『分類学があらためて「種」と向き合うとき』+前後つぶやき集
#bunrui2013 種問題(the species problem)は か つ て は 体系学(分類学と系統学)の業界での「火薬庫」みたいなもので,国外的にも国内的にも前世紀後半は「種」の話題はこの業界での炎上ネタだった.
2013-01-15 23:37:11#bunrui2013 たとえば,むかしむかしの〈伊達騒動〉の顛末はウェブ公開 http://t.co/zc4I7iuM されているので,だれでもこの植物分類学会業界での「昔話」を読むことができる.
2013-01-15 23:39:23#bunrui2013 今回のシンポジウムに参加されたオーディエンスを会場でざっと見回して見ると,前世紀の「種論争闘士」の世代の研究者がかなりいたようだ.その一方で,もっと若い世代の割合も高かった.
2013-01-15 23:42:33#bunrui2013 種論争といえば,かつてはストリートファイトのような荒っぽい企みを数知れずやらかした経験がある(ワタクシ的に).しかし,その世代が着実に年齢を重ね,現在では〝プロレス興行〟のような一種の安心感をもって「対決」を見守ることができる.
2013-01-15 23:45:00#bunrui2013 【種】の問題はむりやり解決することに意味はない.むしろ,【種】とともに生き続けることが,もっと興味深い問題への研究者の意欲をかき立てているという側面は否定できない.生物集団の時空的挙動の研究は【種】に関する問題意識とともに深まってきた.
2013-01-15 23:47:55#bunrui2013 前世紀の「種問題」を紛糾させた大きな要因があるとするならば,それは生物学哲学的な論議ではなかっただろうか.Michael Ghiselin の種個物説をはじめ,【種】の形而上学的論争は現場の体系学者たちにとっては迷惑至極だったのではないかと推測する.
2013-01-15 23:49:48#bunrui2013 もちろん,ワタクシがシンポジウムで話したように,【種】の哲学的問題はけっして避けては通れない.種タクソンや種カテゴリーについて分類学者が触れるならば,自動的に,哲学の「地雷」を踏むことになる.これは自覚しなければならない.
2013-01-15 23:51:56#bunrui2013 しかし,その一方で,現場の体系学者には,そういう科学哲学的な論議のほかに「やるべきこと」が山積しているのもまた事実だろうとワタクシは考える.
2013-01-15 23:53:18#bunrui2013 しかし,前世紀は,体系学と体系学哲学とが未分化だったため,体系学者自身が「科学哲学者」としてのヨロイをまとって戦い続ける必要があった.その戦史は David Hull の体系学史本(1988)に描かれているとおりだ.
2013-01-15 23:56:14#bunrui2013 幸いなことに,世紀の変わり目あたりから,生物学哲学が成熟してくるとともに,いい意味でも悪い意味でも,生物学から生物学哲学への〝アウトソーシング〟が可能になってきた.体系学に関して言うならば,まさに「種問題」はかっこうの〝外注〟アイテムだった.
2013-01-15 23:58:38#bunrui2013 かつては,体系学者自身が Karl Popper の科学方法論や【種】にまつわる存在論や形而上学の哲学を勉強して戦場に飛び込んでいった.そういう戦術は,これからの世代の体系学者には当てはまらないかもしれない.
2013-01-16 00:01:29#bunrui2013 むしろ,体系学から体系学哲学に〝外注〟すべき問題点はすべて〝アウトソーシング〟した上で,今回のシンポジウムでも論議された保全生物学や生物多様性情報学という,もっと「するべき仕事」に体系学を専念させるというのはリーズナブルな決断だと思う.
2013-01-16 00:03:39#bunrui2013 もちろん,科学哲学的すなわち「やっかいなめんどうくさい問題」から現場の体系学者を切り離すタイミングの見極めは難しいかもしれない.また,科学の現場を知らない科学哲学者が好き勝手なことを言うのは戯言が出回る可能性もある.
2013-01-16 00:06:22#bunrui2013 科学と科学哲学の decoupling は個別科学ごとに考えるしかない.生物体系学の場合はそろそろ「その時期かな」とワタクシは思い始めている.少なくとも,体系学者自身が科学も哲学も両方やらないと専門ジャーナルが読めないような時代は過ぎ去りつつある.
2013-01-16 00:09:47#bunrui2013 たとえば,ワタクシがほぼ毎回参加している The Willi Hennig Society は,Karl Popper の本を〝毛語録〟のように振り回す Arnold Kluge のような演者がかつてはいた.
2013-01-16 00:11:29#bunrui2013 しかし,Pablo Goloboff や Ward Wheeler のような次の世代の計算系統学者たちは Hennig Society の中でも〝科学哲学〟には冷淡である(もちろん必要とあらば武器庫の中に〝ポパー〟は常備されている).
2013-01-16 00:13:02#bunrui2013 あるいは Ed Wiley の有名な教科書『Phylogenetics』の初版(1981) http://t.co/YRF7k7tL と第二版(2011) http://t.co/bwPI4i9Z を比較してみるととても興味深い.
2013-01-16 00:16:57#bunrui2013 三十年前の初版では Karl Popper をはじめ科学哲学の詳しい記述が書かれている.体系学の世界に初めて〝ポパー〟をもちこんだのは,ほかならない Wiley さんだから当然のことだろう.
2013-01-16 00:18:09#bunrui2013 ところが,2011年に出た第二版では,科学哲学の部分はみごとに〝アウトソーシング〟されている.外注先は Elliott Sober らの世代の生物学哲学者たちだ.時代は着実に移り変わりつつある.
2013-01-16 00:19:45#bunrui2013 こんなぐあいに,「種問題」をとりまく科学社会学的コンテクストは「種論争」の長期化とともに着実に変容しつつある.
2013-01-16 00:22:23#bunrui2013 科学と科学哲学とが「不即不離」の距離を保つことはそもそも可能なのかというひとつのケーススタディーでもある.
2013-01-16 00:22:56