- jonathanohn
- 9863
- 0
- 0
- 0
島津の敵将殺害率は異常だと思うのだが、なんでああなんだアイツラ。異国でまで成功する辺り、なんか陣法が特殊だったんだろうか。
2012-11-15 20:00:19@sweets_street 釣り野伏せとか、ああいう戦術で完全包囲しちゃうのがうまかったのかな、と思ってましたが、確かに本陣特攻、首狩り専門の特殊部隊みたいなのがいる、と考えた方が妥当そうですな。
2012-11-15 20:33:39@Allgreen76 本陣に突っ込んで旗本を崩さないと大将の首は取れませんからね。釣り野伏せなどで敵が乱れたのに乗じて、白兵戦に強い精鋭部隊が一気に本陣まで突撃するんだと思いますよ。いきなり指揮系統の中枢を破壊する電撃戦的な戦い方ですね
2012-11-15 20:40:49@sweets_street ただ、そんな精鋭部隊がいてあんだけ結果残しまくってるなら記録に残ってないのがちょっと解せない気もするのです。島津(というか九州)って当事者の記録文献が少ないんですかの?
2012-11-15 20:43:53@Allgreen76 精鋭部隊って言ってもグリーンベレーみたいのじゃなくて、義弘や家久の旗本とか、あるいは歴戦の勇将が率いる部隊とかそういうのでしょ?
2012-11-15 20:46:32@sweets_street 母衣衆とか七本槍()みたいな感じなんですかね。元々島津家に近い筋目のいい家だから大将首以外はとっても手柄としてみてもらえない、みたいな
2012-11-15 20:56:19桶狭間の信長軍みたいに「大将以外の首は打ち捨てておけ」を毎度やってる集団が敵軍に居たら結構おっかなっそうだな、とか思った。
2012-11-15 20:58:56@Allgreen76 そういう名前ついてるほうが珍しいですから。木崎原でも沖田畷でも戸次川でも大将以外の敵方の有力部将や旗本も軒並み討ち死にしてるし、普通に首もとってるでしょう?
2012-11-15 21:00:19@sweets_street 敵の旗本については沖田畷の人たちくらいしか記憶に残ってないんですよ(´・ω・`)あの人たちは熊タン死んじゃったから玉砕しにいった感じですし・・・
2012-11-15 21:03:24@sweets_street 一番首とか一番槍とか、いちいち報告に戻ってませんでしたっけ。織田だか徳川だか忘れましたが、報告に戻って揉めてまた飛び出してもっかい首とってきた、とか呼んで「えらい効率悪いことやるんだな」と思った記憶が。
2012-11-15 21:12:10@Allgreen76 普通は戻りませんよ。ていうか、戦いが始まったら戻ってくる余裕なんて普通はないですよ。敵に槍を付けれるような場所にいて背中見せたら殺されます
2012-11-15 21:13:24@sweets_street 言われてみりゃ可児才蔵なんかは首すら目印だけつけてその場にほうりっぱなしでしたしの。合戦の規模にもよるのかな?
2012-11-15 21:14:51@RX78_01 多分大名家ごとに結構違うだろうし、本職じゃないと無理な話題な気が。甲陽軍艦クラスタとかだとこられても困る。
2012-11-15 21:23:06@Allgreen76 普通は持ち歩くか、従者に持たせます。侍身分の人が戦場に出る時は非戦闘員の従者も連れてって、槍や刀、矢のスペアなどを持たせるんですよ
2012-11-15 21:22:56@sweets_street 背中みせるところについては多分後ろの小隊と入れ替わるのかな、と思ってました。「日に数度も槍を合わせるのは異例なこと」とかいう話があったので目の前の奴を蹴散らしたら後ろと交代するんだろうなー、と。
2012-11-15 21:20:22@Allgreen76 一度の合戦で何度も交戦するのは珍しいことだと思いますよ。普通はもっと早くどちらかが崩れて決着が付きます
2012-11-15 21:28:18@sweets_street 家の子郎党でしたっけ。おらが大将が怪我したら抱っこして逃げる、みたいな話を読んだ覚えが(多分司馬遼太郎だけど。。。功名が辻かな)。あれって一騎につき何人くらいつくもんなんです?ヨーロッパとかだと5人くらいでしたっけ
2012-11-15 21:26:04@Allgreen76 http://t.co/qr2lDbgA http://t.co/3ajuQOZm 江戸時代の軍役規定。騎馬、侍、押足軽、若党以外が非戦闘員の従者です。戦国時代は家ごとに規定が違うし戦闘員・非戦闘員ともにこれより多めでしょうが、目安にしてください
2012-11-15 21:48:07