右傾化と揺り戻し:選挙後のspitzibara氏とのやり取り

選挙が終わり、右傾化と揺り戻し・バックラッシュ、更に不当逮捕など暗い出来事が目立つ昨今、政治・社会・日常の問題をどう考えどう動くかなどなどを、spitzibara氏と、同氏のブログ「Ashley事件から生命倫理を考える」のコメント欄でやり取りしたもののまとめ。 宮地尚子「環状島=トラウマの地政学」やNHKの「障害者のためのバラエティー・情報番組」「バリバラ」(バリアフリー・バラエティー)などへの言及あり。 *文中のURLは後から追加したものがあります。 ●追加しました。更に追加しました。更にまた追加しました。 続きを読む
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■本まとめに先行するまとめ:

★「がんばりすぎる障害児の母たち:家族を介護するケアラーをどう支援するか」http://togetter.com/li/410117

★「続)がんばりすぎる障害児の母たち:家族を介護するケアラーをどう支援するか」http://togetter.com/li/410124
 
 

まとめ がんばりすぎる障害児の母たち:家族を介護するケアラーをどう支援するか まとめ『「どうして障害児を生むことをそんなに恐れるんだろう」から始まったやり取り』 について、重度心身障害児の母のspitzibaraさんとの、同氏のコメント欄でのやり取り。 『母親仲間が「がんばっていない母親」を批判する時に、その口調は何故こんなに激烈になってしまうのだろう』などの観点から、家族を介護するケアラーへの支援をどうするのか、などなど。障害児の母のmomongazetさんのコメントも加えました。 コメント欄に書き込めなかったリンクを付加しました。 (文中に付加したトゥギャリのリンクが自動的に展開してしまい、見づらくなってしまいました。) ■長くなったので2つのまとめに分割しました。  ⇒ ★本まとめに続くまとめ: 「続)がんばりすぎる障害児の母たち:家族を介護するケアラーをどう支援するか」htt.. 6232 pv 35 13
まとめ (続)がんばりすぎる障害児の母たち:家族を介護するケアラーをどう支援するか 本まとめは、まとめ「がんばりすぎる障害児の母たち‥」http://togetter.com/li/410117 からの続きです。 まとめ『「どうして障害児を生むことをそんなに恐れるんだろう」から始まったやり取り』 について、重度心身障害児の母のspitzibaraさんとの、同氏のコメント欄でのやり取り。 『母親仲間が「がんばっていない母親」を批判する時に、その口調は何故こんなに激烈になってしまうのだろう』などの観点から、家族を介護するケアラーへの支援をどうするのか、などなど。障害児の母のmomongazetさん、なんさんのコメントも加えました。 コメント欄に書き込めなかったリンクを付加しました。 ■長くなったので2つのまとめに分割しました。 ●追加しました。 ●本まとめのやり取りを、コメント欄から引用した.. 5312 pv 40

 


 
■関連するブログ記事:
●「Ashley事件から生命倫理を考える」から:
★「選挙の夜に」http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/65902883.html
★「古代の人たちが重症障害者を手厚くケアしたエビデンス」http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/65928428.html
★「その人なりの分かり方・その人らしさの匂い」http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/41308310.html
★「元旦に、今年の自分に贈りたい言葉」http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/65953696.html
★「ファーマゲドン: オピオイド鎮痛剤問題のさらなる裏側」http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/65963557.html


 
■ spitzibara氏のブログ「Ashley事件から生命倫理を考える」から引用:

 選挙の夜に

http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/65902883.html
2012/12/16(日) 午後 10:42

この前読んだ、姜尚中の「在日」の中にあった、
著者が市民運動の師と仰いだ、土門一雄牧師の言葉を――。

……市民の運動はね、国家権力と対峙するとき、敗北するに決まっているんです。でもそれをただ敗北とだけ受け止める必要はないと思いますよ。負けて、負けて、負け続けて、しかしいつの日か勝てないけれど、負けてもいない、そんなときがくるはずですよ。……
(p. 168: ゴチックはspitzibara)

元気を出そうと、
このエントリーを書いては見たものの、

おそろしくて、本気で泣けてきた……。

 

 
 
■ 以下は、上記エントリーのコメント欄から引用:

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 @hijijikikiの投稿:

こんばんは、@hijijikikiです。超遅ですが、選挙結果、どんよりですね。ただ、今回の選挙では、都知事選ですが、宇都宮けんじ氏が立候補したのが希望でした。積極的に応援したい(都民でないのに!(笑))と思える初めての候補かな。大差で負けましたが、宇都宮氏も言うように「一度や二度選挙に負けたぐらいで‥」ということで、今後の動きに注目です。

私のまとめの「選挙が終わっても、運動・生存のための活動は続く:都知事選の宇都宮候補と勝手連」http://togetter.com/li/425684と、それ以前のまとめ(このコメント欄の下部のURL表示にリンクhttp://togetter.com/id/hijijikiki)に詳細があります。

選挙以外にも、阪南大学のモジモジ(下地真樹)氏の不当逮捕と拘留延長があり、これもどんよりしますが、要注意です。
まとめ「モジモジ氏の逮捕記事が新聞に掲載『‥駅での訴え犯罪?「表現の自由萎縮招く暴挙」』」http://togetter.com/li/426345に
なんだか暗い話題ばかり書いて、すいませんでした。

2012/12/24(月) 午前 0:14 [ @hijijikiki ]

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 spitzibara氏の投稿:

hijijikikiさん、ご訪問コメントありがとうございます。私もツイッターなどで宇都宮健児さんのご活躍に胸を熱くし、また下地さんの不当逮捕と交流延期に胸を痛めておりました。hijijikikiさんのtogetterは、いつもながら問題の本質を広く知らしめる重要な活動ですね。

私自身も、このブログでつい最近、表現の自由をめぐって気味の悪い体験をしており、頭がいいだけの幼児みたいな人間が跋扈する世の中にウンザリして、ブログを続ける気力がなくなっておりますが、hijijikikiさんからコメントいただいたのは、ちょっと元気をもらった感じです。

2012/12/24(月) 午後 7:15 [ spi*zi*ar* ]

hijijikikiさん、じっくり読ませてもらってきました。選挙の後で、私の周りにも意気消沈している人が多かったのですが、ある方が、もうこうなったら「歴史の証人」になる覚悟が必要なのかも……と言われたことを思い出しました。それを聞いて、私自身このブログをやりながら、人間の社会そのものが経済も政治も国家という装置そのものも既に破たんしているんじゃないのか、政治はそうじゃないフリをし続けているだけなんじゃないか、と考え続けてきたことと重なって、ずう~んと気持ちが沈みました。その時から沈んだままで浮上できずにいるうちに、実は選挙と同じくらい怖い情報を拾ってしまい、さらに撃沈している感じです。唇が寒いこと。

それにしてもtogetterの管理人としてのhijijikikiさんの毅然とした姿勢は、すごいです。誰かが書いていたけど、みんな、そんなに自分で自分の自由を投げ捨てたいのか、と……。

2012/12/24(月) 午後 10:12 [ spi*zi*ar* ]

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 @hijijikikiの投稿:

こんばんは。まとめをお読みいただき、ありがとうございます。

コメント欄でのことは、単に私のキャパ不足で、スパムなコメントが気になるからで、コメント欄が大荒れでも気にしておられない「大物」のまとめ主の方もおられます。

「経済も政治も国家という装置そのものも既に破たんしているんじゃないのか」>どんどん酷くなる部分と、少しはよくなってきている(障害者や女性差別などのごく一部ですが)部分があると思います。

というか、他国の例では、冷戦以降の軍事政権下の中南米は、戦時中の日本と同様か更に酷い弾圧で、民主化運動の人々の逮捕・拷問・虐殺・行方不明を経験した後に、民主化政権が次々と誕生して、やっとまともで(ある意味日本以上に)民主的な政治・経済が復活しつつあるようです。

今の日本は、ネオリベ・軍事政権の方向に行こうとしているようで恐ろしい。中南米の国々が落ちた(いや、欧米などに落とされた)どん底まで行かないで、なんとか“民主化”する方向に持ってゆけないものか、と思います。

2012/12/25(火) 午前 2:37 [ @hijijikiki ]

宇都宮けんじ氏の都知事選を見ていて、猪瀬氏が400万票で宇都宮氏が96万票で大差、と報じられました。しかし、都民に知名度が低い宇都宮氏が2-3週間で100万票近く得票できたことや、勝手連が色々なところで活動し、今後につなげることが可能になったので、結果は負けでも、大いに意味があったと思います。

選挙で誰に投票するかを、(浮動票といわれる)多くの人はどうやって決めているのかを見聞きしたり話を聞いたりすると、自分の周囲の人や信頼できる人の言動や、考えに大きく影響されている感触があります。

例えば、友人から聞いた話ですが、障害児を持つ夫婦に、宇都宮氏の話をして説得したところ、投票先を決めていなかった二人とも宇都宮氏に投票したということです。

2012/12/25(火) 午前 2:38 [ @hijijikiki ]

宇都宮氏以外の政治家や政党、活動組織についても、勝手連(ボランティア)はとても活動的で熱心で行動力があっても、数はそんなに多くないと思います。大多数の人たちに、政策の違いや政策がどのように良いのかを伝えるためには、勝手連との間をつなぐ人たちに話を伝えること、周りの人に理念や政策を話して説得してもらえることが重要かと。

宇都宮氏の「人にやさしい東京をつくる会 政策集」(PDFファイル:検索で出ます)が、東京以外の政治・社会政策を考える上でも役に立ちそうです(と言いながら、まだちょっとしか読んでません)。

このような政策・理念を普段から話したり、情報交換して、どの政治家や組織と協力してやってゆけるか、を共有する輪を広げてゆくことでしょうか‥‥などと風呂敷広げながら、実際に現実に何を何からどうやったらよいのか、愚考中です。次の山は来年夏の参議院選ですが。。。
ゆっくり急いで、ぼちぼち周り(ネットを含む)の人に働きかけて輪を広げてゆくこと、かなー、わたし的には。

2012/12/25(火) 午前 2:40 [ @hijijikiki ]

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 spitzibara氏の投稿:

hijijikikiさん、おはようございます。いろいろ教えてくださって、ありがとうございます。

障害のある子どもさんのご両親のエピソードのように、事実をきちんと知らせていく努力が必要だというのは、本当におっしゃる通りですね。私も当ブログでそれが自分にできるささやかな仕事だと思ってきたのですが、あまりに世の中の変化の速度が速くて、日本では隠されていること・偽られていることも多くて、もちろん私自身が知らないことの余りの多さにも、途方に暮れてしまいそうになります。私は障害者・女性差別の面でも揺り戻しが起こっている気がして、その点が何より恐ろしくてならないですが、時にツイッターを覗くと、みなさん絡まれても攻撃を受けても、メゲずに頑張っておられて、昨夜は久しぶりにちょっと元気をもらいました。

2012/12/25(火) 午前 7:54 [ spi*zi*ar* ]

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 @hijijikikiの投稿:

こんばんは。

「私も当ブログでそれが自分にできるささやかな仕事」>いえいえ、川口有美子さんが「紀伊国屋書評空間」でspitzibaraさんの本やブログを評価されているように、とても重要な仕事だと思います。ただ、私もそうですが、知れば知るほど、世の中に酷いことが満ちあふれていることがわかって、どんよりいやーな気持ちになってしまいます。

更に、仰るように、当事者が身を削って苦労して、せっかく獲得したものが、「揺り戻し」やバックラッシュに遭っている。こういうのを目の当たりにすると、本当に救いようのない感じがしますが、歴史を見ると、革命の後に反革命が起こるのは珍しくないようです。

ただ、揺り戻しやバックラッシュがあっても、完全には元に戻らないのでは。自民党が今回、党の役員に女性を起用と(今頃何を言っているのか、単なる形・お飾りだけでは感がありますが)いうのも、世の中の女性進出の流れに、守旧派の牙城の自民党でさえ逆らえないということでしょう。

2012/12/26(水) 午前 1:47 [ @hijijikiki ]

このように、揺り戻しや、バックラッシュがあっても、わずかずつではあれ、前進しているというのは、前にお話しされていた「自分を肯定していく螺旋状のプロセス」、同じ所をグルグル回っているようでも少しずつ前に進んでいる、というのに似ているのかもしれません。

ただ、「自分を肯定」の場合には、生活=生存している、生身の存在であることが螺旋の原因でしょうが、揺り戻しやバックラッシュは守旧派、保守反動の画策の面が強いのでしょうけど。

いずれにせよ、一筋縄では行かない、グルグル回りの螺旋プロセスに付き合ってゆくほかないようですが、先述した、投票先が自分の周囲の人や信頼できる人の言動や、考えに大きく影響されていることに見られるような、「近い関係」が重要であることがキモであると思います。

2012/12/26(水) 午前 1:49 [ @hijijikiki ]

「近い関係」とは、親兄弟などの血縁や、近所や勤め先や所属組織などもありますが、ネット上での知り合いややり取りからも生じるのでは。spitzibaraさんをはじめ、リアルでは全く面識がなくて、ネット上で知り合った何人かの方とは、リアル(何が「リアル」なのかは問題だが)でのやり取り以上に深いやり取りをさせてもらっていることも多いと思います。

これらの「近い関係」を拡げてゆくこと、緩やかな結びつきを大切にして、協力できることは協力し合って、ぼやきや愚痴もどんどん言い合って、何とか少しでも生きやすい社会にしたいなあと思います。

2012/12/26(水) 午前 1:51 [ @hijijikiki ]

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 spitzibara氏の投稿:

おはようございます。いつも情報源にさせてもらっているBioEdgeという生命倫理系のブログがあるんですけど、その管理者のCookがこの前、読者から「あなたのブログを読むと気持ちが沈む」と言われたというエピソードを書いていて、あぁ、私のブログも同じだ~と、激しく思ったところです。

書いている本人も、希望のない話題ばかりを拾っては書くことに少しずつ疲れてきて、そこへこの前の選挙、その直後に拾った選挙並みに恐ろしい情報、と暗澹とすることが続いて、ブログを続ける気力がなくなり、ものすごく苦痛になっていました。

でも、ほんと、hijijikikiさんが言ってくださるように、「近い関係」というのがキモですね。昨夜なんさんが来てくださった時にも書いたのですが、ネットで知り合って信頼関係を築いてきた人たちと、こうしてコメント欄でやりとりさせてもらうことで、少しずつまた元気を取り戻していけるかな、と感じています。hijijikikiさんには、いつも励ましていただきます。ありがとうございます。

2012/12/26(水) 午前 8:53 [ spi*zi*ar* ]

 
 
 


 
■ spitzibara氏のブログ「Ashley事件から生命倫理を考える」から引用:

 古代の人たちが重症障害者を手厚くケアしたエビデンス

http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/65928428.html
2012/12/25(火) 午前 11:13

古代の人たちが重症障害者を手厚くケアしたエビデンスがある、という話は
高谷清先生の「はだかのいのち」で読んでいました。

これまで発掘された、そうした事例について
以下のNYTの記事から簡単に抜いてみます。

順番は発掘された順ではなく、
記事に紹介されている順になります。

① 南ベトナムのマンバック遺跡から2007年に発掘された
4000年前の若い男性の遺骨。

胎児姿勢で埋葬されており、
重症障害のために生前からそういう姿勢だったものと推測される。

子どもの頃に下半身がマヒし、
腕はほとんど使えず、食事も体を清潔に保つことも自分では無理だったが、
マヒしてからも10年ほど生きたものと思われる。

(....省略....)

② イラクで発掘された45000年前のネアンデルタール人、 Shandidar 1。
片腕切断、片目が見えず、その他の怪我もあったが、死亡時には50歳。

③ 米国フロリダ州で発掘された7500年前の少年。
二分脊椎と思われる障害があるが、15歳くらいまで生きた。

④ イタリアで1980年代に発掘された1万年前の10代の少年、 Romito 2。
 重症の小人症だった。

特に介護を必要としたとは思えないが、
 狩りと採取で暮らしていた彼の集落が
走るのも遅く、腕が非常に短いために他の人たちと同じように狩りに参加できない彼を
受け入れていたことが明らか。

⑤ アラビア半島で発掘された4000年前の18歳の少女。
ポリオと思われる障害があった。

発掘した考古学者は
歩ける状態ではなかったと思われ、
おそらく24時間のケアを受けていたのだろう、と。

(....省略....)

フロリダの少年を発掘した考古学者 D. N. DickelとG.H.Doranは、
1989年に書いた論文で、

有史前の人々についてのステレオタイプとは異なり、
「一定の状況下では、7500年も前の生活にも
慢性病の人やハンディのある人たちを助け支えようとする気持ちとその能力があった」
と結論付けている。

(....省略....)

なお「はだかのいのち」の第6章
「障害者と共に生きた人々 - ネアンデルタール人の心(二)」(p.178からp.183)には、
上記②のナンディ1について、NYTよりもずっと詳細に記述されています。

研究者からの引用部分を以下に抜いてみると、

「彼は出生時から不具な身であったうえに、左目が盲目だったらしい。スチュワートの調査では右上腕骨、鎖骨と肩甲骨は生まれたときから十分に発達していなかったという。さらに顔の左側面に広範囲に及ぶ骨瘢痕組織が見られる。そしてこれだけでは不十分と言わんばかりに、彼の頭蓋骨の右上部にはある州の傷が見られ、生前に癒えた形跡がある。要するにシャニダール第一号、すなわちナンディ(食卓での会話で私たちは彼をこう呼んでいた)は、五体すこぶる健全な人間でさえ辛い思いをする環境下で、非常に不利な立場にさらされていたということができる。彼は自分で食糧をさがしたり、身を守ったりすることはできなかったであろう。したがって彼は死ぬまで一族の者たちによって世話されていたと、私たちは考えざるを得ない」
「この遺体の上に積まれた石と食料としての哺乳動物の遺残は、死後もこの人物が敬意とまではいかなくとも、ある種の価値を認められたことを示している」
(p. 179-180)

高谷氏は以下のように書いている。

人類は古くは生産力も低いため、たとえ一緒に生活しようという気持ちがあっても実際にはできず、障害者や高齢者を排除し、姥捨て山などに棄ててきたと思っている人も多い。生産性が向上してきたこの1000年、あるいは数千年になってはじめて障害者が生きられるようになったと考えている。まして、現在の人類ではない旧人といわれるネアンデルタール人が、障害者と共に生活しているとは考えもしないことであった。
(p.180)

【関連エントリー】
高谷清著「重い障害を生きるということ」メモ 1(2011/11/22)
高谷清著「重い障害を生きるということ」メモ 2(2011/11/22)
高谷清著「重い障害を生きるということ」メモ 3(2011/11/22)

(....省略....)

 

 
■ 以下は、上記エントリーのコメント欄から引用:

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 @hijijikikiの投稿:

高谷清「はだかのいのち」のご紹介、ありがとうございます。早速図書館にリクエストしました。
「古代の人たちが重症障害者を手厚くケアした」というのは、今の主流の常識・功利主義的な考えからは出てこない、というか排斥され、無いものにされそうな主張ですね。

今の主流の価値観や思考の形態から、先の選挙結果や、政治の右傾化が生じていると思うので、それをひっくり返す可能性に満ちた、このような主張や証拠・論証はとても貴重だと思います。

それで思い出したのは、といっても直接の関係は全くないのですが、同様に、障害や少数者について、今の社会の主流の見方とは違った見方で、社会や生活や常識を俎上に上げて、その中で苦闘する当事者も含めて、バラエティーというわかりやすく楽しめる番組にした「バリバラ」(←検索で出ます)です。

バラエティー番組が嫌いで、NHK(一部のドキュメンタリーを除く)には、とても批判的で、良い評価をしていない私ですが、「バリバラ」はお奨めです(@satoopenさんもよくツイートしています)。

2012/12/26(水) 午後 9:59[ @hijijikiki ]

NHK・EテレのTV番組「バリバラ」(バリアフリー・バラエティー)は「障害者のためのバラエティー・情報番組」ということですが、“健常者”にも興味深く見られる、というかむしろ健常者(と思っている人)にこそ見て欲しい番組です。

【ネット記事の引用】:プロデューサーの日比野和雅氏『「笑い」は人々の共感を呼び、そのあとで考えさせる力を持っています。バラエティーから見えてくる福祉の問題も多々あるはず。障害(者)を笑うのではなく、障害者と一緒に笑いあいながら、バリアフリーについて考えていきます。』(笑っていいかも?障害者バラエティー「バリバラ」)

spitzibaraさんの本やご紹介の記事などと並んで、こういう番組ができたことが、希望であり、到達点であり、女性の社会進出などと同様に、容易に覆せない「前進」なのではないか、と思うのです。

2012/12/26(水) 午後 10:01[ @hijijikiki ]

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 spitzibara氏の投稿:

hijijikikiさん、最初のコメントをいただいた直後に同時に書いていたみたいで、順番が錯綜しちゃったので、改めて書きなおしました。

私は先に「重い障害を生きるということ」を読んで、次に「はだかのいのち」を読んだんですけど、「あぁ、これが『重い障害を』の原点だったんだ」と思いました。本当はエントリーで詳しく紹介したい本なんですけど、まだ果たせていません。

イラストもびわこ学園の元職員の方だとか。本当に重心の子どもたちと触れ合われた方だけあって、彼らの姿をリアルに、軟らかく生活感も表情も豊かに描いてあります。私は49ページと53~54 ページで、こらえられずに嗚咽してしまいました。高谷先生が生活空間にいる重心の子どもたちに向けられる目線は、医師が「患者」に向ける眼差しではなく、 「同じ人間同士」なのだと思います。そのことに感動し、感謝でいっぱいになります。

2012/12/26(水) 午後 10:37[ spi*zi*ar* ]

バリバラはツイートをやっていた頃から題名だけは知っていたものの、なんとなく距離を縮めることができずにいましたが、でも、その「共に笑う」というの、実は私もずっと思ってました。なかなかうまく実例をあげられないんですけど、「身内」なら平気で共に笑えるけど、「外側」から頭で障害のある人のことを考えている人にはできないのかもしれない、でもそれって、本人のことをよく分かっている「こちら側」の人の間では、日ごろ当たり前に起こっていることなんだけどなぁ、みたいな。

そのプロデューサーの方は、さらに踏み込んで、笑いを通じて「外側」と「こちら側」とを繋げてしまおう、という大それた試みを始められたんですね。それは、すごい。今度、覗いてみます。

ちょっとポイントとしてはズレているかもしれないけど、前に「共に笑う」について書いたことのあるエントリーをTBしてみました。

2012/12/26(水) 午後 10:40[ spi*zi*ar* ]

hijijikikiさん、書き忘れました。

この前教えていただいた『環状島』をちょうど半分くらい読んだところです。できればエントリーにしたいけど、年末でもあり手元も混んでいて無理かも。

これは面白い本ですね。いろいろ刺激的で。で、なんか、この本を読んでいると、hijijikikiさんがここ数日のコメントで書いてくださっているように、世の中にはこういう仕事を丁寧にやろうとしている人だっている、こういう世の中の進歩だってちゃんとあるじゃないか、ということが感じられたりもします。良い本を教えてくださって、ありがとうございました。

2012/12/26(水) 午後 11:55[ spi*zi*ar* ]

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 @hijijikikiの投稿:

TBのエントリー「その人なりの分かり方・その人らしさの匂い」http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/41308310.html読みました。「その匂いを嗅ぎ取れる鼻さえあれば」って、わかる気がします。

嗅ぎ取る鼻、嗅覚、私なりの言葉で言えば、視点を変えること、違った立ち位置から見ることで、全く違った(というよりも、気にも留めなかったり、無視したり素通りしてきた)感覚や風景や世界が見えてくる、ということでしょうか。
先に書いた、「今の主流の常識・功利主義的な考え」に浸っていたり、囚われていたりすると、気が付かなかったり、素通りしたり、排斥されたり、無いものにされたりするような姿の世界、とりあえず「別の姿の世界」と呼びます(立岩さんっぽいか(笑))。

そして、そのような嗅覚や視点を持つためには、一定の余裕が必要だと思います。この余裕は私の言葉で言えば、健康で文化的な生活が可能な経済的・社会的、対人関係的な余裕であり、湯浅誠氏の言葉で言えば「溜め」に近いのかと。

2012/12/27(木) 午後 10:40[ @hijijikiki ]

「バリバラ」では、この「別の姿の世界」と「世間で主流と思われる世界」の間の葛藤や軋轢やねじくれなどなどが、俎上に上げられ、ああでもないこうでもないと、多くの異見や異論などなどが交錯し、しかもそれが具体的で切実で理解しやすいものが多いです。

NHKの他の障害・マイノリティ番組には無いような、異論や異見や突っ込みの自由さ(もちろん制約や限界や当たり外れは多々ありますが、研究者の理解しにくい論文や本や言説にはない取っ付きやすさや分かりやすさを買って、かなり甘めのわたし的な評価なのかもしれませんが)を感じます。
って、百聞は一見に如かずなので、是非是非見てみてください。

2012/12/27(木) 午後 10:44[ @hijijikiki ]

宮地尚子「環状島」、すごい本だと思います。

2008年12月のジェンコロ(上野千鶴子氏の公開ゼミ)に著者が出るのでわざわざ東大の本郷キャンパスまで聞きに行きました。
その後に著者宛に感想/書評メール『「環状島」とジェンコロの感想:生存権運動との接点』を送りました。
(どこにもアップしてないので、ツイッター&リンク先に感想/書評をアップしました。私のツイッターのアカウントにあります(上のコメントの下部のURL表示からもリンクしてます)。よろしければご覧下さい。)

そのうちに、ぜひともエントリーにしてください。楽しみにしています。

2012/12/27(木) 午後 10:53[ @hijijikiki ]

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 spitzibara氏の投稿:

hijijikikiさん、こんばんは。余裕、おっしゃる通りですね。いろんな意味で自分のことで精いっぱいだと、「自分」に囚われていたり、常に自己証明や自己確認の必要に迫られていたりすると、他者と接していてもその他者の姿は見えないですね。一人の人の中でも状況や相手によってはあることだろうと思いますが、社会状況からも、そういう余裕のない人が増えているんだろうな、とも思います。

そして、それが、ちょっと表現しにくいんですけど、『環状島』で書かれている問題にもつながっていくような気がします。hijijikikiさんが著者に書かれたメールを読ませてもらって、いつもながらhijijikikiさんはいつも社会の問題としての視点がくっきりしておられるなぁ、と改めて思いました。私はものすごく個人的な読み方をしているなぁ、とも。

2012/12/27(木) 午後 11:28[ spi*zi*ar* ]

傷を受けた人間、痛みや深い悲しみを抱えている人間同士って、どこかで求心力が働くところがあると思うんですけど、そこの関係性にはものすごく難しい問題がいっぱいあるなぁ、ということをずっと体験してきたり、考えてきていたりして。んー。まだ、うまく書けません。読みながら、考えますね。

2012/12/27(木) 午後 11:54[ spi*zi*ar* ]

hijijikikiさん、昨夜、寝る前に読んだ『環状島』の後半部分で、すごく整理できたことがあったので、忘れない内にここに。

知的障害者の自立生活の支援者の方が、「自分たちは親によって当事者を奪われてきた」という言い方をされるのを読んだ時に、そこにある被害者意識の匂いに強烈な違和感があったんですけど、あれは私から見れば「逃げることができる」つまり「外斜面にいる」支援者が当事者と自分を内斜面に置き、親を加害者としたトラウマの環状島を描いていることへの違和感だったんだな、と。

でも「当事者を奪われた」支援者は、すでにその環状島にはいないはずなんですよね。その当事者の人生からは立ち去っているわけだから。そうでなければ成り立たない形でしか事業所としての支援はできないし、現にそれを言われた支援者の方も幾つかのケースで「逃げた」ことを認めておられる。でも親は子どもを施設に入れたとしても、子どもがどこでどのような生活をするとしても、その子の人生からは基本的には逃げられない。

2012/12/28(金) 午後 3:17[ spi*zi*ar* ]

なんか、ずっと、この人にとっては、「自分が当事者の隣に寄りそっていて一緒に親と対峙している」というイメージなんだろうなぁ、という感じがしていたのが、環状島でポジショニングの問題としてくっきり整理できたというか。

もちろん、どういう環状島だってあり得るわけだから、その人の支援者のしての痛みの体験にはそういう環状島だってあっていけないわけじゃないんだけれど、その環状島がその人の内面の問題で留まらず、親に向かって自分自身の被害意識として突きつけられた瞬間に、その環状島からは実は当事者が不在になってしまっているんじゃないか、みたいな。

親としては、当事者が内斜面にいて、そのすぐ上に当事者を自分の身体で支えつつ親がいる、支援者はあくまで外斜面の人、というのが無意識のイメージなんだと思うし、そこには、たぶん親ももっと当事者から離れて外斜面に近いところや、外斜面側に行ってしまっている環状島だってあり得るという想像力が必要なんだろうとも思うのですが。

2012/12/28(金) 午後 3:34[ spi*zi*ar* ]

環状島とポジショニング、アイデンティティ……考えさせられますね。それから「何を知っているか」ではなく、「自分は何を知らなくていい人間と思っているか」という辺りのこと、漠然と感じていたことが、くっきりと見えてくる感じ。だからこそ言葉にできないものを言葉にしようとする努力を自分は自分のいるところで続けていこうう、と思える。

2012/12/28(金) 午後 3:35[ spi*zi*ar* ]

内斜面にいる当事者と外斜面にいる支援者の溝、という意味でも、みんな自分を内斜面に置いた環状島をいくつも持っていて、そのポジショニングを点検・整理せずにものを言ってしまうんだな、という意味でも、私が上に書いたこともまた、親は当事者だという内斜面のポジショニングに乗っかって初めて言えてることなんだろうな、ということも含めて。

あー、ちょっと無意味にグルグルし始めました。明日から親子3人の年越しモードに突入のため、残りは来年の課題ということで。

2012/12/28(金) 午後 4:43[ spi*zi*ar* ]

hijijikikiさん、バリバラ初体験してきました。フツーに面白かったです。また今度見てみますね。

2012/12/28(金) 午後 10:21[ spi*zi*ar* ]

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 @hijijikikiの投稿:

「傷を受けた人間同士‥の関係性にはものすごく難しい問題がいっぱいある」>はい。まさしくその問題が、「環状島」が課題として扱おうとしている大きな問題の一つだと思います。

私の著者へのメールには、直接その部分については言及してません(はじめは書いたのですが、上手くまとまらず、削除しました)。
更に、その部分、具体的な被害者と支援者の関係と、特定の「環状島」の水位の問題に踏み込む前に、包括的=社会的な観点から見た場合の、全ての「環状島」の水位や被害者の置かれた社会的な状況をまず問題にすることが重要と考え、先に個別の問題の“外堀を埋める”ことを考えて、あのように書きました(「環状島」にはそのような視点があるけれども少ないと思ったことも、そう書いた理由の一つです)。

立岩真也氏、山口真紀氏も雑誌「みすず」の連載「身体の現代」などで、発達・精神障害やAC問題の置かれた社会的な枠を、当事者や支援者、研究者の著作や論争などの“現代史”を見て行くことで、大枠や“外堀”を明らかにしようとしているように思います(2012年出版の予定とあるが、まだ出ていないようです。早く読みたい)。

2012/12/29(土) 午前 2:04[ @hijijikiki ]

『この人にとっては、「自分が当事者の隣に寄りそっていて一緒に親と対峙している」というイメージ』>支援者が、被害者・当事者よりも熱くなって、思い入れが過剰になるような例は、多々ありそうですね。

宮地氏がジェンコロで講演したときも、支援者からの質問で「我々は被害者のためにこんなに必死で支援しているのに、なぜあなたはそれを問題視するように書くのか」というような主旨の発言をされてました。
その発言を聞いて、「えっ!あなた「環状島」読んだの?」と思ってしまいましたが、そのくらい自分の行為の正しさを信じて疑わない“天然”な人がいるんだ、と思いました。
というよりも、支援することに自分の存在がかかっている、アイデンティティの保持のためなのか。信仰のような強い思い入れの感じもします。

「環状島」に書かれている、日本で初めてのセクシュアル・ハラスメント裁判原告の晴野まゆみ氏が、支援者との関係で苦しみ、葛藤するのも、この支援者の自分の行為の正しさに対する信念が大きく作用しているのでは、と思います。

2012/12/29(土) 午前 2:11[ @hijijikiki ]

「内斜面にいる当事者と外斜面にいる支援者の溝‥みんな自分を内斜面に置いた環状島をいくつも持っていて」>このへんの気が付きにくい、わかりにくい対人関係における複雑さや、相反する要素が同時に絡み合っている状況を、少しでも整理して考えをまとめるための、現状に縛られず、違った道を模索するためのツールとして、「環状島」は実際に使える実用書だと思います。

ぜひぜひこの辺の事例をわかりやすく展開したエントリーなどなどを、そのうちおねがいします。楽しみにしています。

バリバラについては、当たり外れがあるし、わたし的には、障害者に無関心なフツーの人に対して説得力がある(例えば障害差別禁止法や宇都宮さんの主張を支持してもらうなどなど)ことを評価しているので大甘かもしれません。

では、続きは来年ということで、良いお年を。

2012/12/29(土) 午前 2:13[ @hijijikiki ]


ひじじきき @hijijikiki

「右傾化と揺り戻し:選挙後のspitzibara氏とのやり取り」をトゥギャりました。 http://t.co/SA4yo0sP

2013-01-04 22:27:11

 


■ spitzibara氏のブログ「Ashley事件から生命倫理を考える」から引用:

 元旦に、今年の自分に贈りたい言葉

http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/65953696.html
2013/1/1(火) 午後 10:58

新年あけまして、おめでとうございます。

2013年の元旦に、
今年の自分自身に向けて贈っておきたい言葉を、
年末に読んだ『環状島=トラウマの地政学』(宮地尚子)から――。

――――――――――――――――
 一方で、市民の教育レベルが全体的にあがり(どんな教育かにももちろんよるが)、かつ弱者のエンパワメントがすすめば、判断を専門家に委ねるしかないとされたときにも、それを疑ってかかり、誰もが当事者研究をする基盤は維持される。自己肯定感を根こそぎにされなければ、「専門家でもない者が口出しをするな」という物言いに対し、「でも、専門家だからこそ切り捨ててしまう視点や事実がある」と言い返すことができる。……(中略)……インターネットが世界に情報の民主化をもたらすという夢はすでに現実からかけ離れたものであることが明らかになったが、それでもこれまで発話や表象へのアクセスをもたなかった弱者が、「情報操作」の対象から行為者に変わる契機は増えているに違いない。
(p.208-209 ゴチックはspitzibara)
――――――――――――――――

このブログに寄ってくださる方々にも――。

【1月3日追記】

コメントいただいて、本当はちゃんとエントリーにしたいんだけどなぁ……と
付箋だらけの『環状島』をめくっていたら、上記の引用箇所の直前に、
もちろん上記の引用に繋がっていくと同時に、spitzbiara的には、
いただいたコメントにも直接的に関係すると思える個所が目についたので。

――――――――――――――――
 遺伝子操作や機能的脳画像検査など、科学技術が発展し、専門分化し、それらが巨大な産業や資本、経済と結びついている現代に置いて、高度な専門知識を持つ科学者の役割、ミッシェル・フーコーのいう「特定領域の知識人(特殊的知識人)」の役割はますます重要になってくるといえるだろう。しかし専門分化が極度に進んでいるからこそ、同時に、起きている物事を総合的に見通す「普遍的知識人」も貴重になってくるに違いない。
(p.207)
――――――――――――――――

もう一つ、

――――――――――――――――
けれども油断をしたら、いつでも<水位>は上がる。<重力>や<風>にあおられて、内側の人が<内海>に、外側の人が<外海>へ放り出され、島の上に立つ人間がいなくなれば、それは加害者の勝利である。すべてが沈黙させられ、忘却されてしまえば、「完全犯罪」となる。環状島の上に立つ被害者や支援者を分断し、孤立化させ、消耗戦に持ち込み、息の根を挙げるのを待ち構える動きも、確実に存在する。
(p.37-38)
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■ 以下は、上記エントリーのコメント欄から引用:

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 @hijijikikiの投稿:

新年おめでとうございます。今年もよろしくおねがいします。

昨年末のコメント欄でのやり取りのまとめをつくりました。
「右傾化と揺り戻し:選挙後のspitzibara氏とのやり取り」http://togetter.com/li/433993
です(このコメント欄下部の名前のリンクからでも行けると思います)。
過不足や問題がありましたらコメント下さい。

上のエントリー、まさにspitzibaraさんのお仕事、このブログのことなどを言っている感じがします。特に「「専門家でもない者が口出しをするな」という物言いに対し、「でも、専門家だからこそ切り捨ててしまう視点や事実がある」と言い返すことができる。」なんてところなど。

そうそう、油断すると<水位>が上がってしまう。何とか少しでも<水位>を下げることを、身の回りの小さな範囲でもよいから、とにかくなんとかやってゆきたいと思います。

2013/1/4(金) 午後 10:46 [ @hijijikiki ]

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 spitzibara氏の投稿:

hijijikikiさん、あけましておめでとうございます。こちらこそ今年もよろしくお願いいたします。

年末には尻切れトンボのやり取りになってしまって、すみませんでした。私の方は大したことを言っていないのに、いつもまとめを作ってくださって、また、なんとも嬉しいコメントを、ありがとうございます。

自分に引きつけるのもおこがましいとは思うのですが、なにしろ、「専門家でもない者が」という風当たりはすっかりお馴染みになってしまった(笑)し、その一方で「あちこち私たちが見えないところで水位が上がっているよ」とブログで言い続けて、ふと気付いたら「自分のすぐ足もとで水位が急上昇してきたっ」というのがこのところの実感で。『グレート・ディベーター』のDVDと『環状島』のこの一節をお守りに、私もなるべくメゲずに自分なりのペースを守ってやっていきたいなぁ、と思っています。時にメゲながら、もアリですよね。

2013/1/4(金) 午後 11:02 [ spi*zi*ar* ]

hijijikikiさん、そういえば、まとめhttp://togetter.com/li/431998を読みに伺った時に、モジモジ先生の会見(?)文字起こしも読ませていただきました。「権力に見合った知性がない」って、ほんと、実感ですね。これを読ませていただくにつけ、上の引用箇所にある「自己肯定感を根こそぎにされない」ということ、「根こそぎにしようとかかってくるものに抗って、根こそぎにされずに自分で自分を肯定できる強さを維持し、守る」ということについて、考えさせられます。

いつも貴重な情報をありがとうございます。

2013/1/4(金) 午後 11:09 [ spi*zi*ar* ]

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 @hijijikikiの投稿:

こんばんは。返信ありがとうございます。

「環状島」に関する議論や記述は、表現しづらい/込み入った/一筋縄では行かない論点が多くあり、更に論点同士が絡み合っていて、なかなかムズイので、じっくり時間をかけて取り組みたいと思ってます。またそのうちお願いしますね。

『ふと気付いたら「自分のすぐ足もとで水位が急上昇してきたっ」』>いやー、ほんとにあちこちで水位が上昇して、息苦しくなってきてますね。下地氏などの微罪逮捕も、十年前にはオウムや暴力団のみに適用されてきた。それが今や大学教員にまで。

先日、録画したNHKの「森と水と共に生きる ~田中正造と南方熊楠~」(昨年1月の再放送)を見たのですが、田中正造の取り組んだ足尾鉱毒事件は足尾銅山周辺や渡良瀬川流域の問題だったのが、水俣病や原発事故では更に範囲が広がってきています。

この足尾鉱毒事件は日本で初めての大規模公害事件ですが、政府や御用学者(田中正造がそう書いていた!)の隠蔽や過小評価の方法は水俣や原発問題とよく似ています。(というか、権力者が過去の成功例!から学んでいるのでしょう。)

2013/1/6(日) 午前 0:56 [ @hijijikiki ]

更に、水俣病に取り組んだ原田正純医師は、田中正造が民衆から学ぶことにより、谷中学を作ったことを手本にして、水俣学を作ったことも番組で紹介されています(@study2007氏のまとめ「Eテレ 田中正造と足尾鉱毒事件20120123まとめ」http://togetter.com/li/245753がお奨めです)。

今回の原発事故では、爆発による放射性物質の拡散だけでも東日本の広範囲に及んでいますが、それに加えて、被災地のがれきを全国に拡散して焼却するという、二次拡散とも言うべき愚行を政府・行政が各地の住民に押し付け、それに反対する下地(モジモジ)氏たちが不当逮捕されています。

この原発事故による汚染の隠蔽や被害の過小評価と、その上にがれきを全国で焼却して汚染を更に拡大するなどの一連の動きは、「環状島」の言葉で言えば、<水位>を上げる行為でしょう。(<水位>=「トラウマに対する社会の否認や無理解の程度を意味する。」という言葉を拡張して、「ある事件の被害の程度や重要性などに対する、社会の否認や無理解や隠蔽や過小評価」と読み替えて)。

2013/1/6(日) 午前 0:57 [ @hijijikiki ]

このように、科学技術の{進歩」の裏に、都合の悪いことを隠蔽する、<水位>を故意に上げる、または上げるように誘導するなどして、権力者の利益やわがままを押し通そうとする動きがずっとあり、このような観点からの歴史、民衆史的な近・現代史が重要だと思います。立岩真也氏も医療などの現代史を発掘する作業を提案していたと思います。
(と言いつつ、ハワード・ジン『民衆のアメリカ史』よりも読みやすそうなので、同氏の『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史』をちょっと読んだだけで積ん読状態です。)

上記観点での民衆史的な現代史は、「環状島」の言葉で言えば、この<水位>を上げようとする動きをけん制し、やめさせ、「環状島」の構造や実態を明らかにして、多くの人に知らせること=<水位>を下げることにつながるのでは。
立岩さんやspitzibaraさんの仕事はこの<水位>を下げることにつながっていると思います。

2013/1/6(日) 午前 0:59 [ @hijijikiki ]

『モジモジ先生の会見‥「権力に見合った知性がない」』>これは、直接には警察・検察・裁判官への評論だったと思いますが、他の多くの場面にも見られると思います。

例えば、まとめのコメント欄に多く見られる、「迷惑なことしたから、逮捕されても当然」のようなレベルの「知性」というか「俗情」(と私は呼ぶことが多いですが)などがあります。そんなレベルで、一応法律の知識があって、都合のよい解釈や運用はしても、弱い立場に立たされた人が社会でどのように生活していて、どんな困難や問題があるのか、という考えや観点、弱い立場の人の行動を規制し、裁く上での人権意識などがあるとは思えない。上意下達やお上の顔色を伺う“ヒラメ裁判官・警察官”のことを言っているのだと思います。

このような社会構造、権力構造にどう対処したらよいのか。その例が田中正造や原田正純氏などの行動や、その他の近・現代史における多くの弱い立場の側に立ってきた人たちから学ぶことでしょうか。

2013/1/6(日) 午前 1:01 [ @hijijikiki ]

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 spitzibara氏の投稿:

hijijikikiさん、貴重なお話ありがとうございます。立岩先生と並べてもらうと、恐れ多くて、ひぇっと身がすくんでしまいますが、

科学技術の{進歩」の裏に、都合の悪いことを隠蔽する、<水位>を故意に上げる、または上げるように誘導するなどして、権力者の利益やわがままを押し通そうとする動き……まさに、おっしゃる通りですね。そこのところの問題が「ファーマゲドン」にも繋がって、原発問題の構造そのもののような気がします。

本来は強い立場に身を置いていながら弱い立場の側に立ってきた人たちから学ぶことが多いというのは、本当にhijijikikiさんの言われる通りですね。

2013/1/6(日) 午後 5:06 [ spi*zi*ar* ]


■ spitzibara氏のブログ「Ashley事件から生命倫理を考える」から引用:

 ファーマゲドン: オピオイド鎮痛剤問題のさらなる裏側

http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/65963557.html

2013/1/4(金) 午後 9:24

オピオイド鎮痛剤の過剰処方の問題については、
以下の記事を始め、いろいろと拾ってきていますが、

“オピオイド鎮痛剤問題”の裏側(米)(2012/10/20)

続報といってもよい記事が大晦日のWPにありました。

(....省略....)

今回のWP記事のポイントは、
OxyContinの製薬会社Purdueや販売会社などがいかに論文で治験データを隠ぺい・操作し、
FDAの諮問機関にいかにそれら企業と金銭繋がりのある研究者が含まれて、
「オピオイド鎮痛剤の依存リスクは非常に小さい」との通説が形成されていったか、

それによって、いかにガンや急性疼痛から慢性痛への処方拡大が誘導されてきたか、
そして、現在いかに多くの患者が依存に苦しみ、時に命まで落としているか、という点。

ざっと、事実関係を中心に以下に。

連邦政府の統計によると
処方鎮痛剤への依存症は実はコカインやヘロインへの依存患者よりも既に多く、
全米でほとんど200万人。

オピオイド鎮痛剤の処方数は過去20年間で3倍に急増している。

この記事は、その増加を後押ししたのは
a massive effort by pharmaceutical companies to shape medical opinion and practice
(医学的見解と医療実践に手を加えて形成しようとの製薬会社による多大な努力)
だったと書く。

例えば、年間20人が薬物のオーバードースで命を落としていて
一時は人口8万人の地域にピル・ミルが9件も林立し
昨年は住民一人当たりにつき100回分以上のオピオイド鎮痛剤が処方・販売されたというポーツマスでは
保健師がこの状況を「ファーマゲドン」だ、と。

(「ピル・ミル」とは、カネ儲けのために処方麻薬でショーバイする医師や診療所のこと。
「ピル・ミル訴訟」についてはこちらのエントリーに)

もともと90年代までは
医師らはオピオイド鎮痛剤の処方には慎重で、
ガン患者と急性疼痛の患者以外にはほとんど処方されていなかったが、
少しずつ規制が緩和されていき、

1995年のPerdueによるOxiContin発売で一気に処方が急増。
2000年代に入るとオーバードースや依存症者の報告も急増した。

2003年にNew England Journal of Medicineに発表された論文は
依存リスクを最小限と報告したが、

この論文の主著者はその後
オピオイド鎮痛剤処方のあり方を先頭に立って批判しているとのこと。

また上記を始め、当時の「離脱症状はまれで依存リスクは小さい」との知見形成に影響した論文を
WPが調査したところ、

16の治験のうち、5つはPurdueの資金によるもので、2つはPurdueの職員との共著、
2つはPurdue以外のオピオイド鎮痛剤の製薬会社の資金によるものだった。

発表後、Purdueが離脱症状を否定する根拠として繰り返し使った論文では
離脱症状が疑われるケースを削除したデータがPurdue側から研究者に渡され、
研究者らはPurdueから受け取ったデータを分析しただけだったとか。

その論文では、100人中離脱症状があったのは2名と報告されたが、
内部文書によると11人が起こしていた。

(現在はだいたい50%が依存を起こすと理解されている、と専門家)

FDAが2002年に諮問したパネルでは
10人の外部委員のうち5人がPurdueとの金銭関係がある研究者だった。
そのうちの一人はその後オピオイド鎮痛剤の「宣教師」役を演じた後悔を語って
次のように発言している。

「プライマリーケアの聴衆が……オピオイドを使いやすくなるような説明を創ろうと……」

「主な目的はオピオイドのスティグマを解消することだったので、
我々はしばしばエビデンスはなおざりにして……」

「今では依存症や本人の意図しないオーバードース死が多発し、
ここまで影響が広がってしまって、私のような人間が推進した処方拡大が
部分的にはこうした出来事を引き起こしたと思うと、まったく恐ろしいです」

     ------

前にも書きましたが、
これまで向精神薬や骨減少症や心臓ステントなどを巡って当ブログが拾ってきたスキャンダルと
まったく同じ構図がここでも繰り返されている――。

読めば読むだけ、それが確認されるばかり――。

例えば、最近の糖尿病治療薬Avandiaのスキャンダルでは
製薬会社資金での治験が増えて論文の治験データの信憑性が揺らぎ
医学研究そのものが崩壊の危機に瀕している、と
New England Journal of Medicine の編集長自らが認めている ↓

製薬会社資金に信頼性を失っていく治験データ……Avandiaスキャンダル(2012/11/30)

【追記】
今日のNYTにも OxiContin関連のニュースあり、
近くOxiContin と Opana のジェネリック薬が発売されるにあたり、
濫用防止のため砕きにくく溶けにくくするなど錠剤の工夫を求められてきたPurdueなどが
同様の工夫が十分でないと主張してジェネリックの発売を阻止しようとしていたが失敗したらしい。
「儲けのためじゃなく、国民の安全のためだ」と主張していたらしいけれど、
上のWP記事を読んだ後でそれを言われても……。
http://www.nytimes.com/2013/01/02/health/drug-makers-losing-a-bid-to-foil-generic-painkillers.html?_r=0

(....省略....)

 

 
 
■ 以下は、上記エントリーのコメント欄から引用:

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 @hijijikikiの投稿:

「ファーマゲドン」のご紹介(があったので、やり取りの続きはこちらに書きます)ありがとうございます。昔、癌に対する医用麻薬の使用は習慣化しないという話を聞いて、そうなのかと思っていたので、ビックリです。

逆の話として、米国などでは、医療用大麻がやっと使われだされたようです。日本では、非合法化されるまで、昔から大麻は薬用に使われてきました。FDAの試験などよりずっと長い、昔からの民間使用の実績があるのに、医薬業界の儲けにつながらないせいか、いまだに日本では薬用として医療業界ではほとんど注目されていません。

「製薬会社や販売会社などがいかに論文で治験データを隠ぺい・操作し、FDAの諮問機関にいかにそれら企業と金銭繋がりのある研究者が含まれて‥リスクは非常に小さいとの通説が形成されていった」というご指摘の通り、他の向精神薬や抗癌剤などなどの医薬品と同じ構造ですね。
そしてこれは足尾鉱毒事件や水俣病、放射性物質による低線量内部被曝などの有害物質の危険性の過小評価や軽視・無視とも、とても似ています。

2013/1/7(月) 午前 1:57 [ @hijijikiki ]

前に言及していただいた下地(モジモジ)氏の「権力に見合った知性がない」というのは、上述のエントリーのような例では大企業や役所・官僚や研究者やマスコミにも言えることだと思います(知性というより、良心・まともな思考かな)。

というか、一般に「権力や影響力を持っている人間のすることに気をつけろ」という“常識”がなく、与えられた情報を疑うことなく、マスコミを信じてしまうことも、このような事態が繰り返される背景として、大きな要因になっているように感じます。
(この傾向が日本人に特に強いこと、また教育で「日本の高校が注入主義に極端に偏っている」等を、まとめ「日本人は弱い立場の人(フリーライダーや自力で生活できない人)に冷たく、生活保護の捕捉率が低いのか?」http://togetter.com/li/287622に紹介しました。ご参考まで)。

ただ、マスコミや教育の影響も大きいですが、権威や権力を信じて、判断を任せて、自分の判断を放棄してしまうことが、根底にある最大の問題だと思います(『「専門家でもない者が」という風当たり』も、この辺から出てくるのでは)。

2013/1/7(月) 午前 1:59 [ @hijijikiki ]

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 spitzibara氏の投稿:

hijijikikiさん、そうなんです。まったくおっしゃる通りで、ビッグ・ファーマによるファーマゲドンの問題も最先端医療の研究開発の問題も慈善資本主義の問題も、まさに原発の問題と構造がそっくりだと私もずっと考えていて、その「グローバル強欲ひとでなしネオリベ金融慈善資本主義」の構造的な問題こそを当ブログは問題にしてきているわけなんですけど、皮相的に捉えて「専門家でもない者が」と叩きに来られる方がおられて、時に苦労しております(汗)

2013/1/7(月) 午後 0:53 [ spi*zi*ar* ]

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 @hijijikikiの投稿:

昨年末のコメント欄でのspitzibaraさんとのやり取りのまとめ、「右傾化と揺り戻し:選挙後のspitzibara氏とのやり取り」に、その後の新たなやり取りを追加しました。

やり取りにお付き合い頂けて、色々な論点がつながったり、確認できたり、発見できたりして、とても有益でした。ありがとうございました。
「環状島」については、いろいろな意味で大変なテーマだと思うので、じっくり取り組んでいきたいと思ってます。今後のspitzibaraさんのエントリーも楽しみにしています。

2013/1/7(月) 午後 10:00 [ @hijijikiki ]

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 spitzibara氏の投稿:

hijijikikiさん、おはようございます。こちらこそ、いつも有意義なやり取りをありがとうございます。

私もhijijikikiさんのコメントに教えられること、触発されることが多く、それぞれの論点で書きたいことが頭にあふれて、どうもコメント欄ではそれらを拾いきれない恨みが残ってしまいますね。そのうちに、ここで取りこぼしたものが頭の中で少しずつまとまり形を成して、いずれエントリーになっていくといいなと思っています。今後ともよろしくお願いいたします。

2013/1/8(火) 午前 8:24 [ spi*zi*ar* ]
 
 


 

 

 

 

 
 

 ■関連するまとめ、記事:

★「選挙が終わっても、運動・生存のための活動は続く:都知事選の宇都宮候補と勝手連」http://togetter.com/li/425684

★「モジモジ氏の逮捕記事が新聞に掲載『‥駅での訴え犯罪?「表現の自由萎縮招く暴挙」』」http://togetter.com/li/426345

★「人にやさしい東京をつくる会 政策集完成版」(宇都宮けんじ氏の擁立団体)http://utsunomiyakenji.com/policy/complete_policy.pdf

★「笑っていいかも?障害者バラエティー「バリバラ」」 http://allabout.co.jp/gm/gc/372839

★みすず書房のHP:「環状島=トラウマの地政学」http://www.msz.co.jp/book/detail/07339.html

★『「環状島」とジェンコロの感想:生存権運動との接点』(著者の宮地尚子氏宛の2008年のメールの抜粋)http://twishort.com/ZmJcc
 
★「Eテレ 田中正造と足尾鉱毒事件20120123まとめ」http://togetter.com/li/245753
 
★「日本人は弱い立場の人(フリーライダーや自力で生活できない人)に冷たく、生活保護の捕捉率が低いのか?」http://togetter.com/li/287622
 
 

まとめ 選挙が終わっても、運動・生存のための活動は続く:都知事選の宇都宮候補と勝手連 都知事選に立候補した、サラ金・多重債務問題や貧困問題など社会問題に幅広く取り組んできた宇都宮けんじ氏(元日弁連会長、反貧困ネットワーク代表、年越し派遣村名誉村長)とその周辺、勝手連やボランティアなどの、選挙と今後の活動についてのツイートを主にまとめました。 ●追加しました。 ■選挙後の宇都宮けんじ氏の発言: ・ボランティアの皆さんと選挙活動をできた。誇りに思う。脱原発 貧困と格差をなくす 教育 憲法をまもる などは、これからも皆さんと一緒に続けてゆく。背後にいる比較的冷めた目で都政を見ている人々にも伝えてゆく。石原都政具体的に何が問題だったか。 ・日本のいまいちばんの問題は選挙で決まったらそれでお任せということになってしまうこと。日常的な取り組みが大切。選挙はあくまで運動の一形態。身近な問題だけでなく、原.. 4891 pv 57 1 user 3
まとめ モジモジ氏の逮捕記事が新聞に掲載『‥駅での訴え犯罪?「表現の自由萎縮招く暴挙」』 東京新聞12月21日朝刊特報面に、下地真樹(モジモジ)氏の逮捕に関する記事、『震災がれき反対 また逮捕者 駅での訴え犯罪?「表現の自由萎縮招く暴挙」』が掲載された。 『大阪府が放射性物質を含んだ震災がれきの処理を受け入れた問題で、JR大阪駅前で通行人に焼却や埋め立てへの反対を訴えた大学教員ら3人が大阪府警に逮捕された。「通行人の妨げになっていない。表現の自由を侵害している」と、憲法学者ら七十人が抗議声明を発表する事態に』 という記事に関するツイートをとりあえずまとめました。 ★2017年5月1日追加しました。 ● 本まとめに続くまとめを作成しました: 『下地真樹氏とN氏釈放会見「注目と支援がなければ確実に起訴されていた」』http://togetter.com/li/431998 ●題名を変更しました。.. 36063 pv 768 14 users 21
リンク [お笑い・バラエティ番組] All About 笑っていいかも? 障害者バラエティー「バリバラ」 お笑いファンの中では、すでに熱い話題となっているバラエティー「バリバラ」。どんな過激な民放のバラエティーでもマネできない内容が、NHK教育テレビで絶賛放送中です。その人気を受け、きたる12月4日にゴールデンの2時間特番としてオンエアが決定!! 今回は番組プロデューサーからの長文メッセージとともに、「バリバラ」そして特番の魅力にぐっと迫ります。
リンク www.msz.co.jp 環状島=トラウマの地政学:みすず書房 『環状島=トラウマの地政学』の書誌情報:戦争から児童虐待にいたるまで、トラウマをもたらす出来事はたえまなく起きている。「言葉では表現しようのない」この出来事は、それでも言語化されていった。しかし、言葉にならないはずのトラウマを伝達可能な言語にするという矛盾は、発話者をも聞く者をも揺るがせる ...

 
 

 『「環状島」とジェンコロの感想:生存権運動との接点』(@hijijikikiから、著者の宮地尚子氏宛の2008年のメールの抜粋)

はじめまして(....省略....)。

先日の上野さんのジェンコロに参加しました。
「環状島」とそのときの感想をお送りします。

まず、本について。ジェンコロでも「実用書」という評価があったと思います。私もこの本は多くのことがらや概念を考えたりまとめたり接合したりするのに使える「実用書」だと思いました。以下の感想もこの本の実用性・広がりに触発されてついつい書いてしまったものです。後述するように宮地さんの論文「支配としてのDV」も自分の経験のまとめあげに関してとても実用的だったです。

●ジェンコロの発表:
 まず、当日のお二人の当事者の発表について。
ある出来事(強い強度で一過性)の経験が、その後の生と生活の全体を根こそぎ変えてしまう、生きることに多大な困難と苦痛を伴う、ということを直接本人の口から聞けたことは得難い経験でした。

(....省略....)

●低強度で持続的なトラウマ(Ⅲ型)と生存権:
 私の場合は、低強度で持続的な出来事・体験がどのように生と生活の全体に影響するかということに特に関心を持っています。
以下に述べる「環状島」と生存権運動との接(合)点という私の問題設定もこれによるものです。

トラウマという言葉を聞いてまず浮かぶのは、戦争体験やレイプなどの高い強度の一過性の経験で、低強度で持続的なことは...と考えていて宮地さんの「トラウマの医療人類学」を見直したら、「マイノリティのトラウマ」という章に書いてありました。
この章のⅢ型トラウマ(被差別等)が生存権~貧困問題に隣接、重なっているところがあるのではと思いました。
また、「性的支配と歴史」で宮地さんは「「生存権」は人間のもっとも基本的な権利である」(p40)と書いておられますが、私も全く同感です(憲法25条が小学生の頃から好きでした)。

以下に「環状島」の記述と生存権運動との関連を挙げてみます。

●環状島の<水位>とは何か:
 「環状島」の重要な概念に<水位>がある。
(1)<水位>とは「トラウマに対する社会の否認や無理解の程度を意味する。」(p32)

(2)弱肉強食、「自己責任」、序列化・階層化する社会では<水位>は上がる(p32)。
以上から、ネオリベ(ネオリベラリズム)がはびこる今の状況の<水位>は高くなってきているだろうと思います。

●複数の環状島の<水位>を下げる要因は何か:
(1)生存権の尊重(の実現)
 無条件の生の尊重とその実現。例えば生活保護を受けやすくすることなど、全ての人がまともに生存できる福祉(再配分)を実現すること。
これは、社会が「同情ではなく金」を全ての人の生存のために支払うという「生きていて」という強いメッセージになる(北欧福祉国のインタビューで「高い税金もこの福祉があるからOK」という話しからもこれが言えるのでは)。

(2)個々の環状島の<水位>を下げる権利運動・社会運動の意義(p34)と書かれていますが、それと複数の環状島全体の<水位>を下げる生存権運動とは、両方とも不可欠な車の両輪の関係ではないかと思います。

●<重さ比べ>と「犠牲の累進性」について:
 「犠牲の累進性」とは、「ネオリベ現代生活批判序説」の著者の白石嘉治さんが用いてる用語で、現代思想06年12月号の立岩真也+白石嘉治「自立のために」で
「…大学生なんかよりもフリーターのほうが大変でしょう、いやいやフリーターなんかよりも高齢者で貧しい人たちのほうが大変でしょう、それよりも、それよりも...というような形で、社会的なものがより狭い範囲に縮減されてしまう。p49」
ことです。

これは反貧困運動、プレカリアート運動をしている雨宮処凛さんも引用していて、石原都知事と対談したときに「…フリーターがいかに大変かという話しやネットカフェ難民の話をしたら、彼はウガンダの話しを始めたんです。それがまさに犠牲の累進性です。」「「生きづらさ」について」p139-40
(この対談は雨宮さんが石原都知事を論破している"すっげぇー"内容です)。

<重さ比べ>は主に当事者自身が自己(過小)評価に使うのに対して「犠牲の累進性」は強い立場に立つ者が弱い立場に立つ者に向かって用いる言葉であり、それを弱い立場に立つ当事者自身が内面化してしまい、無力感を募らせるという違いはあるかもしれないが、きわめて類似する側面があるように感じられます。

<重さ比べ>にしろ「犠牲の累進性」にしろ、どうしても他人と自分を比べてしまう人間の特性に名前を付けたこと、そしてそれが悪用され、自分の状態を把握し伝えることを妨げて苦しさを増加する要因となることをイシュー化(可視化)したことがとても重要なことだと思います。

●貧困:五重の排除で生じた"溜め"のない状態:
 反貧困ネットワークの湯浅誠さんによれば
「…貧困を「総体的な"溜め"(capacity)のない状態」と定義している。」
として、貧困を
五重の排除(①教育課程、②企業福祉、③家族福祉、④公的福祉、⑤自分自身からの排除)を背景に生じた"溜め"(金銭的な"溜め"、人間関係の"溜め"、精神的な"溜め")のない状態としています。(「若者の労働と生活世界」p341~)

更に、このような貧困を生じさせるのは、一度滑り落ちたらもうはい上がれない「すべり台社会」であると言っています。

以上のような、あるきっかけ(五重の排除)によって生と生活が立ちゆかなくなってゆき(溜めがなくなって)、その状態からはい上がれなくなってしまう、というのはまさに環状島のモデルに近いものを感じます。

また、ある事件・経験によって引き起こされた外傷(トラウマ)のために、上記の五重の排除を受けやすくなり(特に自分自身からの排除)、溜めのない(特に人間関係&精神的な溜めのない)状態に陥りやすいことは容易に想像できそうです(それ以上の悪条件:金銭的な溜めのなさがこれに加わった場合に、その人が自分の外傷をカムアウトして知らせることはおろか、そこから生還することもとても困難なことだと思います)。

●事後作用の2つの例:トラウマと社会の関係:
 以上に生存権・反貧困運動について述べました。自己責任という風潮の強いこの社会でも、この運動は徐々に社会運動として認知されてきているようです。
それに対して、トラウマとかメンタルヘルス系のことは社会問題ではなく本人や加害者の問題に矮小化され、その結果として社会的正義の問題ではなく、社会は"かわいそうな当事者"を温情で救ってあげましょう的な見方が一般に多いような気がします。
しかし実際はそうではないことを以下の2つの例で見てゆきたいと思います。

(1)「…事後的に知らされること、そういった一連の流れが深いトラウマをもたらす…」「環状島」p71
として事後作用について幼いときに受けた性的虐待が成長してその意味を知ったときに症状となって現れる例が引用先に示されてます。
幼いときに性的虐待を受けた当事者の手記などで、このような事後作用があることを読んだことがあります。

(2)小児科医・精神科医の石川憲彦さんは「心の病いはこうしてつくられる」

「…私は小児科医でしたから、医療的には正しくても子どもにとってみたら非常な乱暴を、しかも小児科医として親をまきこみ…やったわけです。...そういう意味で言えば虐待なのですが、なぜか被虐待児にならないわけですね。...手術跡とかが胸に残っていたらもの凄く落ち込む。...それは過去に起こった自分が受けた痛みが社会的に生きることの文脈――病気とよく戦った子供という文脈――によって和解されていく。もの凄い苦労しながら虐待をポジティブな体験にとらえ直す。それが可能な社会的文脈が用意されているからです。」p87-88

と述べています。

上記の2つの事後作用の例は対極的で、(1)はそのときは問題でなかったことが事後になって自分になされたことが社会的に(対人関係的に)ひどいことであることがわかった場合であり、(2)はそのときひどい経験にあったが事後になってそれが社会的に(対人関係的に)許容できることだと理解でき・和解が可能になった場合です。

この2つの例を考えると、今まで個人的・私的、せいぜい家族が問題にされてきたことはその背景に社会的な文脈があることが浮き上がってくるように思えます。
そのような観点からみれば、トラウマ(PTSD)にもまた社会的な側面が色濃くあり、生存権と同様に社会の問題としても扱うべきであることが明らかだと思われます。

●事後作用で示されることと<水位>との関係:
上記のように、事後作用で示されることから、トラウマ(PTSD)が社会的なものからの作用・影響を直接受ける(社会的なものが構成要件となっている)ことがあると思われます。
一方で、環状島の<水位>とは、社会的なものが間接的・環境的にトラウマ(PTSD)の可視化に影響することを表しているように思えます。
この二つのこと、社会的な要因がトラウマ(PTSD)に直接影響するか間接的に影響するのかということの区別・主張と、両者の関連性・つながりをどう考えてゆくのかはとても重要な課題だと思います。

長くなってしまいましたので、このへんでお送りします。

それではまた。

(....省略....)

 

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