嘉納治五郎の柔道は武術武道に巨大な影響をあたえた件

嘉納治五郎の柔道は武術武道に巨大な影響をあたえた件まとめました。
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みんみんぜみ @inuchochin

結局、試合技術に優れた講道館の稽古法が各地方の柔術道場に取り入れられたり、子弟を講道館に入れたりして講道館が広まり、最終的にほとんど講道館柔道になった、というのが実際のところのようですRT @oono_n: 衰退しつつある柔術の現状を嘆いた嘉納先生が柔道を(略)古流柔術にも目が向

2013-03-27 13:23:44
大野典宏@ただの一読者 @oono_n

そんな混乱した状態が続くわけもなく。そして技術的に洗練された大系を持った柔道が警察や軍隊に採用されたという仮説はどうでしょう? RT @inuchochin 衰退していたのは明治ごく初期だけで、嘉納先生が講道館を立ち上げたあたりには警視庁で柔術が嘉納先生と無関係に採用されたり

2013-03-27 13:25:36
みんみんぜみ @inuchochin

おっしゃる通りで講道館が時代の要請にあっていて、試合技術も優れていたから他流も取り入れたんだとおもいます。 RT @oono_n: そんな混乱した状態が続くわけもなく。そして技術的に洗練された大系を持った柔道が警察や軍隊に採用されたという仮説はどうでしょう?

2013-03-27 13:39:58
みんみんぜみ @inuchochin

@oono_n 武徳会柔道が実質講道館柔道だったのも古流が衰退した原因かもしれません。

2013-03-27 13:25:06
大野典宏@ただの一読者 @oono_n

あー、これは確かにそうかも、ですね。 RT @inuchochin: @oono_n 武徳会柔道が実質講道館柔道だったのも古流が衰退した原因かもしれません。

2013-03-27 13:26:14
大野典宏@ただの一読者 @oono_n

この辺り、議論が別れるところでしょうね。私が知っている話は、嘉納先生が柔術を習い始めるまでに、かなりの苦労されたという逸話です。 RT @MasudaToshinari そのとおりですね。 RT@oono_n 当時、衰退しつつある柔術の現状を嘆いた嘉納先生が柔道を考案(略)

2013-03-27 13:35:20
みんみんぜみ @inuchochin

むしろ古流柔術が滅びかけた昭和末の話しじゃないのか?講道館の源流として注目されたとかは。資料がないからわからないけど。武徳会演武会で流派剣道形みたいに柔術の形は演武されたりしてたのかな?

2013-03-27 18:43:13
みんみんぜみ @inuchochin

東京ではたしかにそうだったんだとおもいます。特に江戸の武術師範は苦労していたでしょう。維新後は幕府や藩からの収入が無くなってるわけで RT @oono_n: ね。私が知っている話は、嘉納先生が柔術を習い始めるまで@MasudaToshinari そのとおりですね。

2013-03-27 13:43:29
ちていのき @baritsu

でも学校で古流を採用したら全く人気が無く授業受ける生徒がいなく、柔道はよ、と声が上がったって話もw RT @inuchochin: 実際明治や大正に講道館が来るまではどこの地方の柔術道場も栄えてた訳だし。

2013-03-27 18:11:27
みんみんぜみ @inuchochin

講道館はイメージも社会的ステータス有りますからねw RT @baritsu: でも学校で古流を採用したら全く人気が無く授業受ける生徒がいなく、柔道はよ、と声が上がったって話もw RT せみ 実際明治や大正に講道館が来るまではどこの地方の柔術道場も栄えてた訳だし。

2013-03-27 18:26:48
みんみんぜみ @inuchochin

講道館があったから古流が注目されたなんて事があったんだろうか?ほとんどの地方で講道館が来たら、若者は講道館始めて、古流師範なんかも自分の子供を講道館に入れたりした記録の方が多いんじゃないかな

2013-03-27 18:40:52
ちていのき @baritsu

明治30年頃の秋田の中学での話なんですが、既に撃剣で対校試合なんかが始まりつつあったんで、試合ができないとつまんなかったんでしょうね  RT @inuchochin: 講道館はイメージも社会的ステータス有りますからねw

2013-03-27 18:42:53
ちていのき @baritsu

「柔術が注目された」んでしょうね。そこで取り込まれる、あるいは自ら取り入れていく。「古流」は後に再発見されて立場を明確にしたのかと RT @inuchochin: 講道館があったから古流が注目されたなんて事があったんだろうか?

2013-03-27 18:49:14
みんみんぜみ @inuchochin

山形の至心流も明治はじめくらいに乱取取り入れたりしてますし、時代の流れですね。 RT @baritsu: 明治30年頃の秋田の中学での話なんですが、既に撃剣で対校試合なんかが始まりつつあったんで、試合ができないとつまんなかったんでしょうね 

2013-03-27 18:50:09
みんみんぜみ @inuchochin

なるほど。それなら納得です。 RT @baritsu: 「柔術が注目された」んでしょうね。そこで取り込まれる、あるいは自ら取り入れていく。「古流」は後に再発見されて立場を明確にしたのかと RT せみ 講道館があったから古流が注目されたなんて事があったんだろうか?

2013-03-27 18:51:05
みんみんぜみ @inuchochin

それは無いです。流派によっては投げがダメな流派もあったようですが。 RT @kanpeli: なんかの本で柔術は今で言う合気が出来ないと投げる事略講道館には崩しがあって習えば誰でも投げが出来るようになるので人気だったと。本当に?と思ったけどツイート拝見すると本当だった?

2013-03-27 21:04:32
みんみんぜみ @inuchochin

まあ、レベル低い乱取しかやってなくて柔道に完敗、という話もたくさんあるから講道館の支部任される人がそんじょそこらの古流師範より乱取強かったのは確かなんだろな

2013-03-27 21:06:29
ちていのき @baritsu

嘉納治五郎が「古流の師範は柔道だと4段くらいが多かった」とか書いてたような。乱取やる流派でそのくらいでしょうから苦手流派だとかなり… RT @inuchochin: まあ、レベル低い乱取しかやってなくて柔道に完敗、という話もたくさんあるから

2013-03-28 02:13:12
みんみんぜみ @inuchochin

思ったより結構高評価ですね。4段がどれくらいかわかりませんがw RT @baritsu: 嘉納治五郎が「古流の師範は柔道だと4段くらいが多かった」とか書いてたような。乱取やる流派でそのくらいでしょうから苦手流派だとかなり… RT せみ: 柔道に完敗、という話

2013-03-28 07:00:17
我乱堂 @SagamiNoriaki

昔の四段って凄くないですか? @baritsu:嘉納治五郎が「古流の師範は柔道だと4段くらいが多かった」とか書いてたような。乱取やる流派でそのくらいでしょうから苦手流派だとかなり… @inuchochin:まあ、レベル低い乱取しかやってなくて柔道に完敗、という話もたくさんあるから

2013-03-28 07:55:55
みんみんぜみ @inuchochin

しかし組技や乱取的な技が主体でない流儀(東北の流派とか高木流とか)は嘉納師範的にどんな評価だったんでしょうね?? RT @baritsu: 嘉納治五郎が「古流の師範は柔道だと4段くらいが多かった」とか書いてたような。乱取やる流派でそのくらいでしょうから苦手流派だとかなり…

2013-03-28 07:01:59
ちていのき @baritsu

それは別枠で評価したんじゃないでしょうかね。磯正智にしても「乱取はあまりだけど形は名人」みたいに言ってるし、あの人は常に二面的な所があるんで一つの事で絶対評価は下さないような気もします RT @inuchochin: しかし組技や乱取的な技が主体でない流儀

2013-03-28 17:25:00
ちていのき @baritsu

言った年代がわかんないのでなんともですけど、4段が100人超すのは大正8年なんで相応の実力と見てはいたようです。 RT @SagamiNoriaki: 昔の四段って凄くないですか?@inuchochin:

2013-03-28 17:16:19
ちていのき @baritsu

どこ基準かで違いそうですね。大正昭和になると拡大速度、少年小説等での出現(現代モノで使い易い)で言えば柔道でしょう。しかし所謂武士道的な風潮からは剣道、だけど実用ではせいぜい軍と警察ですし。 本の出版数辺りから見始めても面白いかもですねRT @dainihonhistory:

2013-03-28 17:50:07
NT @dainihonhistory

@baritsu 小説なんかを入れると、そうかもしれないですね。柔道の人口は1930年に入るとグンと伸びますしね。仰るようにどこを取るかで大分変わりますし、酒井先生がこの分類で何を言おうとしたのかがポイントではあります。

2013-03-28 18:11:09