中世欧州が弓軽視だということから始まった歴史雑談

弓が軽視されたのは中世欧州の特殊な現象ではないかという話とか、中世日本が騎射戦闘から白兵戦に移っていったとか、寺社勢力の使いにくさとか。
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お菓子っ子 @sweets_street

@itzk_k そう言えば、南北朝時代も白兵戦志向が強かったですよね

2013-02-05 21:59:49
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@sweets_street あの時代も既存の武士層以外の戦闘参加者が一気に増えましたからね。ただ楠木正成や大塔宮あたりの麾下には、投石など白兵戦以外の戦い方をする軽装の不正規兵がいたようです。重装騎兵の正規軍である鎌倉武士へまともに当たらないようにしたんでしょうね。

2013-02-05 22:08:11
お菓子っ子 @sweets_street

@itzk_k 投石は特殊技能だから、たぶんプロの傭兵だったんでしょうね

2013-02-05 22:12:22
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@sweets_street たとえば嗷訴や闘乱に慣れてる寺社関係の人間だったり、自衛の必要がある非定住民や運送業者だったりと、出自はさまざまだったようです。この辺は現代のゲリラや不正規兵とちょっと似てますね。

2013-02-05 22:17:51
お菓子っ子 @sweets_street

@itzk_k 要するに「武力が必要だけど、武士の武力を利用できない」って立場の集団で武力を担当してた人たちってことなんですね

2013-02-05 22:20:43
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@sweets_street はい、そんな感じです。ただ不正規兵は正面切った会戦には不向きだったので、楠木勢などがかんばっても正規軍である鎌倉武士団を撃破するのは難しく、最終的な勝利を得るのは難しい。だからこそ、正規軍の一軍団長である足利尊氏の寝返りが大きかったんでしょうね。

2013-02-05 22:25:12
お菓子っ子 @sweets_street

@itzk_k ゲリラ戦はいずれ正規戦力を整備して、敵の正規軍を正面撃破するまでの時間稼ぎですからね

2013-02-05 22:28:54
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@sweets_street はい。海戦における通常型潜水艦みたいなもので、相手の邪魔をして主導権を奪われないような仕事は出来ても、自ら主導権を得るような任務には向いてませんね。時間稼ぎといえば、楠木勢や大塔宮の軍勢の一部が都に潜入して破壊活動をしてたという話もありました。

2013-02-05 22:36:56
お菓子っ子 @sweets_street

@itzk_k 正成はともかく、皇族である大塔宮がどこでそんな連中と渡りをつけたんでしょうか?

2013-02-05 22:40:09
猫怖大夫牧野さん @mknhrk

@sweets_street @itzk_k 興福寺や比叡山の衆徒です。座主だった大塔宮には彼らとツテがあった。しかし最終的にこれらを完全に味方にしきれずに、かえってはじき出されてしまいます

2013-02-05 22:43:30
お菓子っ子 @sweets_street

@mknhrk @itzk_k なるほど、そっちのツテでしたか。皇族の座主って名誉職だと思ってましたが、政治的な意味も大きかったんですね

2013-02-05 22:44:50
猫怖大夫牧野さん @mknhrk

@sweets_street @itzk_k 当時も半ば名誉職であったわけですが、そこで後醍醐の肝いりで政治的な活動を多くしてゆくわけなのです。しかし最終的に比叡山も追われる所を見ると、叡山の掌握には完全に失敗しています

2013-02-05 22:47:15
お菓子っ子 @sweets_street

@mknhrk @itzk_k 叡山を取るための後醍醐天皇の戦略だったってことですか。そこまで周到に手を打ったのに、なぜ掌握しきれなかったんですか?

2013-02-05 22:54:38
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@sweets_street @mknhrk 牧野さんほど詳しくありませんが引き継いでみます。平安末期の段階で、延暦寺などの大寺社は自立性の高い一大勢力でした。白河法皇が「思いのままにならないのは鴨川と賽の目、荒法師」と嘆いたのは有名ですね。ただその一方で内部抗争も激しく、(続

2013-02-05 23:06:08
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@sweets_street @mknhrk 皇族や貴族などの出身者が多い正式な僧侶たち、さきほどの荒法師などさまざまな階層の人間が僧になった堂衆(どうしゅう)、さらに僧たちの身の回りの世話をする非僧侶の大衆(だいしゅう)と、主に3つに分かれてしょっちゅう揉めてました。(続

2013-02-05 23:09:17
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@sweets_street @mknhrk こういう状況はその後も続いてました。なので大塔宮が支持を得られなかったとすれば、たとえば上位の僧たちの中でリーダーシップを取れなかった、堂衆や大衆に反発されたなど、いくつも原因が考えられますね。以上、推測交じりの連投にて失礼しました。

2013-02-05 23:12:08
お菓子っ子 @sweets_street

@itzk_k @mknhrk ありがとうございます。大組織ゆえに内部のパワーバランスが複雑で、皇族と座主の権威だけでは押さえきれなかったということでしょうか?叡山の巨大な武力・財力は魅力的だけど、それだけに簡単に手に入るものでもないんでしょうね

2013-02-05 23:14:50
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@sweets_street @mknhrk ここも中世社会の縮図みたいなところがあって、さきほどの3つの勢力の中でも出身や地縁・血縁で対立があるのが当たり前だったりします。また、堂衆の中には正式な得度を受けないまま僧になった私度僧が多くいたり、(続

2013-02-05 23:21:14
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@sweets_street 大衆はそもそも使用人でしかありませんから宗門としての権威や序列意識が通用しにくかったりします。自衛のために外敵に対してはある程度団結できても、内部では常に抗争中。なのでその規模の大きさで恐れられ、あるいは期待されながら、(続

2013-02-05 23:25:26
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@sweets_street @mknhrk いざ非常時となると案外と力を発揮しないことが多いのが、中世の延暦寺や興福寺などの寺社勢力ですね。彼らにとっては自分たちが生き延びる、あるいは権威を保持し続けるのが一番大事なので、軽々に戦乱へ加わらないのもある意味当然なんですが。(終

2013-02-05 23:28:27
お菓子っ子 @sweets_street

@itzk_k @mknhrk 武士と違って血縁や主従という紐帯がないから、利権の確保以外に団結する理由がないってことなんですね。とても勉強になりました。重ね重ね感謝いたします

2013-02-05 23:32:03