チェルノブイリ事故26年経ったノルウェー・ベラルーシの経験をもとにしたお話会
ヴァルドレス、きれいな街。 歴史博物館。元々あった古い建物を移築。 (安東さん、罰を与えられる・・・。) 鱒の乳酸菌漬。 何でこんな所に連れて行かれる? ヴァルドレスに来たんだったらそこに行かずに済ませられるか?と、地元の方。 地域の誇り。
2013-01-14 21:06:00「周りの人が癌になったとき、口には出さないけれども、放射能の影響かもしれない。と思うときがある。しかし、これが、時部員達が放射線対策を続ける、大きな動機。自分たちは、できることは全てやってきたのだ、と思えるように。」マリー・アンヌさん。
2013-01-14 21:07:39からっとしている。日本と違う。 避難区域が発生していなかった。当事者国ではなかった。 精神的な葛藤は少なかった。 以上、ノルウェー編。
2013-01-14 21:07:50ベラルーシ編
以下、ベラルーシ。 ノルウェーよりもシビア。 チェルノブイリ=ベラルーシという印象があるが、日常が送られている。 ベラルーシ南部、チェルのから30〜50キロの所。 排除区域が南方に。そのすぐ外側。しかし、国境が近く、立ち入りが難しい。 移住する権利がある区域。
2013-01-14 21:08:39185ベクレル〜555キロベクレル。 37千ベクレル/㎡は対策が必要。 27000人が避難。人口がかなり減っている。 産業(ソ連時代)工場。コルホーズ(懐かしい)。しかし、工場の維持ができなくなった。 そのことの影響非常に大きい。
2013-01-14 21:09:09テレマン村・ベレツ村。インタビュービデオ。 人口が半減。影響大。地域の行事などができなくなった。産業が維持できなくなる。生計は、乳牛の飼育。 「故郷に帰りたかったか?」「それは、帰りたかった。」 「戻ろうと思ったきっかけは?」「離れる理由はなかったから帰る理由もない。」
2013-01-14 22:21:57一度は避難した人は多かった。 何年か経ってもどってきた。理由を聞くと「理由はない」と。 戻りたいという気持ちがあったから、戻ったと。 別に決められていたわけではない。 日本との違い。 ベレツ村。近所のおばちゃん達。 住む家がない。 新しい家も建てられない。
2013-01-14 22:22:22コルホーズに社宅が建てられてこともあったが、今はいくつかの小さい農業企業が合併して大きな農業企業。 近所のおばさん四人。すごい勢いで喋る。 (日本もベラルーシもいずこも同じですな。わはは。) ベレツ村、テレマン村よりは少し良い。大きな工場がある。
2013-01-14 22:23:09事故の直後、子供の出生率が低下。 奇形児が出るなどの、噂があった。中絶が増えたと言うよりも、妊娠を控えたと言うこと。 その後、数年(5年後)出生率が上昇。そのきっかけは? 異常が起きなかったからと。噂は駆け巡る。今でも。
2013-01-14 22:23:42チェルノの石棺から放射性物質が漏れていると言うことは今でも噂が流れる。 しかし、そのことは気にしない。デマだから。 自分たちの問題は、今では、職の問題。その差が印象的。
2013-01-14 22:24:02放射線対策。 学校を訪問。 ジャガイモの放射線計測。 土がついたまんまのジャガイモ。 普段通りとのこと(笑)。 放射線安全管理クラブ。 (わしは、「倶楽部活動」がすき。年末年始も活動したし。) 課外活動。小中学生に相当。 50ベクレル程度。
2013-01-14 22:24:32学校で、現実的な対応。放射線とはなんぞやということを話してもしょうがない。学校の中で、実際の測定を取り入れている。 また、放射線についてのマップ(5年ごと)が壁に貼られている。ベラルーシでよく見た。こうすることによって、放射性物質の状況どうなっているから、一目瞭然。
2013-01-14 22:25:25ベラレルーシ以外にも訪れた、そこの地域毎の汚染度が分かる。 汚染状況が可視化されている。汚染対策ができやすい。 空間的な分布や、時間的な推移も分かる。 そうすることで、物理的な推移が分かる。 ベラルーシで得られた成果として、マップによる可視化は重要と思った。
2013-01-14 22:25:53日本では、ネットでみられるが、しかし、記憶に残らない。 マップとして掲示して、共有することが重要。 そのことが対策になるわけではないが、その前提として重要。 日本でもやってほしい。
2013-01-14 22:25:58営林署。 林業が一般の職業のなんかで、被曝量が多い。 営林署に測定器が備えられている。 測定の主任技師がいる。 一般の所では、放射線量が減っているが、当初、積算計を営林署の人がつけていた。
2013-01-14 22:26:21営林署の写真。棚にサンプル(葉っぱ、樹皮等)。 チェルノはストロンチウムが多かった。ミンスクに送って計測。 データは、ミンスクの研究所で一元的に管理。 管理の体制が整ったのは、1990年〜2000年。 それまで、対策は断片的であった。
2013-01-14 22:26:43それまでは、対策は宙ぶらりん。残って良いのか悪いのか、など。 95〜6年、欧州から援助プログラム。 内科診療所。95〜6年の欧州からのプログラム対策。 マリー・アンヌさんのような仕事の内容。 対応は、内部被曝。食品経由のもの。 WBCなどを使った。影響を目に見えるような形にした。
2013-01-14 22:27:19事件後、基準もころころ変わった。 包括的な測定されていなかった。91年にようやく包括的なマップ。 95年COREプログラムが始まった。
2013-01-14 22:27:32ノルウェーの対策はシンプル。農業(畜産)に限定できた。しかし、ベラルーシは、問題が多様。被爆・産業・人の移動など。汚染状況も日本より深刻。 健康面にばかり注目するのではなく、社会的にどういう対応されてきたのか、参考にできる部分がたくさんある。 安東さんの報告は以上。
2013-01-14 22:27:45質疑応答
A1:森林除染はされていない。建物はやられていたが。屋根の葺き替えなど。公共施設の周りは、表土のはぎ取りなど。しかし、森林除染はされていない。森に入る人が少なくなっている。動物が増えた。オオカミなど。狂犬病が増えていて、危惧されている。
2013-01-14 22:35:32A1−2:営林署に訊いたが、木材の放射線検査はされている。基準が決められている。測りながら使っている。森林そのものを測ると言うことはしていない。
2013-01-14 22:35:52Q2:チェルノの視察のテレビなど見ると、内部被爆対策として、子供が放射線検査をしているが、国として農業の対策(福島の出荷制限など)として、どういうことをしているのか。
2013-01-14 22:36:27