嘉納治五郎の柔道は武術武道に巨大な影響をあたえた件

嘉納治五郎の柔道は武術武道に巨大な影響をあたえた件まとめました。
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みんみんぜみ @inuchochin

嘉納先生と言えば、形を演武して解説していたら「引っ込めー、早く試合を見せろ!」と野次られて苦笑いして試合を始めたとかいう逸話(本当か知らんけど)が印象深い。柔道古式の形は合気道の技や形稽古と思想がかなり近い気がする。

2013-03-28 08:15:24
我乱堂 @SagamiNoriaki

それ確か富田常雄の回想だっけ RT @inuchochin: 嘉納先生と言えば、形を演武して解説していたら「引っ込めー、早く試合を見せろ!」と野次られて苦笑いして試合を始めたとかいう逸話(本当か知らんけど)が印象深い。柔道古式の形は合気道の技や形稽古と思想がかなり近い気がする。

2013-03-28 08:19:07
大野典宏@ただの一読者 @oono_n

確かに。そして今のブラジリアン柔術も無かったわけですし。 RT @mansuku: サンボもないよね。 “@oono_n: 本土空手と合気道は嘉納治五郎先生の後押しが無ければ今の姿は無かったと思います。 RT @inuchochin: 講道館柔道が無かったら…というifを考える

2013-03-28 07:54:46

団体と分裂

石和¥@ 「ブラックマーケットでした」 @itsaYork

@oono_n @inuchochin メジャーになりたければ、捨てなくてはいけないものが多すぎます。柔道は余りにも特殊な成功例かと。弊害がないとは、もちろん言いませんが。

2013-03-27 13:34:08
大野典宏@ただの一読者 @oono_n

日本拳法は、武道の普及にとっては最も重要な初期の段階で流派の分裂を止められなかった組織上の問題もあります。確かに、今以上の安全性を考えたら、試合のルールはさらに限定されますね。 RT @itsaYork: @oono_n @inuchochin

2013-03-27 13:41:51
大野典宏@ただの一読者 @oono_n

いや、協会は。。。松濤館流の組織ですから、他の三流派のことを抜きにして本土空手を語ることはできないでしょう。 RT @itsaYork @oono_n @inuchochin 伝統空手の場合、協会が柔道でいう講道館でしょうか。

2013-03-27 13:48:20
石和¥@ 「ブラックマーケットでした」 @itsaYork

@oono_n @inuchochin 琉球本土では、またいろいろ意見があるようですし、4流派でも不協和音が出続けてたり。ソフトランディングを目指したところで無理なんです。講道館の成功は特殊な例。剣道は詳しくないので省略(小学生時代に3級)。

2013-03-27 13:58:40
大野典宏@ただの一読者 @oono_n

流派の分裂って百害あって一理無しなのですが、武道家は主張が強いので、どうしてもこの流れは止まりませんね。日本拳法も、日体協への加盟という課題を前にしてやっと再統一されたくらいですから。最近では、養親館合気道の分裂が凄い状態でした。

2013-03-27 14:17:17
石和¥@ 「ブラックマーケットでした」 @itsaYork

@oono_n @inuchochin 伝統空手の場合、協会が柔道でいう講道館でしょうか。いろんな意味で一枚岩ではないので、なかなか大変だったようですが。柔道の裾野の広さ、層の厚さ、練度の高さ、学べる場の多さは群を抜いています。個人的には、向いてなかったですが(白帯)。

2013-03-27 13:43:07
大野典宏@ただの一読者 @oono_n

この点は同意します。とある町道場で考案された武道が世界規模のものになったという例は、他に例を求めるとしても、しいて言えば合気会くらいでしょうか。 RT @itsaYork @oono_n @inuchochin 4流派でも不協和音が出続けてたり。講道館の成功は特殊な例。

2013-03-27 14:05:21
大野典宏@ただの一読者 @oono_n

流派の分裂って百害あって一理無しなのですが、武道家は主張が強いので、どうしてもこの流れは止まりませんね。日本拳法も、日体協への加盟という課題を前にしてやっと再統一されたくらいですから。最近では、養親館合気道の分裂が凄い状態でした。

2013-03-27 14:17:17

嘉納治五郎と合気道

大野典宏@ただの一読者 @oono_n

戦後の爆発的な普及に関しては、嘉納先生の影響無くして語れないでしょう。 RT @inuchochin: 合気道への嘉納先生の後押しは空手に比べればずっと小さい -略- 富木先生や望月先生のように嘉納先生経由で入門して師範となった人もいますが、戦前はむしろ軍や財界、宗教経由

2013-03-28 07:38:33
大野典宏@ただの一読者 @oono_n

もちろん、合気道の普及は嘉納先生だけではなく、植芝吉祥丸先生の努力によるもののほうが大きいのですが。

2013-03-28 07:39:40
みんみんぜみ @inuchochin

戦後の普及も合気会が財団になり大学の部活を作り、財界の援助を受けた塩田先生が東京各地に道場を作った、藤平先生が独自に活動されたり、健康法関係から広まったり、と講道館はあまり関係してません。 RT @oono_n: 戦後の爆発的な普及に関しては、嘉納先生の影響無くして語

2013-03-28 07:47:30
大野典宏@ただの一読者 @oono_n

講道館ではなく、嘉納先生が合気道の価値を認めたこと、それを公言したことが重要でしょう。その影響で各人が動いた結果、今の姿になったのだと解釈しています。 RT @inuchochin: 戦後の普及も合気会が財団になり -略- 講道館はあまり関係してません。

2013-03-28 07:52:06
みんみんぜみ @inuchochin

ただ、そもそもの大東流が講道館への対抗技法や講道館が捨てた技術で構成されているという説があったり、武道という考え方自体が嘉納先生の影響が大きいなど、講道館が無かったらそもそも合気道も無かったとは思います。RT @oono_n: 戦後の爆発的な普及に関しては、嘉納先生の影響無くして

2013-03-28 07:49:58
大野典宏@ただの一読者 @oono_n

全くそのとおりだと思います。 RT @inuchochin: ただ、そもそもの大東流が講道館への対抗技法や講道館が捨てた技術で構成されているという説があったり、武道という考え方自体が嘉納先生の影響が大きいなど、講道館が無かったらそもそも合気道も無かったとは思います。

2013-03-28 07:52:53
みんみんぜみ @inuchochin

そのあたりの話は「植芝盛平と合気道」「武田惣角と大東流合気柔術」「戦後合気道群雄伝」あたりを読むと面白いですね。富木先生の本や望月先生の「道と戦を忘れた日本武道に喝」ももちろん面白い。あとは「合気道開祖植芝盛平伝」とか。

2013-03-28 07:54:31
みんみんぜみ @inuchochin

以前は嘉納先生の発言(真の柔云々ですか?)は知られて無かったみたいですが。私が書いたとおり、健康法(二木謙三先生)や宗教経由の人の方がずっと多いですよ。 RT @oono_n: 嘉納先生が合気道の価値を認めたこと、それを公言したことが重要

2013-03-28 08:00:11
我乱堂 @SagamiNoriaki

惣角の活動は明治30年代からで、昭和には英名録かなり溜ってたはず RT @inuchochin: 以前は嘉納先生の発言(真の柔云々ですか?)は知られて無かったみたいですが。私が書いたとおり、健康法(二木謙三先生)や宗教経由の人の方がずっと多いですよ。@oono_n: 嘉納先生(略

2013-03-28 08:04:34
大野典宏@ただの一読者 @oono_n

あの、戦後の普及に関しては、嘉納先生の影響もありますが、吉祥丸先生の努力のほうが大きいと前のツィートで書いています。嘉納先生と合気道とが影響していたという事実のみを指摘しています。 RT @inuchochin: 以前は嘉納先生の発言(真の柔云々ですか?)は知られて無かった

2013-03-28 08:06:32
みんみんぜみ @inuchochin

戦後の爆発的発展は、嘉納先生の影響云々と書かれていたので。わかりました。個人的には合気道の成立はともかく、普及に関しては嘉納先生の発言はほぼ関係無いと思います。そもそも例の発言が本当にあったかどうかもわからないのですから。 RT @oono_n: 嘉納先生と合気道とが影響してい

2013-03-28 08:11:35
大野典宏@ただの一読者 @oono_n

あ、私も誤解されるような書き方をしてしまっていました。でも、合気道の本には、嘉納先生の例の発言が何かと引用されているのは事実なので。合気道の側が普及させるにあたり、嘉納先生に頼ったという感じなのかもしれません。 RT @inuchochin 戦後の爆発的発展は、嘉納先生の影響云々

2013-03-28 08:16:05