狂人演説(2013/01/12):やっぱ再分配やアファーマティブアクションは必要ではないのか

ふと福島のことを考えたとき「福島に優先的に公共事業を振るのは機会の平等に反しているけど、結果の平等を考えたときは当然なんじゃないか」という発想になった。 そこから、再分配やアファーマティブアクションなど、結果の平等に対する政策についてつらつらと考えたもの。 やはり、機会が均等で、動機も同じような場合でも、何らかの問題があって実際には平等な結果にはならんことがあるんです。そういう場合、問題が解決されるその日まで、結果の平等は何か実現するしかないんじゃないでしょうか。 また、公共の政府等の任務というのは、そういう機会や結果の平等をもたらすことにあるんじゃないでしょうか。 個人でできることは限られているし、特に公の平等をもたらすというのには全く向いていない。それこそ政府の仕事なんじゃないか。という。 続きを読む
メモ 公共性 アファーマティブ・アクション 公共 結果の平等 再分配 機会の平等
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犬神工房 @nokkaranoumu
何度目かの「アファーマティブアクションはやっぱり必要ではないか」論。いや、あれだ、福島にガンガン公共事業を振るべきだと思うんだけど、何でそういうことになるかというと、「福島が今ガレキだのなんだのでヒドイから」ということに尽きる。
犬神工房 @nokkaranoumu
結果において、何らかの基準に照らして、明確な不平等がある以上、基準に照らした結果の是正はなくてはならない。自助努力なんてものができればいいが、普通は「自助努力でどうにかなるレベルを超えている」ので、じゃあ政府がやるしかない。福島しかり、女性しかり、子供しかり。
犬神工房 @nokkaranoumu
何でも自助努力という言葉の欺瞞には辟易している。そんなに自助努力が好きなら、組織も会社も政府も組織するな。それらを組織せざるを得ないということは、即ち自助努力にはかなりはっきりと限界があるということを示している。
犬神工房 @nokkaranoumu
自助努力でどうにかならんことは、群れて仲間内で解決するか、長を立てて解決するか、上から政府が解決するしかないだろう。不平等は公のことだ。個で解決するのはばかげている。公のことは公の者でないと効果的に動かせないのだし、普通は公は集団が作っているので、集団が補わないとどうにもならん。
犬神工房 @nokkaranoumu
公が公の結果の不平等を解決するのがアファーマティブアクションだ。機会の不平等を直していればどうにでもなるというのは、個人の自由を保障するものではあっても、公での運用上は普通は問題になる。
犬神工房 @nokkaranoumu
機会の平等によっても何かの問題で結果の平等にならない場合、問題解決できるまでは結果の平等をするしかないだろう。そうならないのに平等とか言っても、実際に平等は成り立ってないし、そのままでは成り立たないんだから、ほっといても平等が実現するというドリームは虫が良すぎる。
犬神工房 @nokkaranoumu
いや、個人の自由は大事だよ? 最終的にそれが何も公につながらないならそれはマズイということであって。われわれは直感的に「個と公はつながっている」と思うし(われわれ論法)、そこが個人主義者等共同体主義者等の妥協点なはずだ。妥協できないなら個人の自由の値打は半減する。そりゃそうだ。
犬神工房 @nokkaranoumu
だから、個人の自由ということは、出発点ではあるし、そのソースを否定しては何も進まないが、そこから先に、共同体や公共へ進まねばならないものでもあると思う。
犬神工房 @nokkaranoumu
共同体や公共の形成に失敗し続けている種類の人々に対して、失望している人も多いだろう。そういう人は個人共同体・公共かどちらかしか認めなくなる。
犬神工房 @nokkaranoumu
俺だって答えは持っていない。だが、運用上のことは分かる。どちらも必要なのだし、それらは整合性を持たねばならないから、個人共同体や公共しかないような社会設計はおかしいので、そういうことを言っている人々は信用ならない。ということだ。
犬神工房 @nokkaranoumu
つまり、公共のために種類(・共同体)別に結果の平等を分配するということは必要であって、それが例えばガレキで苦しんでいる福島であり、貧困にあえぐ失業者や低賃金労働者であり、給与と休暇で苦しむ女性であり、身体的性的社会的自己的に大人でない子供である。その対応はなされなければならない。
犬神工房 @nokkaranoumu
また、自助努力の有無が、結果の平等の基準になってはならない。それはそうすればコストが安くなるからであって、本来は結果の平等の趣旨からは逸脱しているからだ。
犬神工房 @nokkaranoumu
不平等で困っている人で、自助努力できない人の方が多いんだぜ(あとその大半は制度のせいだ。残りは病気等のせいだ)。それでも結果の平等はなされなければならない。
犬神工房 @nokkaranoumu
生活が保障されていて稼げて飯が食えて買い物ができると、保障されてなくて稼げないで飯が食えなくて買い物ができないよりは普通は幸せなので、どちらから多めに税金を徴収して再分配に使うかというと、そりゃ前者だろう。
犬神工房 @nokkaranoumu
え? 飯が食えなくても働きたくない? 飯が食えないというのはそんな甘いもんじゃないぞ。俺は死にそうだった。それでもいいならDo Itだけど。失業者問題は「働きたくない人相手にも」なされなくてはならない。というか、働きたくない人と働けない人を区別するのって大変だぞ。
犬神工房 @nokkaranoumu
普通に考えると、働けない人と働かない人の区別って大変難しいので、「働きたくない奴は死ね」というのでは「働けない奴は死ね」ということになることは覚悟しなければならない。そんな覚悟ないでしょう。
犬神工房 @nokkaranoumu
「自助努力しない」と「自助努力できない」が区別できない、あるいは区別するのにコストがかかる以上、両方死んでもらうか、両方生きてもらうかしかないじゃないか。ある程度は機会の平等(動機面)ではなく結果の平等(結果面)に頼らざるを得ないということになる。
犬神工房 @nokkaranoumu
結果の平等でも機会の平等でもどっちでもいいんです。コストだけ考えると機会の平等の方が安いから実現が容易であるということに過ぎない。
犬神工房 @nokkaranoumu
でも、機会が平等で動機にも差がないのに、何かの問題で現実が平等でない場合、問題を解決するその日まで、結果の平等がどうしても必要な場合があるのであって、福島や失業者や低賃金労働者や女性や子供がそうなんだ。じゃあ何とかしないといけない。それがアファーマティブアクションの骨子だと思う。

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