- jonathanohn
- 13284
- 0
- 1
- 0
@trushbasket 恐らく完全に後継者として確定したの、義詮が生まれた後ですね。赤橋との婚姻と、その間に男児が生まれたことで、家督を継げたのだと思います
2013-01-11 23:24:30@mknhrk 後継者に決めて赤橋の婚姻、という説も見たことありますが、いずれにせよ貞時さんの寿命からしてかなりギリギリですね。【麓】
2013-01-11 23:26:14@mknhrk ですよね。義持さんみたいに、新たな男児誕生を期待してたんでしょうか?北条氏女性との間に。【麓】
2013-01-11 23:30:49@mknhrk あ、そういえば。建武の内乱で戦死した人でしたっけ。その成長を待っていたけれど貞氏の健康がそこまで持たなかった、という事なんでしょうね。【麓】
2013-01-11 23:34:13@trushbasket もしくは、情勢的に幼少の当主を待てない者、待ちたい者で、家中が二分していた可能性も。上杉や高あたり、暗躍してそうじゃありませんか。そういう状況なら斯波も思う所ありそうだし。
2013-01-11 23:38:20@mknhrk @trushbasket その解釈、いいですね。嫡嗣を尊んでいた足利家がなぜ高義の子を正嫡にしなかったかの回答になりそうです。
2013-01-11 23:40:00@amzgzm @trushbasket 高義の息子たちの母親の出自が不明なので、この女性が側室で、身分が高くなかった可能性もあるのですけどね。それならかなり待ったが掛かるはず。
2013-01-11 23:43:26@mknhrk @trushbasket 鎌倉前期みたいに遺児の嫡子が幼くても、成長するまで庶流が支えるって時流ではなかったのかなぁ。それも今からだとそう見えるだけで、当時はまた別な情勢だったのかしら
2013-01-11 23:42:40@catdrug @trushbasket そういう流れってよほど嫡流の内部がしっかりしてない限り、ほとんど乗っ取りパターンですな。
2013-01-11 23:44:29@mknhrk @amzgzm 確かに。そういえば代々、最初の子は庶子である事例が多いんでしたっけ、足利さんとこは。【麓】
2013-01-11 23:44:54@trushbasket @amzgzm 尊氏自身、長子の竹若は加古氏の娘との間の子ですな。かわいそうにこっちは直冬みたいに同情されませんが、加古氏は足利一門とはいえかなり家格が低いそうで
2013-01-11 23:46:34@trushbasket @mknhrk 竹若は生き延びれはある程度の地位はあったのかもしれませんね。地位があっても幸せな人生とは行かないでしょうが。
2013-01-11 23:50:18@amzgzm @trushbasket いやー 直冬みたいに出家コースではないかなあ。直冬と違って母方の実家がそれなりにあるので、また違うかもしれませんが、しかし出家したら英仲法俊(尊氏庶子)みたいに長生きしたかも
2013-01-11 23:54:01@trushbasket @mknhrk 足利義純のようになったとしても、いろいろと問題がありますし。出家が一番平穏そうですね。後の世から見れば早世によって、混乱の種が一つ消えた感もありますが。
2013-01-12 00:00:31@amzgzm @mknhrk その辺りが落としどころかもですね。いよいよとなると義教みたいに呼び戻せる訳ですし。【麓】
2013-01-12 00:02:19