市野川・宇城編『社会的なもののために』についての噂
若い三十代の時分に,わたしたくさん共同研究にコミットしましたが,今の時代にあれをやるとその後の研究者人生はなかなか難しいですよ。あれは否応なくやらざるをえないひとがやるものであって,なおかつ以前よりも,その参加は限定的にならざるをえんのではないかな。
2012-12-19 14:03:28しかしいつまでああいうことがやれるのかね。それにしても,おっさんがいかにいい加減なことを大量に喋るかという事例としては歴史に残すべきかもしれん。
2012-12-19 14:06:21まあおっさんらが必死で時間をやりくりして遊んでおったという側面はあるかもしれん。そんなものに無理に付き合う必要はないし,付き合わせる気もなかったということかな。だからみんなもっと遊べばいいのだ。
2012-12-19 14:10:53どなたかがつぶやいていたが、この本の寄稿者は1967年生まれが多い。黄金の世代ということだろうか。http://t.co/lp34wVlg?
2012-12-19 16:38:47市野川容孝・宇城輝人 編『社会的なもののために』──ネオリベラリズムと社会的な国家|労働はまだ社会的なものの基盤たりうるか|社会的なものと/の境界|社会的なものの認識の歩みとデモクラシーの未来|日本における社会的なものをめぐる抗争|… http://t.co/qRumjDeT
2012-12-19 18:54:15〈「政治的なもの」が好きなアーレンティアンは「社会的なもの」が嫌い〉みたいなことを書いてしまったことでリベサヨ扱いされるのではないかというぼんやりとした不安……。
2012-12-29 11:50:46基本的には市野川さんの『社会』での問題提起を踏まえた上で、「社会的なもの」の含意についての共通理解を、思想史的な知見を踏まえつつ探っていく、という感じの、ぎこちない座談になってますな。
2012-12-29 13:36:36というわけで、関心のある方は、1月21日まで市野川さんの『社会』と『社会学』を読みながらお待ち頂けると吉。あとはカステルとドンズロと王様の「洪水のあと」(社会思想史研究36号)。
2012-12-29 13:42:33今月買うのは舞城王太郎『キミトピア』、スコフィールド『ベンサム』、市野川・宇城『社会的なもののために』、アロー『社会的選択と個人的評価』、赤川学『社会問題の社会学』、立岩真也他『生の技法』。
2013-01-06 21:13:28宇野重規のトクヴィル論は色々と躓くところあったけど、基本的に面白かったので、続けて同じ著者の岩波新書のデモクラシー論(『〈私〉時代のデモクラシー』)http://t.co/HHNdhNFvを読んでみたら、また大きく躓いてしまった・・
2013-01-07 02:53:34主張を導く際の意図の方は凄く共感できたのだけど、そのようにして導かれた、肝心の中心的な主張の方が全く賛成できなかったんですヨ。どうも自分は、政治的な立場は(ラジカル寄りの)リベラル左派だけども、(そうであるがゆえに?)思想としての政治的リベラルとはあまり相性がよくないのかナ?
2013-01-07 02:55:02宇野氏のデモクラシー論の意図というのは、社会の個人主義化の否定面を丸ごと肯定、救い上げたうえで新しいデモクラシーのあり方を模索していくというものでした。
2013-01-07 02:58:26私生活を優先させるという個人主義化がつき進むと、アイデンティティが不安定化して承認欲求が肥大化し、もっぱらオンリーワンの私らしさを無条件に承認してくれるよう周りに求めるようになる。その一方で、様々なつながりや支えが消失して、個人は益々脆弱で孤立したものと化していくことにもなる。
2013-01-07 02:59:10この種の個人主義化の否定的帰結に曝されるようになると、さらに人々は自らが悩み苦しむ問題をもっぱら私事的なものや心理的なものと見なすようになって、その政治・経済的な側面を正しく認識することまでできなくなってしまう(いわゆる「個人化」、「心理主義化」)。
2013-01-07 02:59:37宇野氏の意図は、こうした、承認欲求ばかりが肥大化して孤立脆弱化し、解決すべき問題の本質を個人的なものや心理的なものにすり替える錯覚にまで陥ってしまった、(成熟社会下の?)現代人の情けない現状を丸ごと肯定し、逆にそれをこそ新しいデモクラシーの基礎、出発点にしようとするものデス。
2013-01-07 03:00:12