内藤朝雄さんのいじめ理論解説

http://www.takadanaoki.jp/log/blog/eid301.html#sequel「日本の教育現場”いじめの現状と対策(BS11)」の中での内藤朝雄さんの発言部分から、いじめ理論のわかりやすい解説を拾ってみた。まだ途中なのだが忘れそうなのでとりあえずまとめてみた。
5
木下秀明 @khideaki

内藤①「マスメディアの報道が正しいとするならば知っていて知らない振りをしていたのだろう。子供が亡くなってからもひたすら隠蔽しようとしただろうし知らなかったというよりも積極的に隠蔽を計ったのだろう。子供が生きてるときは面倒くさいから関わりたくないと思ったのはまず間違いないだろう。」

2013-02-04 10:49:33
木下秀明 @khideaki

内藤②内藤さんが語る学校の隠蔽体質と事なかれ主義は、個人の問題ではない。どの学校でも普通はこのような反応をする。すべてを明らかにして本当の反省が出来る学校はほとんどない。そこに学校のおかしさと日本の教育の狂った面を見なければならない。構造的な問題なのだ。

2013-02-04 10:51:26
木下秀明 @khideaki

内藤③「86年のいじめ自殺の場合も仲良しごっこのグループの形をとっていて、いじめる「ともだち」を、私は飼育型といってるんですが、飼育して自分たちの気分が大きくなる為のネタとして、友達だろうといって痛めつける。被害者も友達として生きていかざるを得ない。…(続く)」

2013-02-04 10:53:17
木下秀明 @khideaki

内藤④「(続き)…敵ではなくて友達、だからこそ最後まで追いつめられてしまう。」友達が最も酷いいじめをする。普通は友達というのは、互いに尊重し合い理解し合える信頼関係を持っている。そうでないものを「友達」と呼ぶことの異常さの中に学校のおかしさを見なければならない。

2013-02-04 10:55:04
木下秀明 @khideaki

内藤⑤「学校というのは、友達でないということが許されなくて、あそこはあの仲良しグループなんだなと決められてしまうと、そこからもう抜け出せない。心理的な距離の調節が非常に難しいところなので、狭いところに閉じ込められて生活しなければいけないので。…(続く)」

2013-02-04 10:56:04
木下秀明 @khideaki

内藤⑥「(続き)…追いつめられて死んでしまうまでは囲い込まれて飼育されてしまうんですね。」この構造の理解はまだ多くの人のものになっていない。当事者である今の子供はこの指摘に頷くだろうが、かつて子供だった人は、この指摘が理解できない。それを変えるにはどうすればよいか。

2013-02-04 10:57:52
木下秀明 @khideaki

内藤⑦いじめに対する次の指摘は重要だ。「どこにでもありますね。ノルウェーでも、世界中どこでもあります。ただ頻度は、狭いところに閉じ込めて密室的閉鎖空間になって、そこで集団心理が盛り上がるような教育システムが強ければ強いほど、湿ったところで、あったかいところで、…(続く)」

2013-02-04 10:59:10
木下秀明 @khideaki

内藤⑧「(続き)…暗いところでカビが生え易いように蔓延しますね。それに対して、開いた自由な距離を調節し易い空間では、少なくなる。ただし、世界中どこでもある。けれど頻度が違いますね。日本は圧倒的に高い。」いじめが構造の問題であることがよく分かる。個人の心の問題ではない。

2013-02-04 10:59:56
木下秀明 @khideaki

内藤⑨学校に市民性を導入すべきという意見の理解には次の言葉が役立つ。「逃げることが出来ないし、外から見えづらいし、普通の市民社会の論理が入らないといいう点で、特に中学校が最悪ですね。小学校より中学校がひどいですね。諸外国のいじめを見ると、先進国では小学校がピークです。…(続く)」

2013-02-04 11:01:16
木下秀明 @khideaki

内藤⑩「(続き)…中学校になってそんなバカなことはやらないと。ところが日本の場合は、中学校が最悪ですね。」日本の学校には市民性がない。これがおかしいところだが、日本は社会にも市民性が薄い。それが学校に影響して、学校ではほとんど市民性が無くなっている。この深刻さを理解しなければ。

2013-02-04 11:02:43
木下秀明 @khideaki

内藤⑪次の意見は、感動的なくらい正しさを感じる。「圧倒的に不自由な生活になって、狭いところにガチガチに閉じ込める。ほんとはね、だんだんと大人に近くなって来たら、だんだんと若葉マークの市民という感じ、市民として自立的な生活様式を、小学校第二次性徴が過ぎてだんだんと生意気になって…」

2013-02-04 11:04:04
木下秀明 @khideaki

内藤⑫「(続き)…来たら、自由と自己責任、自分で決めるというようなことをさせて大人のふりをさせねばいけないのに、小学校より中学校の方が過酷な集団生活を強いて、先輩後輩が出て来たり、日本の気持ち悪い習慣ですし、校則ですとか、部活の強制ですとか、このくらいの年になって…(続く)」

2013-02-04 11:04:46
木下秀明 @khideaki

内藤⑬「(続き)…狭いところにずっと閉じ込めているということが、かなり危ないこと、小学校低学年ならいいことなんだけど、そういうところで、「ジンバルドーの監獄実験」みたいなことが起きるんですね。」学校に自由が必要だというのは、僕の感覚的なものだけではなく、理論的に正しいと確信できる

2013-02-04 11:05:43
木下秀明 @khideaki

内藤⑭教員が水商売という内藤さんのたとえは面白い。水商売は、客が喜ぶように演じて報酬を得る。客も一時の幻想的な楽しさを味わうことが目的で店を訪れる。教員も、学校にいる間だけ生徒にとっていい教員を演じていれば、それで給料分の仕事をしたことになる。深くコミットしすぎることが間違いだ。

2013-02-04 12:00:19
木下秀明 @khideaki

内藤⑮教員が生徒と深い信頼関係を結ぶことがあるのは、あくまでも個人的な関係であって、学校という組織は普通の知識を学べる場所であれば、それ以上のことに責任を持つように教員に課すべきではない。それが職業としての仕事だ。最低限のことが出来ていれば給料をもらう資格がある。

2013-02-04 12:02:26
木下秀明 @khideaki

内藤⑯市民感覚が入るとどれだけ変わるかという次の解説も共感する。「教育長とか教育委員会の人を見ると、ほんとに内部の世界のお互い持ちつ持たれつ、忖度のし合いは、おそらく皆さん達人なんでしょうね。だけど内部の世界しか見えてないから自分たちの世界を超えた日本中のマスコミが報道して、…」

2013-02-04 12:04:27
木下秀明 @khideaki

内藤⑰「(続き)…日本中がこれはひどいと言ってる、どれだけ広い世界の社会的正義という問題から自分たちは今不利な立場になっているのかというのが、分からない。ものすごく愚か。だから、嘘のつき方も下手なんです。ちょびっと出してはばれて、ちょびっと出してはばれて。…(続く)」

2013-02-04 12:05:26
木下秀明 @khideaki

内藤⑱「(続き)…日本中のマスコミが報道しなかった場合は、闇から闇へ葬られていた筈です、これは。お父さんががんばったから表沙汰になったんでしょうね。ところが、その変化に気付かない。ところが越市長は、マスコミの報道によれば、初期段階では隠蔽の方に傾いていて、…(続く)」

2013-02-04 12:06:16
木下秀明 @khideaki

内藤⑲「(続き)…ある意味で腹黒さでは変わらないんだろうけど、さすがにハーバード出だけあって、自分の立場のまずさをパッと敏感に察知して、動機はどうであれ、正義の方にクルッとチェンジが出来た。」市民感覚が理解できると越市長のように変わることが出来る。反省が出来るようになる。

2013-02-04 12:07:34
木下秀明 @khideaki

内藤⑳精神主義でない次の指摘も深く共感する。「政治家だとか偉い人たちというのは、基本的にはそんなに美しい魂である訳はなくて、ずる賢いし腹黒いから偉くなってるのだろうけど、その彼らをきちんと外部のチェック機構の中におくことでもって、彼らが正しいことをやって子供たちが救われる。」

2013-02-04 12:09:03
木下秀明 @khideaki

内藤21:次の構造の指摘は見事だ。「もっとも基本的なことで大事なことは、チェック機構がしっかりしなければならないということで、チェック機構の原則というのは、一人一人が利害をもとに動いているという前提のもとにチェックを作る。それがちゃんとしたチェック機構を作るのに必要なことなんです

2013-02-06 00:32:35
木下秀明 @khideaki

内藤22:「(続き)…ところが、学校の教員の場合は聖職であるという前提があるので、チェック機構がまともに作れない。まず聖職であるという前提をなくす必要があります。」チェックというのは、監視を強めれば出来るのではない。利害関係によって隠蔽される構造がある。聖職意識の指摘に共感する。

2013-02-06 00:34:25
木下秀明 @khideaki

内藤23:聖職意識が隠蔽構造をもたらすロジックは次の通りだ。「聖職というのは大変恐ろしいもので、たとえばアイルランドではカソリックの権威がものすごく信じられないほど高かった。昔の天皇ぐらい高かった。そうすると修道院の孤児たちをシスターたちが虐待してたくさん殺している。…(続く)」

2013-02-06 00:35:45
木下秀明 @khideaki

内藤24:「(続き)…それが何十年も闇から闇へ葬られて来た。ところが社会の会社とか他のところではそんなことはない。なぜ修道院だけでそんな陰惨なことがまかり通っていたかいうと、聖職だからチェックしようがない。」聖職は、その前提として間違ったことをするはずがないというものがある。

2013-02-06 00:36:42
木下秀明 @khideaki

内藤25:間違ったことをするはずがないという前提が狂信されれば、現実が間違ったことをしていると示しているのに、その現実を何とか否定しようとする詭弁が生まれてくる。それが隠蔽体質につながってくる。聖職者は、過ちをしてはいけないので、過ちを過ちと認めることが出来ない。

2013-02-06 00:38:57