特別報告;坪倉正治先生「南相馬の医療の現状・専門家の責任」
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@leaf_parsley ってことで、USTのアーカイブは会員限定へ移行したので、リンクの貼り直しを。 http://t.co/Vp8pcVQyUu
2013-04-08 21:19:50特別報告;坪倉正治先生「南相馬の医療の現状・専門家の責任」 東京大学原発災害支援フォーラム(TGF)出版記念シンポ:アカデミズムは原発災害にどう向き合うのか
2013-02-12 16:39:26(島薗先生よりご紹介) 初期より南相馬に入り、診療にあたりながら内部被曝の調査に取りくんでみえた。福島県県民健康調査は命の見守りと称しているけれど、遠くからしか見守っていないようで不安。坪倉先生は速くから住民と接して医療を行っていらしている。
2013-02-12 16:39:42自己紹介: もともと医者。(血液内科)白血病とか抗がん剤治療等々。 3月11日より以前は、放射線に関してふつうの医者程度の勉強。WBCもやっていない。ではなぜ自分が?を共有してほしい。
2013-02-12 16:40:21南相馬市立総合病院、毎週当直(本日も午後は当直)医者が足りない。 南相馬市立総合病院は原発から北へ23K、Jーヴィレッジの反対側、 230床、空間線量0.3~0.4μSv/h、 人口は7万から1万に減って、現在は4万人に戻ってる。
2013-02-12 16:40:42緊急時避難準備区域となったため何が起きたか: 20k~30Kに5つの病院があった、指定された結果、入院する人はいてはいけないというレッテルが。しかし避難を全員させてもらえるか?というわけではない。外来がずっと開いてたのは南相馬市立総合病院のみ、他の病院は全て一時閉めてしまった。
2013-02-12 16:41:02患者は移動時間が増えるーーー治療が遅れる。 物がとどかない。 最初になくなりかけたのは酸素。(補充してもらえない) 酸素を持ってきてくれと℡をかけても、30K、50Kの中に入れないと断られる。 医療者もほとんどいなくなる。
2013-02-12 16:41:22やってきたのは、よくわからないけどなんとなく来た人ぐらい。 坪倉先生自身も学生の身分、ふらっときて院長先生から「外来が回らない」←「お手伝いしますよ」←延々とカルテを書き続けるはめに、、、
2013-02-12 16:41:43救急車両ですら、30Kラインでスイッチ。 大きな機関が主体として医療支援をするということはなかった。 実際にいたのは、個人の意思で集まった医者だけ。 D-MATも3月12日の朝に到着、だけれどそこで継続したかといえばそうではなかった。 助けてくれたのは個人と個人のネットワーク
2013-02-12 16:42:38坪倉先生もそう。4月の頭ぐらいに自分の車でふらっと。 最初の印象は、真っ暗で怖い。(電燈やネオンがない、、信号だけが赤く光る)
2013-02-12 16:42:55セブンイレブンは品揃えがよかった。(他のだめだった)⇒物流システムの関係 (セブンイレブンはローカル流通を利用) 今でも、南相馬に物を送ろうとするとできなかったりする。 地元で動いている人がなんとか維持。
2013-02-12 16:43:1020K~30Kの医療はほとんどの病院で外来と入院が中断、(一か月後ぐらいに外来が再開。3か月後ぐらいに入院が再開) 現場の医者は奮闘するしかなかった(入院が必要とする患者がでたら、必死に行先を探して送る) 薬の流通もよくなかった。
2013-02-12 16:43:25現場で最初に違和感を感じたのは、線量計がほとんどないのに、「安全か危険か」という議論ばかりがあったのがおかしいという点
2013-02-12 16:43:52線量計は一本しかなかった。みんなでかわりがわり測って回る。 まわりでは⇒ シーベルト「シートベルトですか?」 ベクレル「カタカナはわからん」 東京へ帰れば「同じ線量が東京に起きたら?」という議論。現場に何の役にも立たない。
2013-02-12 16:44:18一本でみんなで有効に。午前中外来、午後毎日みんなで代わる代わる小学校や中学校を回って地図を作ってお渡しする。 アカデミズムとは程遠いことをやっていた。 でも最初の半年以上はこういう状況がずっと続いていた
2013-02-12 16:44:51原町産婦人科の高橋恭平先生。 みんなで除染 集まったのは誰か分からない。お互い「誰だろう」と思いながら、汗だくになって除染。 でもこういう現場の作業をずっと一緒にやっていたことで、ネットワークができた。 除染も試行錯誤
2013-02-12 16:45:18高橋恭平先生(昨日お葬式) 唯一残られた産婦人科の医院の先生。 現実的に彼がいらっしゃったおかげで、残られた方のお産が助かった。 彼のおかげで南相馬のWBCを得られることができた。
2013-02-12 16:45:38高橋享平 先生のミスです。申し訳ありません。
内部被曝は気になっていた。 甲状腺の問題があることはわかっていた。 できるだけ速く測らなければいけない。 WBCを持ってこなければいけない。 髪の毛?歯?おしっこ? しかし手に入らなかった。
2013-02-12 16:46:06最初に来た機械: 鳥取県からバスがやってきた。バスの中に椅子があり、椅子の背中部分に検知器があって、体をスキャン。 ストロンチウムやプルトニウムは無理だけれどセシウムは測れる。
2013-02-12 16:46:23