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L_O_Nihilum
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でもこれだと疎外が多分に生まれかねない作品もある。ていうか、悪の娘シリーズなんかでさっきの例を適用しちゃうと「リグレットメッセージ」あたりはリンクしてる作品だって気づいてもらえなくなる。
2013-02-17 18:30:34![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
関わってないわけでは無いが、Kシリーズは小説化したり漫画になったりメディア展開が激しい。
2013-02-17 18:31:27![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
まあ悪ノもそうなんだけど、それは多分構造が違う。享受者が大きくふくらましてから評価に乗って作品が出来る悪側と、それ以前に作品が続き物になることが決まっており、シナリオ的にメディアミックスが行われている(つまり享受者の評価という経由をなしてない)可能性が高い事。
2013-02-17 18:33:38![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
多分それが「Pが商業加担してる」的な嫌儲論等と結びつく原因になってるんだよね。悪ノ側もあったけど、今ほど過激じゃなかったはず。
2013-02-17 18:34:26![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
こうしちゃうとKのシリーズについて、何にも語れなくなるんじゃね?って感じの方が僕はある。で、何が出来るかってーとそういう疎外そのものを疎外してしまう社会評論的な言い方しか出来ない。勿論ながら、批評家は勝手にカゲロウ語るわけですよ。
2013-02-17 18:36:26![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
彼らはいいんだ?ほうっといても?(ていうか享受者の大抵がほっときざるをえない、なぜならそんなハイコンテクストわからないことが多いし、知る必要もないからだ!)
2013-02-17 18:36:58![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
これじゃあ、作品について「語る」「語らう」ことが出来なくなっちゃうような気がする。そうしたら、誰が作品を評価し、それを讃え、弔うのか。誰がその曲を食べ(=聞いて)、「おいしかった」の内実を作者に伝えられるというのか。
2013-02-17 18:37:49![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
提供者中心主義の言論+内輪での事なかれ主義 の板挟みで、だれもそのコンテンツについて語れない。売れなきゃ語れない不思議。
2013-02-17 18:38:25![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
ある作品について語るとき、「そういえば誰々の○○って作品はこうだったけど、こっちはそれに対して…」とか「コレと似てるよね」的語り方がある。それが拒絶される。おかしい。それは叩いてるわけでもないのに。(比較=良悪の比較しかないという思考がこれまた悲しいが)
2013-02-17 18:39:35![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「面白かったです!」って感想は小並感(小学生並の感想の意)と呼ばれる。でもこれだってある種批評じゃないの?じゃ批評と非批評の差はなんだよ?(つまり批評家へではなく今の見方だと「子どもの為の哲学」の永井への問いという事にさえなる)
2013-02-17 18:41:48![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
読まないほうがいいと批評の享受者の先達に言われ→でも読まなきゃ読んではならない理由は判らないと思い読んで→内容理解して批判したら⇒自分も同じ批評家として人生スタートしてましたの巻 この怖さを濱野や宇野で十二分に見てきた人は多いハズ
2013-02-17 18:43:10![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
國分先生が出てくるまでだれもそういう二項対立の図式にして批判しなかった。それがいい証拠ですとも、言える。言えなくない。
2013-02-17 18:43:49![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
しまいには岡田斗司夫まで「俺御宅じゃない」宣言しちゃう罠。どこまで批評家のイデオロギーにつき合わされれば気が済むんだ現代日本!
2013-02-17 18:45:44![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
思ったけど、大伴家持だっけか。藤原の定家だっけか。どっちだか忘れたけど、確か他人の歌に感想と解釈をつけて楽しみ方を広げてたよな。古典詳しい人教えて。
2013-02-17 18:48:29![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
享受者に物語らせる、そのために隠しておく、ないしは描かないでおく、ってこの手法は二元的だよね…創作者・享受者にとっては妄想や語り、つまり<事件>のきっかけになるための力の根源たりえるのだが、
2013-02-17 19:00:53![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
ひとたび提供者に向けて「解釈されるための脱臼したストーリー」って言い方すると、つまり「物語がしっかりしてなくても売れるんだ」って言う認識の根拠としてそれが扱われる。てか扱われてて、それこそ宇野じゃないがモバイルゲーム的なものに応用され、地続きになってしまう。
2013-02-17 19:01:40![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
ストーリーの「穴」は、ストーリーの「手抜き」とは違うのだけど、それを言語化することがまだできてない。そういう事では。
2013-02-17 19:02:05