為末大さん@daijapanの「【娯楽の領域】について 結果に責任を感じすぎると人は守りに入り、発展性がなくなる 。」

プロとは報酬をお金でもらう人々だけれど、娯楽でそれらに取り組む人は報酬を他者からの興味や自分の中の自己満足で得る。面白いのはその差が単純に質の差ではないという事。出場料をもらって走るプロランナーに、出場料を払って走る河内選手が勝ったりする。by 為末大
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爲末大 Dai Tamesue 熟達論発売中 @daijapan

おはようございます。今日は【顔】について

2012-11-20 06:58:52
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僕は現役中ジンクスというものは一切持っていなかったのだけど、唯一あったのが、試合前に顔をまず作り込んでから競技場に入る事。うまく言えないのだけど、話しがけがたい顔というか、外界を遮断するような顔を作るようにしていた。

2012-11-20 07:01:30
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中学生の頃、数学の先生が試合を見に来て、試合の時の顔が、普段の顔と違うと言われた。それで集中している時には集中している顔を自分がしていると気付いた。その内にどうもそういう顔を作り込むと自分自身の内面がそれに引きずられていくというのを感じるようになった。

2012-11-20 07:04:22
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自分がどんな顔をしているのかを、他人の反応で人は悟る。僕は人に影響されるタイプだったからまず他人の反応をこちらの表情である程度操るというのが大事だったのだと思う。古い宗教の祭りや儀式等非日常に入るものは、仮面を被ったり、化粧をしたりと、顔にまつわるものが多い。

2012-11-20 07:06:59
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口角を上げた状態で本を読むと、楽しさが増すという実験結果がある。内面から表情が作られる作用だけではなく、表情に内面が影響されるという事も証明されつつある。人は想像以上に顔に引きずられているのではないか。

2012-11-20 07:08:51
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日常と非日常を分けるものは顔が大きいのではないか。欧州のパーティーでは仮面を被った。日本の祭りでも仮面を被る。アフリカの宗教的祝祭でも化粧をする。日常の自分の顔を失う事によって、別の何かになろうとするような所があるのではないかと、僕は思っている。

2012-11-20 07:13:22
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【終わり】心が揺れた選手は顔が引きつる。ある程度顔をコントロールできるようになってから試合時のパニックがなくなっていった。試合でいろんな場所に行ったけれど、言葉が分からない場所での最大の防御は笑顔だった。顔は想像以上に私達を決めている。

2012-11-20 07:16:07
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おもしろいですね RT @Yukitake99: @daijapan 以前、われわれの研究室が行った実験でも、口角を上げると自律神経バランスが副交感神経優位、つまりリラックスの方向に変化しました。作り笑顔で心理状態を変えることができます。

2012-11-20 09:26:51
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おはようございます。今日は【娯楽の領域】について

2012-11-21 07:19:54
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昔の娯楽と言えば映画や本を読む、テレビを見る等、受け手としてのものが多かったのに、今は自分が何かを作って発信する事が娯楽化しているなと最近、ふと思った。職業としての作り手が作ったものを、消費する事が娯楽だったのが随分変わってきているように思う。

2012-11-21 07:22:01
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ツイッター等も僕のように娯楽で書いている人が現れて、それに結構な人がそれなりの時間を費やしている。Blogも、それから写真を上げるサイト、ニコニコ動画もそうだと思う。そうなってくると今度は、プロとアマの境目もまた曖昧になってくる。

2012-11-21 07:24:17
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プロとは報酬をお金でもらう人々だけれど、娯楽でそれらに取り組む人は報酬を他者からの興味や自分の中の自己満足で得る。面白いのはその差が単純に質の差ではないという事。出場料をもらって走るプロランナーに、出場料を払って走る河内選手が勝ったりする。

2012-11-21 07:27:36
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能動的に何かを作る事が楽しいとすれば、その内企業を立ち上げる事が娯楽化した人達も現れるのではないか。仕事で我慢をし、お金を稼いで、時間と金銭的余裕を作りそれを娯楽に使う。その娯楽自体が創造的生産活動だったりすると、なんだか不思議な気分になる。

2012-11-21 07:32:59
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プロ生活で常に向き合っていたのは、結果を求められノルマがある競技を、どう仕事的ではなく遊び化するかという事。責任を感じると人は遊びが無くなる。でも遊びの領域が意外性を持たせ、そこに新しい変革の鍵があったりする。僕の場合は遊べないと行き詰まった。

2012-11-21 07:37:35
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【終わり】責任を背負って創造する事が仕事で、責任無く創造する事が娯楽。そんな分け方もできるのではないか。企業から支援を切られた途端結果が出始める選手もいた。仕事と娯楽の境目が曖昧になっていくように感じている。

2012-11-21 07:41:22
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ホモルーデンス、遊びと人間、はいいですよ RT @whitework23: @daijapan 仕事は遊びではなく遊び心が必要ですね 確かに仕事は遊びではありません 報酬が発生する限りは仕方のない事です 等価代償もしくはそれ以上を与えるのがプロの仕事だと思います

2012-11-21 08:00:43
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そして結果に責任を感じすぎると人は守りに入り、発展性がなくなる RT @ungaiino: @daijapan @cuckoo210 プロは結果が全てで、結果に報酬金銭が着いて来る、一般職業にも沢山有ります

2012-11-21 08:05:13