芦田先生2013年3月23日の連続ツイート

後で読む為のメモ
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芦田宏直 @jai_an

〈個性〉が存在する、〈私〉が存在する、というのは、むしろ、90年代後半から加速する24時間の緊密なコミュニケーションが要請しているものであって、その逆ではない。

2013-03-23 23:15:54
芦田宏直 @jai_an

たとえば、私たちは、ホンダのロボット「ASIMO」が「歩く」とき、まるでその〈内部〉に〈人間〉(という動作主)が入っているかのように勘違いする。

2013-03-23 23:16:34
芦田宏直 @jai_an

行動主義(behaviorism)は、〈内部〉信仰を解体して、〈ふるまい(behavior)〉の外面性(behavior)こそが〈内部〉を現出させると主張する。〈内部〉は〈ふるまい(behavior)〉の結果(effect)に過ぎない。

2013-03-23 23:16:47
芦田宏直 @jai_an

しかし、内部が先であれ、外部が先であれ、〈内部〉は存在しないと言うわけではない。機能主義は、従来の形而上学的な、あるいは心理主義的な、内部の実体論を相対化しはするが、内部は存在しないと言うわけではない。

2013-03-23 23:17:18
芦田宏直 @jai_an

外面性の強度は、内面性の強度と「相関」しているというのが、機能主義=行動主義の論理的な帰結だ。だからこそ、ASIMOの〈ふるまい(behavior)〉も〈人間〉に見える。

2013-03-23 23:17:38
芦田宏直 @jai_an

P.L.バーガーも、相対的な選択主義は、内面を強化すると言っていたとおりだ。バーガーの指摘していた宗教的内面主義は、科学技術の伸展と相関する近代的な選択の自由と関連していたが、それは、何でもゼロ(設計)から作り上げようとする人工知能の設計の自由と同じこと。

2013-03-23 23:17:56
芦田宏直 @jai_an

人工知能とは、家族や出自に象徴される階級主義の対抗としての近代主義の科学的表現にすぎない。近代人の野望は最後には自分の遺伝子や乳児期の環境を自分で“設計”したいということである。

2013-03-23 23:18:15
芦田宏直 @jai_an

ゼロから作り上げようとするからこそ、外部=他者を必要とする。そして他者と関係すればするほど、ゼロであった自己もまた作られていく。

2013-03-23 23:18:34
芦田宏直 @jai_an

したがって、コミュニケーションの強度、つまり相関の強度が強ければ強いほど、内部幻想も強固になる。それこそが機能主義的な自己であったわけだ。

2013-03-23 23:18:50
芦田宏直 @jai_an

土井(土井隆義)の指摘で重要なことは、〈現在〉を拡張することによってしか、他者を受け入れることができない、今日的な「私」の問題だ。「濃密手帳」のような〈現在〉を細分化する行動は、今ではTwitterによって普遍化している。

2013-03-23 23:19:17
芦田宏直 @jai_an

今となっては、「若者」も「大人」も「濃密手帳」を書き続けていると言っても良い。個性幻想とコミュニケーション幻想とが一体になっているメディアがTwitter現象だと言える。

2013-03-23 23:19:35
芦田宏直 @jai_an

なぜ、個性幻想とコミュニケーション幻想とは、一体になって表れるのか?

2013-03-23 23:19:53
芦田宏直 @jai_an

チューリングテストのように、実体化できない中身のない〈人間〉には、反応することのみが自己確信する原理になるからである。“彼”は、反応する時にだけ存在している。

2013-03-23 23:20:13
芦田宏直 @jai_an

機能主義=行動主義にとって〈ふるまい(behavior)〉が無いことは、非存在に等しい。無反応さえ、それは、一つの〈ふるまい(behavior)〉として意味づけられている。メールの〈無〉反応や〈非〉通知着信に過剰に反応するように。

2013-03-23 23:20:34
芦田宏直 @jai_an

それは、精緻なフィードバックシステムが、反応する差異を微細化していく過程に似ている。

2013-03-23 23:20:51
芦田宏直 @jai_an

24時間の微細なコミュニケーション共同体は、したがって、最初から矛盾をはらんでいる。近接化(“同調”を求めて自己確信を強化すること)と疎隔化(特長=差異を求めて自己確信を強化すること)とが同時に進行するという事態だ。内閉化と外面化が同時に起こるのが機能主義=行動主義の特長である。

2013-03-23 23:21:27
芦田宏直 @jai_an

結局、ここに立ち現れる〈自己〉と〈他者〉との関係は、長い時間によって形成された人格と人格との関係、あるいは思想と思想との関係ではなく、短い時間の神経症的な反応の応酬に過ぎない。

2013-03-23 23:24:04
芦田宏直 @jai_an

賛成(承認)と反対(拒否)とを加速度的に微分しながら積み上げていく、あるいは抽象的な自問を、「濃密手帳」の中に〈現在〉を切り刻むように細かに、まるで科学者の観察記述のように書き込んでいく。極端な主観性と極端な客観性が共存できるのは、いずれも〈拡張された現在〉に定位しているからだ。

2013-03-23 23:24:24
芦田宏直 @jai_an

いずれも、「今、そう思う」というリアリティだけが自己確信、他者認知の基盤になっている。いずれも、どんなに感情的であっても、どんなに細微であっても〈現在〉というリアリティに定位している。

2013-03-23 23:24:42
芦田宏直 @jai_an

しかし、ヘーゲルは、〈今〉現在は、「存在しない」と言っていた。

2013-03-23 23:25:00
芦田宏直 @jai_an

「『今とは何であるのか』という問いに対して、我々は、たとえば『今は夜である』と応える。この感覚的な確信の真理を吟味するためには、簡単な実験で充分。この真理を書き留めておこう」とヘーゲルは議論を始める。続けて言う。

2013-03-23 23:26:13
芦田宏直 @jai_an

真理というものは書き留めたからと言って消えて無くなるものではないだろうし、蓄えておいたからと言って消えて無くなるものでもあるまい。その上で、今この日中にその書き留めておいた真理をもう一度眺めてみよう。そうすれば、それが気の抜けたものになっていると言わざるを得ない」『精神現象学』。

2013-03-23 23:26:44
芦田宏直 @jai_an

しかし、今が「書き留めた」途端に今でなくなるのは、書く時点と読む時点とが分離しているからである。書き留める書き手が読み手を得るのは、かつては、清書されたり、発表されたり、印刷されたり、配布されたりした〈後〉でのことだった。その間に、今は「気の抜けた」ものになっていたのである。

2013-03-23 23:27:04
芦田宏直 @jai_an

しかし、もし発信が同時に受信であるようなメディアが存在するとどうだろう。発信が瞬時に共有(=消費)されるようなメディアが存在するとすればどうだろう。

2013-03-23 23:27:22