内藤朝雄さんのいじめ理論解説

http://www.takadanaoki.jp/log/blog/eid301.html#sequel「日本の教育現場”いじめの現状と対策(BS11)」の中での内藤朝雄さんの発言部分から、いじめ理論のわかりやすい解説を拾ってみた。まだ途中なのだが忘れそうなのでとりあえずまとめてみた。
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木下秀明 @khideaki

内藤26:構造のイメージを示す比喩として次の言葉は非常に分かりやすい。「まず、いじめが起きてしまうというよりは、イメージとしてはいじめが蔓延する、いじめはどこでも起きるし、日々起きてるんですね、しかしいい条件のもとではそれは蔓延しないしエスカレートもしないし…(続く)」

2013-02-06 00:41:17
木下秀明 @khideaki

内藤27:「(続く)…追いつめるまでにはいかない。そら、人間いい人もいるし悪い人もいるし嫌なこともあるね、ぐらいで済むんです。」構造の影響で、いじめの蔓延が起こり、それが酷い状況にエスカレートする誘因となる。構造さえなければ、同じ人間が死ぬまで追い詰められるようにはならない。

2013-02-06 00:43:03
木下秀明 @khideaki

内藤28:次のイメージも見事な説明だ。「暗くてジメジメしていて温度が高いところ、必ずカビが大繁殖します。それでその環境を変えればいいんだけれど、みんなこうやって手でカビをこう一生懸命拭っているような状態、それがいまのいじめ対策です。カビはどこにでもあるんだけど、…(続く)」

2013-02-06 00:47:33
木下秀明 @khideaki

内藤29:「(続く)…環境を変えれば大繁殖は止まります。」カビをとりあえず手で拭うのは対処療法的な解決だ。緊急に問題を取り除きたいと言うときにそれをやる。だがカビがまた発生するように原因を取り除かなければ問題はまた起こる。環境を変えることで根本原因が取り除かれる。

2013-02-06 00:49:59
木下秀明 @khideaki

内藤30:カビの環境は次のようなものだ。「その原因というのが閉鎖的な生活環境なんですね。しかも仲良くすることベタベタすることをことさらに強調して、勉強することよりもむしろ共同生活をみんなで響き合ってするということを実質的には強制している、というような空間が非常に危ないんですね。」

2013-02-06 00:51:38
木下秀明 @khideaki

内藤31:他者に気を遣って生きることを強要すると人間はどうなるだろうか。そこでは自分の判断をして物事を論理的に考えると言うことが出来なくなる。他者の恣意的な感情の動きを読んでそれに合わせて生きることになる。自分が死んだような状況になればそれがストレスにならないはずがない。

2013-02-06 00:54:04
木下秀明 @khideaki

内藤32:自由を制限された人間は、自由に振る舞う人間を不道徳で自分たちを汚しているように感情的に受け取るだろう。恐ろしい全体主義が生まれる要因がそこにあるのを感じる。なぜそいつだけが勝手なことをするのかという正義が自由な人間を迫害する方向に働く。いじめの構造がよく理解できる。

2013-02-06 00:57:01
木下秀明 @khideaki

内藤33:「学校の集団生活の中に人間を怪物にするようなメカニズムが埋め込まれていて、日本の教育制度特に中学校は第二次性徴以降の子供の扱い方が、人間を怪物にするような集団生活を繁殖させ易いような教育制度になっている。」という指摘は論理的帰結として全くその通りだがなかなか理解されない

2013-02-06 01:00:52
木下秀明 @khideaki

内藤34:親の責任に対する次の意見も重要だ。「一般的にそれほど大きくない。というのは、いじめ自殺で調べた場合、たとえば大河内清輝君をいじめて自殺に追い込んだグループの一人は、とてもいい家庭で仲良くていい感じだったんだけど、学校に行ってから人が変わってしまったとか、…(続く)」

2013-02-06 01:02:52
木下秀明 @khideaki

内藤35:「(続き)…そういうことが報道されていたり、もちろん育ちの悪い子もいるけど、ただし育ちの悪い子が圧倒的に大多数ということはないですね。」家庭の問題が議論されることが多いが、より深い原因はやはり学校の構造なのである。それを多くの人に知って欲しいと思う。

2013-02-06 01:04:24
木下秀明 @khideaki

内藤36:「教育学会とかで、もう十年以上言ってるんだけど、愚かなことにいじめに関して、規範意識が希薄化してるとか、子供たちは付和雷同して無秩序になってるなんて言い方が通用してるんだけど、そうじゃない。そうじゃなくて、子供たちには子供たちの秩序があって、…(続く)」

2013-02-06 10:44:04
木下秀明 @khideaki

内藤37:「(続き)…その秩序に這いつくばって生きてる。 で、授業中に騒がなくちゃいけない訳です。自分たちの身分的な関係に従っていろいろと無秩序と思われることをやるんですね。私たちの市民社会の秩序からは無秩序と見えるんだけれど、(島田:けれども?)彼ら独自のものすごい秩序が…」

2013-02-06 10:44:58
木下秀明 @khideaki

内藤38:「(続き)…秩序があって(島田:中では正しいことをやってると)そうですね。正しさといっても複数あるんですね。」この指摘は非常に重要だ。なぜなら最も理解が難しいからだ。「それ間違ってると、そのローカルルールが間違ってると教えなくちゃいけないでしょ」という他の人の声があった

2013-02-06 10:46:21
木下秀明 @khideaki

内藤39:間違ったルールを守っているから子供達が間違える。だからそのルールを正しい方向へ変えていけばいい、というのは論理的にすっきりしているのだが、ルールという言葉を換えても行動が変わらないという現実の方が深刻な問題であって、言葉で指導するだけでは何も出来ないことが問題だ。

2013-02-06 10:47:55
木下秀明 @khideaki

内藤40:「教えるというのを私はリアリティのチェンジと言ってるんですが」という内藤さんの語る内容を理解することが重要だ。リアリティのチェンジは言葉を記憶することではない。現実の受け止め方が変わることを意味する。それは構造自体が変わったと思わせることで変えるしかないものなのだ。

2013-02-06 10:50:08
木下秀明 @khideaki

内藤41:次の指摘も本質的なものだが、初めて見る人にはなかなか理解しがたいだろう。「私が教えるという言い方をしないのは、誰かが誰かを教える。その教える誰かが普通の人だったり、また子供たちのローカルルールと同じような(タイプの)ルールを生きていて、それがろくでもないこともあって、…

2013-02-06 10:58:30
木下秀明 @khideaki

内藤42:「(続く)…今回の教育委員会や教員とかの仕草を見ても、誰かが正しさの地位にいるんじゃなくて、システムが(その)正しさをきちんと蔓延させる。そのシステムの方が人間よりも大事なんですよ。そこでですね。私は教えるというよりは、むしろ催眠術にかかった人がいてある解除キーを、…」

2013-02-06 10:58:56
木下秀明 @khideaki

内藤43:「(続き)…解除する為のキーとしてこう(掌をたたいて)パンとやると、ええーい、死んじゃったかっこいいーとか、死ね死ねとか、あいつ死んじゃったよと言っていた奴らが(パンと掌を打って)これで元の秩序Bから秩序Aにチェンジする。」催眠術の比喩は象徴的だ。狂信による間違いなのだ

2013-02-06 10:59:46
木下秀明 @khideaki

内藤44:狂信というのは、根拠なく信じていることがあって、それが常に前提として働いて論理的強制によって間違った判断が導かれる。その狂信を持っていない人間は、間違った結論だけが見えているが、それを非難するだけでは狂信は改まらない。狂信から抜け出す何かが必要だ。

2013-02-06 11:01:22
木下秀明 @khideaki

内藤45:前提を破壊する方法として次の提言の有効さに共感する。「暴力系の場合、法が入るということで、まずいまいる場所が学校的な生活の場所ではない、学校を超えた市民社会の中で、つまり学校ではない公園とかたまたま道を歩いていて入ったお店と同じように学校があるという風に…(続く)」

2013-02-06 11:03:48
木下秀明 @khideaki

内藤46:「(続き)…自分がどう生きているかというリアリティーが(パンと拍手して)これでチェンジしてしまう。利害関係とは別にいまあなたはどこに生きているのかというサインが変わっちゃうんですね。」暴力が許されないものであるという前提がこれによって導入される。

2013-02-06 11:04:54
木下秀明 @khideaki

内藤47:学校の放火に対して「二つの理由があって、もう一つの理由は、いじめ加害者が圧倒的に損をする損害を被るとしても、なおいじめ続けるということはまずありません。」という指摘も重要だ。いじめ加害者は小心者であり、適切な環境があればそのような負の側面を出さずにすむ。

2013-02-06 11:07:30
木下秀明 @khideaki

内藤48:「だから学校の法化というのは、さっき言ったチェンジという面と利害構造を変えるという二つの相乗効果で、暴力系のいじめはまず一気になくなります。学校の法化というのは学校が神聖な教育の共同体であるというところから通常の市民社会であって法によって支配される、」

2013-02-06 11:09:20
木下秀明 @khideaki

内藤49:学校は神聖な場所であるから、どんなことがあっても警察権力の導入は避けなければならないと言うことが今までは言われていた。僕もその感覚だけは自分の中にあったことを感じる。だがそれが論理的な間違いであることを内藤さんによって教えられた。今では警察の導入が正しい事を確信している

2013-02-06 11:11:24
木下秀明 @khideaki

内藤50:次の指摘は非常に重要だ。「学級制度の廃止というのは、コミュニケーション操作系のいじめだけでなぜ死んじゃうんだろう。実は私のような鈍感な中年男が、女子中学生のものすごく細かい説明を聞いてもビデオを見せられても、実感としては分からない。もちろん学者だから…(続く)」

2013-02-06 11:12:47