contractio 氏… 「客観性」「理論」という言葉は、そもそもどういう意味で使われているか?
書籍『カルトとスピリチュアリティ』 http://amzn.to/X6VrVX
カトリックの信仰者であり、宗教学者でもあるという渡辺学氏の論考「過程としての回心」 に付された注23(p.110)より:
- 《このようにしていくうちに、調査者と調査対象となった人びとは、ともに共通の現実を構築していくことになる。ここに古典的な意味での客観性は存在しない。》
[sociology]「ここに古典的な意味での客観性は存在しない」なる文の意味が分からぬ。 / “党派性の分析――現実の集団的構築 - Freezing Point” http://t.co/qv2fNTe4
2012-11-14 01:50:51ueyamakzk への返信
@ueyamakzk 「他人・他団体の経験を参考にする際には、なんらかの意味では抽象性を経由することが必要になる」と書いた時の「抽象」は、非常にベタな意味──「引き抜く」という意味──で言いました。 https://t.co/Tkw0Xsss
2012-11-14 02:06:02@ueyamakzk 「他の場所・機会で成功したものを-そこの固有の事情から引き抜いて-こちらの固有の事情を勘案して、参考にする」というのにはかなり複雑な仕事が必要で、そのこともひとつの理由となって、そうした仕事のやり方・あり方にはものすごくバリエーションがあるでしょう。
2012-11-14 02:06:13@ueyamakzk (いまは、分かりやすさを考えて、「成功」したものを「参考」にする場合を例に挙げていますが、この手の話はいろんなところに顔を出しはしますね。)
2012-11-14 02:06:21@ueyamakzk それはそれとして。上山さんは、ここで「理論」という言葉を持ち出しましたが、それは、一方では ちょっと異様な感じがします。(ふつう、他人のやり方(or失敗)を真似したり参考にしたりするときに、「理論」には訴えないでしょう。)
2012-11-14 02:06:40@ueyamakzk とはいえ他方で、ここが「ひとが「理論」という語を持ちだすことができる場所の一つ」であることまでは、私にもわかります。
2012-11-14 02:06:57@ueyamakzk しかし私ならむしろ、このやりとりを踏まえて、上山さんが使う「理論」という語が 抽象する様々なやり方のバリエーションの一つであるかも知れない、という方向から、その特徴について考えたくはなります。
2012-11-14 02:08:26@ueyamakzk もうちょっと端的かつ簡単に、私自身の見解を積極的に述べると:「抽象のために理論に訴える・を持ち出す必要はない」、です。(これで上山さんが論じていることの幾つかは消去できるような気がしているのですが。まぁわかりません。)
2012-11-14 02:15:25@ueyamakzk 様々な領域の間を行き来する立場にいて「孤独」を感じることは私にもあるのですが、「孤立している」と感じることって私の場合は ほとんどないんですよね。上山さんの場合、どうしてそういうことになるのか。それがずっと気になっています。
2012-11-14 02:26:31「理論」という言葉は、どういう意味で使われているか?
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2012-11-14 07:00:39りろん【理論】 一 ①科学研究において,個々の現象や事実を統一的に説明し,予測する力をもつ体系的知識。狭義には,明確に定義された概念を用いて定式化された法則や仮説を組み合わせることによって形作られた演繹的体系を指す。「-を確立する」
2012-11-14 15:09:53②特定の研究領域や個々の学者の学説や見解を指すこともある。 「批評-」 「湯川-」 ③実際の経験から離れて純粋に思考の中で組み立てられた知識。空理空論。 「 -倒れ」 (大辞林 http://t.co/DgVnNCR)
2012-11-14 15:10:40せつ 【説】 ①ある人の述べた考えや意見。主張。 「新しい-」 「 -が分かれる」 ②うわさ。評判。風説。 「セジョウノ-/日葡辞書」 ③…。
2012-11-14 15:13:50