah0cat

@3or7935 いや、言葉の問題ではないですね。レモンを見て「ミカンという名前」だと思った話ではなく。うーん、例示もなかなか難しい。でもまぁ事実の誤認という意味では近いかも知れませんが。

2012-09-10 00:41:24
あーるえっくす。 @3or7935

@ah0cat なるほど、「事実として」「それ」があって、「「それでないもの」を「それ」と思い体験し「それ」の性質を判断してもそれは誤解である。

2012-09-10 00:44:48
あーるえっくす。 @3or7935

@ah0cat 言葉に支配されない体験を考えるの難しいですが、その体験をした時に「これはすっぱい」と体験する状態を考えます。その時に「これ」を「あれ」だと誤解すると言うのはどういう状態なんでしょう?

2012-09-10 00:53:19
あーるえっくす。 @3or7935

@ah0cat つまり私的体験としての「これがすっぱい」は事実です。しかし「これ」は「これ」でなく「あれ」だった。と言うのは考えて見ると妙です。「レモンを食べてすっぱいと思ったが」それは「ミカンだと思っていた」ために、ミカンを「見て」これはすっぱいと思うのでしょうか?

2012-09-10 00:55:13
あーるえっくす。 @3or7935

@ah0cat その時の誤解の仕方を考えると「ミカンを『見て』レモンを食べた結果ミカンと言う形をすっぱい食べ物だと思った。」と言う事実がある状況ですね。

2012-09-10 01:00:13
ah0cat @ah0cat

@3or7935 千差万別で、語る話でもないと思いますが、代表的には騙された時。他には思い込みとかですかね。んー、ミカンとレモンは見た目が違いすぎるかも知れませんな・・・まぁ、あまり適切で無かったようなので、忘れて下さい・・・

2012-09-10 01:01:05
ah0cat @ah0cat

@3or7935 似て、かつ明確に違いが分かるものは、思った以上に少ない模様。現実では他人の嘘を追体験して、そうなったりすることが多いですかね。

2012-09-10 01:09:43
あーるえっくす。 @3or7935

@ah0cat う~ん難しくなってきました、つまり「誤解せず体験し獲得した価値観は正しい」賛同できそうです。誤解は事実と反する事象であると定義しています。

2012-09-10 01:16:39
あーるえっくす。 @3or7935

@ah0cat では誤解をしているか否かはどの様に知る事ができるのでしょう?

2012-09-10 01:17:54
あーるえっくす。 @3or7935

@ah0cat 自身がその価値観を持っている状態であって、それが正しいと思うか否かは、誤解を含む体験をしていないと信じるか否か、と言う事になると思います。

2012-09-10 01:21:13
あーるえっくす。 @3or7935

@ah0cat あと例えば「すっぱいミカンを食べた体験」から得る「みかんはすっぱい」と言う感覚は正しい価値観であって「レモンをみかんだと思って食べた体験」から得る「みかんはすっぱい」と言う感覚は誤った価値観と言う事になります。

2012-09-10 01:29:22
ah0cat @ah0cat

@3or7935 誤解を検知出来るのは新たにした体験が価値観と矛盾した時でしょうか。

2012-09-10 22:05:53
ah0cat @ah0cat

@3or7935 そうだと思います。> 誤解を含む体験をしていないと信じるか否か

2012-09-10 22:07:50
ah0cat @ah0cat

@3or7935 その点もそうなりますね。>ミカンと思って...

2012-09-10 22:12:59
あーるえっくす。 @3or7935

@ah0cat 誤解を含む体験とはどう言うモノかがいまだ今一つしっくり来ない。例えば、初めて「果物」を見てその存在を知った人間がいる、目の前にレモンとみかんが一個ずつあり、その時それらを「果物」だと決める。レモンを食べて「果物」がすっぱいと思うのは誤解の体験でしょうか?

2012-09-10 22:22:39
ah0cat @ah0cat

@3or7935 繊細な問題です。しかし、ある一部をもってして全体を判断し、全体に異なる事例が含まれる場合「誤解である」と考えます。

2012-09-10 22:30:28
あーるえっくす。 @3or7935

@ah0cat ではこの場合にあってはみかんがすっぱいか否かで誤解か誤解でないかが決定される?

2012-09-10 22:32:08
ah0cat @ah0cat

@3or7935 その世界で果物がミカンとレモンで全てならば、それで確定されます。そうでないならば、ミカンがすっぱくないなら誤解であり、ミカンがすっぱいなら「果物はすっぱい、は誤解ではない」という仮定が留保され、価値観が維持されます。

2012-09-10 22:35:52
あーるえっくす。 @3or7935

@ah0cat ではそのみかんの味を確かめる前に腐ってしまい「果物でない」状態になった時には果物はすっぱいは「誤解のない体験」なのか「誤解の有無が確定できない体験」か、しかし事実としてそのみかんの味があり、知り得ないが「誤解を含む体験か誤解のない体験のどちらか」である、か

2012-09-10 22:42:12
ah0cat @ah0cat

@3or7935 若干比喩的で捉え辛い部分がありますが、既に世界からミカンが消失しているなら、その時点で果物はレモンで全てであり、誤解がないと確定されると思います。

2012-09-10 22:49:44
あーるえっくす。 @3or7935

@ah0cat その状態をもう少し詳しく限定します。先ずレモンとミカンが1個ずつあり、その「2個」を「果物」だと「決めた」レモンは食べた為になくなり味はすっぱいと感じ、ミカンは破棄されてなくなった。故に「果物」は現在存在しない。「果物がすっぱかった体験」に誤解はあるだろうか?

2012-09-10 22:54:19
ah0cat @ah0cat

@3or7935 んむー。哲学としては、どう表現したものか、難しいですね。実利の面では、それが否定されることは有り得ないため、誤解はない「と同等であるとみなせる」、となるでしょうけども。

2012-09-10 23:03:01
ah0cat @ah0cat

@3or7935 現実の比喩であれば後者の内容で十分で、すなわち「誤解はない」でしょう。思索の追求であるなら、誤解である可能性は否定できない、と考えます。

2012-09-10 23:04:18
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