芦田先生:●「知的」である、とは何か?1〜現にわれわれは、無意識にひとりのヘーゲルであったりもする。
たとえば会話や議論というものは、相手が「知らない」ことをしゃべってもしようがないということがある。わかりやすいことで言えば、専門用語や業界用語を使う場合や、もっとわかりやすく言えば、「昨日、ユーレイ(幽霊)見たんだよ」という超体験的な話がなされる場合である。
2012-12-03 02:59:37こういった話は、前者の場合は「勉強になりました」、後者の場合は「へぇー、そうですか」と言うしかない。そこで終わってしまう。これでは”会話”にならない。
2012-12-03 03:00:00なぜ会話がそこで止まるのか。それはその内容の真偽に(こちら側から)介入できないからである。信じるか、根拠もなく拒否するしかない。要するに「世界が違う」ということである。
2012-12-03 03:00:58どんな専門用語も業界用語も「ユーレイ」も、その初源においては或る実体を名指すために生まれてきている。「ユーレイ」という何か(ユーレイと言わざるを得ない何か)にその人は出会ったのである。
2012-12-03 03:03:48それは、言葉になる手前の実体を名指している。言葉が先か、モノ(実体)が先か、というもっともそうな議論にはここでは立ち入る気はないが、はっきりしていることは、言葉がみずみずしく蘇生するのは、それが実体のイメージ(=像)を喚起するときだけだということだ。
2012-12-03 03:04:35そしてこの実体(のイメージ)こそは、万人に共通に与えられている基盤である。誰もヘーゲルやヘーゲルの用語を「知らなくても」、ヘーゲルが言おうとしたことは「理解」できる。この「理解」の基盤が(ヘーゲルが使う難しい)言葉の「意味」である。
2012-12-03 03:05:50言葉が「理解」できるのは、それが実体を名指しているからなのである。〈そこ〉からヘーゲルも出発している。〈そこ〉は平等に〈われわれ〉に与えられている。
2012-12-03 03:06:21現にわれわれは、無意識にひとりのヘーゲルであったりもする。それはわれわれが無知なのではなくて、ヘーゲルの言葉が〈そこ〉を名指し得ているからである。
2012-12-03 03:06:41わざわざ、「ヘーゲル的な」などと名指している内は、まだヘーゲルは間違っているのだ。だから大学院生や大学教授の論文は大概は間違っている(笑)。
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