「科学vs工学vs社会」という三項のせめぎ合い、その扱い方

関連してこちらのまとめも作りました。(2013/01/27) 『現在の規制委員会のミッションはあくまで政治的正統性の獲得にある 』 http://togetter.com/li/445717
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Hideyuki Hirakawa @hirakawah

続)たとえば、防災・避難体制によって命さえ助かれば故郷やそこに根付いた生活基盤を失っても構わないと考えるのか。その原発が動いているうちは地震は来ないと考え、万が一の場合はそれらを失っても仕方ない、諦めると考えるのか。

2013-01-26 05:09:59
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

続)それとも、そのような喪失は真っ平御免なので、電力供給などである程度不便や不都合はあるかもしれないが、それは受け入れて、立地地域の経済にも配慮しつつ脱原発を目指すのか。

2013-01-26 05:10:08
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

続)いうまでもないが、これらの問いを考えるためには、それぞれの選択をした場合の経済的影響等を見積もるなど、いろいろ専門家の知識や判断が必要なことはたくさんある。けれども最後は、何を選び何を諦めるかという価値判断にならざるをえない。

2013-01-26 05:10:17
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

続)そういう判断をする権利を、今まで通り政治家・官僚や一部の企業、専門家に丸投げしたままでよいのかどうか。自ら考え判断し、それを国民・市民の意思として政策につなげるための手間やコストをどこまで引き受けるかまで含めて、少なくとも一回は多くの人たちが考える必要があるんではないか。

2013-01-26 05:10:26
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

続)もちろん、国などに丸投げせず自ら判断するとしても、どうやってその意思を政策につなげるかは原発やエネルギーの問題に限らず大問題である。国民投票のような直接民主制の仕組みを使うのか、昨年の討論型世論調査のような間接民主制を補完する熟議の仕組みを使うのか。

2013-01-26 05:10:40
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

終)そのあたりも含めて、この国は、物事の決め方を再構築する時に差し掛かっていると思うんだけど、どうなのかな。このまま、震災・原発事故以前のままでやり過ごされてしまうというのが、一番ありそうな展開なのだけども。日経の記事、そんなことをふと思わされた良記事でした。(連ツイ終わり。)

2013-01-26 05:11:20