先ほどナボコフの『透明な対象』の冒頭の父親の遺体の処理を巡るツィートを即刻消しましたが、深い意味は無く、訳書を見たら「火葬」にしたと解釈しているようで、まあそれでいいんでしょうと思ったからです。
2012-11-22 15:25:40僕が拘ったのは「叔父」が火葬を第一に勧めたと書かれた後に主人公は「一番勧められない方法で遺体を措置した」と書かれているからです。まあ「キリスト教国(イスラムでも)」では火葬は一般に嫌われて来た歴史があり主人公の「一番勧められない」というのは叔父の言葉とは別ということなのでしょう
2012-11-22 15:29:10ああ、誤解なさらぬよう、『透明な対象』の邦訳にいちゃもんをつけているわけじゃありません。特に若林さんは日本のナボコフ研究の第一人者のお一人、抜かりがある筈もないでしょう。もっとも、若林さんの日本語はナボコフには少しカサッと乾きすぎていいるように感じますが、これは好みの問題です
2012-11-22 22:20:43しかし第六章に不意に現れる「ロシア作家」のイメージは注には「ドストエフスキーを思わせるが確証はない」と書かれ、むろんそうなのですが、ならこの人物はドストエフスキーにゴーゴリを混ぜたような、とも言えて、ドイツ語が得意という点でもそう見えるが、要は、あんまり意味ない注だということです
2012-11-22 22:27:10いやどうも難癖つけてるみたいに見えますね。熱で何だかぼんやりイライラしているので八つ当たりだということです。なんで他にも締め切りやら用事やらがあるのにナボコフの仏訳と原書と翻訳とを床に散らかしまくって意味ないことにイライラしているのかにイライラしているという悪循環。
2012-11-22 22:53:56しかしZIPPOのブルーというガスライターの出来の悪さには感動。いや皮肉ではなくこの間抜けながさつさにアメリカの威力を感じてしまうのは本気です。昔のハーレーとか、ですね。というわけで結局このガスライターが気に入っているのです。なかなか着火しないし指は痛いしガスは必要以上に浪費だし
2012-11-22 22:58:17結局このガスライターを持ち歩くには予備のジッポがないと不安。昔のハーレーに乗る人がレギュレーターのスペアを持ち歩くのと同じでしょうかね。レギュレーターですよ。すごいな。
2012-11-22 23:01:03こんなに不安定なのにいざとなると頼りになったりする。ジッポはどんな風の中でも火が消えないし、ハーレーはああ見えて、結構クラベル、ターマック、どっちも淡々と走ってしまう。腿はやけどしますが
2012-11-22 23:04:11・・・どちらにしろ言葉が分解してしまうと日本語だろうと仏語、英語、西語だろうと分らなくなるのはいつものことで、簡単な文字列も意味が採れなくなり、仕方なく・・・例えば訳してみる。今は『透明な対象』を三、四ページ、例えば石川淳さんのアナトール・フランス訳を真似して・・無意味な時間浪費
2012-11-23 01:15:08不意に切れるハサミが周囲にないことに腹が立って、ネットでハサミを注文する。と言っても高級品を探した訳ではない。大阪製「鉄腕バサミ」! すごいネーミングだ。
2012-11-23 01:22:26ゴーゴリが「狂った」晩年の書簡集の翻訳をネットで探したら二巻で三万円の古書になっていた。さすがに買う気はない。仏語で探そう。仕方ないから(?)精密ねじ回しセットというのを買う。何に使うかと聞かれても困るが、あると「何かと便利」・・・の筈だ
2012-11-23 01:27:09「小説を書くことは読者とのゲームだ」というようなことをナボコフが言った時、ウィルソンは、その仕掛けは大方の場合たかがしれていると、辛辣に応答している。ナボコフを愛したウィルソンは、その手の「ミスティフィケーション」をナボコフの愛すべき、しかし余計なポーズだと感じていた気配がある
2012-11-23 14:08:22ナボコフのテクスト!が巧緻な「企み」に満ちていることは誰もが指摘し、その翻訳も、それを訳出する苦労話に満たされる。それは仕方の無いことだろうし、読者もそれを嘉納してナボコフを読む。しかし同時にそれがナボコフを普通に読むことから読者を遠ざけてしまっているように見えるのも事実だろう
2012-11-23 14:12:17例えば最大の長編『アーダ』が冒頭から「写し間違い」のようにしてトルストイの『アンナ・カレーニナ』の冒頭を逆さまにする時、しかし慣れると、そんな児戯めいた遊びがむしろこの意外に(!)真摯な長編の余計な傷に感じられないこともないのだ
2012-11-23 14:26:40誤解されると困りますが、僕は別に誤訳やらを探そうとしてナボコフを仏訳やら原書で読んでいる訳ではありません。フランス語で小説類を読み慣れないので(時間がかかってしまうので翻訳があればそれで読んでしまう)、ちょっとゆっくり読もうとしているだけの哀しい現実です・・・
2012-11-24 03:25:34それでも、仏語でニュアンスに迷うと日本語訳を見るので、そうすると意外に迷ったところが訳し抜けていたりすることに戸惑うということになります。『透明な対象』では、何故か副詞が訳し抜かされていることに戸惑う。「悲しげに」とか「嬉しそうに」とかいう副詞が抜けていたりするのです。
2012-11-24 03:28:27無くてもさして困らないところならいいんですが、ちょっと微妙なニュアンスがあるだろうところで抜ける。面倒だから何処とはいちいち言いませんが・・・じゃあ余計誤解されるか。例えば邦訳単行本で56ページ、主人公がジュリアとの間抜けた情交の後でグラスの酒を取りに行くところ・・・
2012-11-24 03:35:47翻訳では「ヒューが一人はしゃいで飲み物をとりに行くと」となっていますが原文では「a rather forlorn show of jauntiness」っていう副詞になってるんですよね。つまり「悲しげにも見えるはしゃぎ方で」とかいう感じでしょうか。ちょっとニュアンス違いますよね
2012-11-24 03:48:33あるいはこれまた単行本『透明な対象』の77ページ、アルマンドが、スキーを二人だけのデートと間違えて来たヒューの服装を見て、その格好じゃ一緒に行けないと言うところで、原文では「she gaily suggested~」となっていますが、邦訳には「gaily」という副詞が訳されてない
2012-11-24 03:57:33これは人や物が「どう見えるか」ということの煉獄?を一つのモチーフにしているだろうこの小説としてはちょっと気になる訳し落としに感じます。何しろ若島正さんの訳ですから、こう訳したのには訳者の周到な意図があったのかもしれないと、考え込むjことになるわけです。
2012-11-24 04:09:54もう一度言いますが、誤訳探しなんて趣味はありませんし、「翻訳論」なんて難しい議論など加わる資格も意志もないし、まあ翻訳はそこそこの日本語で意味がすっきり通ればまずは充分という方なんで、こんな重箱指摘は趣味じゃないんですが
2012-11-24 04:14:43けなしてばかりじゃ恐縮なんで、感謝する注釈があって、それはフローレンス・アプトンという十九世紀の絵本童話作家の『野菜人間の復讐』という作品があることを教えてくれたことです。ザッパの『野菜の名前を呼ぼう』を熱愛する者としては見逃せない。さっそく原書を注文しました
2012-11-24 04:37:14アプトンには『二つのオランダ人形』というのもあってこれは訳書があるようです。これも注文しました。ナボコフが愛しただけではなくドビュッシーなども『子供の領分』の一曲にこの絵本へのオマージュを作っているのだそうです。十九世のほんとに末、アリスから三十年後くらいのものです
2012-11-24 04:37:31と言うか今さら『アリス』がボードレールの『悪の華』やマネの『オランピア』とかと同時代なのを確認して何とも言えない感慨!に襲われます。アプトンはマラルメ、ランボー、ワイルド等々でしょうか。いや連想が凡庸ですいません
2012-11-24 04:40:28