《追加の避難指示ができなかったのはなぜだろう?》

原発事故が深刻化する中、原発から半径20キロの避難指示の後、追加の避難指示が出ませんでした。その理由について、推測した自己ツイートをまとめてみました。
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

0 推測で書く。これから書くのは、原発事故にyよって放出された放射性物質によって広域に汚染された東日本で、国家が、県が、自治体が、科学者が、遠隔地への避難を言わなかったのはなぜか、という話だ。繰り返すが、これは推測だ。しかも、善意に基づく推測だ。悪意の人がいないとして、書く。

2013-03-28 21:02:52
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

1 原発事故発生直後。東京電力は、いかにして状況を押さえ込むかに集中してしまった。状況を押さえ込むことができない中で、住民の避難とか放射性物質からの住民の防護とかを考えることは、東京電力の本社社員、役員にとって、優先順位が下だったのだろう。

2013-03-28 21:05:10
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2 何しろ、日本では起きないはずのメルトダウン(炉心溶融)が起きている気配が濃厚だった。それが水蒸気爆発につながりでもしたら、被害はチェルノブイリ級になる。そしておそらく、目の前にある緊急性が高い原子炉のことに注意が向き、他の炉や燃料プールの話も、後回しになった。

2013-03-28 21:07:26
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

3 事態は当初、老朽化が著しい福島第一原発1号機と2号機の原子炉を中心に考えられていた。この2つの原子炉は、小規模な事故もトラブルも頻発し、作業員の被曝線量も平時でも他より高いという、危険性が認知されている原子炉だった。

2013-03-28 21:09:37
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

4 そしていよいよメルトダウンが起きているのは避けられないという判断ができた時点で、官邸からの3キロ避難指示が出た。福島県が出した2キロ避難は、原子炉の状態よりも放射性物質の外部での検出ででた指示だったのだろうと、私は今推測している。東電社員家族は既に避難行動をしていた時点だし。

2013-03-28 21:11:59
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

4 原発敷地境界線での放射線量が高くなった頃、半径10キロに即時避難指示が出た。これは、事前のマニュアルにはない。3キロから10キロに住む住民を即時避難させるマニュアルなど、だれも準備していない。日本でのメルトダウンはありえないはず、という前提のマニュアルなのだから。

2013-03-28 21:13:56
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

5 どうやら、政府は3キロ範囲の住民の避難が完了したという間違った連絡も得ていたらしい。そこで、その外側の10キロの住民に避難指示を出しても、何とかなると思ったのだろう。実際には高齢者や津波被災者、看護や介護が必要な人などが取り残されていたのだが。

2013-03-28 21:16:19
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

6 10キロ避難指示が出た後は、その前の範囲である3キロ圏内の人を避難させるための追加の措置が止まってしまったように思える。そこにはまだ、かなりの数の人が避難できずにいたのに。地震・津波による通信方法の喪失が、この後も避難を妨げることになる。

2013-03-28 21:18:22
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

7 3月12日15時36分。東電福島第一原発1号機爆発。その知らせはまず、マスコミ関係者同士の間で共有されたようだ。ここで、重大な齟齬が生じる。爆発の事実を得たマスコミは、社会に重大な不安を与えるニュースを、自らの判断で流して良いものかどうか、躊躇してしまったのだ。

2013-03-28 21:21:24
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

8 結果として、爆発の第一報が流れるのが大幅に遅れてしまった。もし、爆発の映像が生放送で流れたのなら、10キロ以遠の住民も、避難にすぐに入ったかもしれない。しかし、爆発から1時間以上経過した後で爆発のニュースが流れたので、判断をニュースを流した側に預けてしまった感が残る。

2013-03-28 21:24:11
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

9 1号機爆発の映像を流したマスコミの多くは、事故を過小評価して国民の同様を押さえることに配慮の重点を置く「専門家」ばかりが出演していた。「専門家」は「落ち着いて行動を」という趣旨のことを繰り返した。むしろ、アナウンサーやキャスターのほうが警戒を呼びかけていた気がする。

2013-03-28 21:26:37
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

10 「落ち着いて行動を」というのは、実は報道に携わる人が災害に関して報道する際のマニュアルどおりの論調だったことは、確認しておくべきだろう。11日の地震津波の際にも、状況に相応しくないのんびりさで「おちついて行動してください」を繰り返したのは、そういうマニュアルだったからだ。

2013-03-28 21:28:33
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

11 地震で相当の人数が死傷し、津波で「落ち着いて避難」した為に多数が死亡した後の12日になっても、マニュアルの間違いを見直すゆとりは報道機関にはなかった。12日朝のテレビの報道映像を随分後で見て驚いた。

2013-03-28 21:31:53
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

12 福島県相馬市の、集落ごと流され、一面を水が覆っている上空を、12日朝にヘリで飛んで「ここは元々、こういう海岸線だったのかも知れない」などというリポートを放送していたテレビ局もあった。津波被害の大きさを、記者が共有できていなかったのだ。

2013-03-28 21:34:06
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

13 1号機爆発の後も、おそらく報道機関の組織全体で危機感を共有する場もなく、得た情報をゲストの「専門家」と一緒に垂れ流すことしか、報道機関にはなかった。一方で、総務や人事の部門では、JCO事故に基づくマニュアルが発動し、社員を40キロまたは50キロの基準で退避させる指示が出た。

2013-03-28 21:38:37
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

14 JCO事故の際、臨界事故の危険性を知らずに事故発生直後に危険な範囲に記者が入って被曝した報道機関があった。その「教訓」から報道各社は、それぞれが原子力事故の際には、社員を一定の距離退避させる規則を作った。基準は各社独自だが、40キロ、または50キロの社が多かった。

2013-03-28 21:41:19
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

15 原発の爆発は、間違いなく原子力事故だと、各報道機関は判断し、マニュアルを発動させた。内部の規則だから、細部にわたっては私も知らないが、東京の事務所所属で期限付きで配属されていた女性キャスターたちも、東京に避難するよう呼びかけられたようだ。福島県のテレビ画面には男性が映った。

2013-03-28 21:44:35
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

16 あえて名前は書かないが、その中で一人だけ踏みとどまって画面に出続けた女子アナウンサーが福島県の民放テレビにはいた。女氏アナウンサーが抜けた穴を、役員になったり営業に回ったりしていた男性アナウンサーが埋めた。

2013-03-28 21:46:58
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

17 こちらはあえて名前を書くが、KFBの寺尾さんがアナウンサーとして画面に現れたときの、懐かしさと安心感は今でも覚えている。「この人が読むニュースは安心して聞ける」と思った。裏を返すと、彼より若いアナウンサー陣は、やはり少し浮き足立って見えていたのだろうと思う。

2013-03-28 21:49:29
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

18 爆発の後、どうしても情報が東京経由になった。福島県内では、この事故を地元で解説できる人材が画面にも音声にも出てこなかった。しかし東京から聞こえてきた話は、例の官房長官の白々しい談話と、起きた爆発が何かを説明できずに「今後の情報を待たないとわからない」という「専門家」ばかり。

2013-03-28 21:52:06
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

19 そして、官邸からの避難範囲指示は「即時20キロ」という、事前の防災マニュアルには全くなかった広さになった。避難する側にとっても、受け入れる側にとっても、事前の準備も避難所への通知体制もない避難が始まった。この避難で、懸念された事態が起きてしまったのだ。それは避難時の渋滞だ。

2013-03-28 21:59:33
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

20 この3月12日の避難行動の際、福島県相双地区から避難に使用されたのは、主に自家用車だった。それは、マニュアルで使用することが考えられたバスが、十分な台数、手配できないからだった。しかし、不足しながらも避難に使用されたバスが目の前を通過するのを見た人たちがいた。

2013-03-28 22:02:56
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

21 20キロから外の人たちは、バスが自分たちの家の前を、さらに遠くまで運んでいくのを、絶望感と共に見送ったと聞かされた。避難指示も出ていない。バスはもっと遠いところまで避難者を乗せていく。自分たちの周りの学校や体育館には避難者を降ろさない。「『見捨てられた』と思った」と聞いた。

2013-03-28 22:05:25
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

22 原発から半径20キロまでを強制避難指示区域にした。ところが、海岸から西に向かう道路は、自家用車を中心とする避難者の車列で、信号もないのに前に進めないという、田舎では殆ど経験することもない渋滞が発生した。避難者たちには、避難途中の注意事項などは伝達されていなかった。

2013-03-28 22:08:17
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

23 避難指示区域の人たちは、20キロまたは30キロ以上離れた場所で、計画もなく緊急に接地された避難所に、何とかたどり着いた。災害の直後、災害が直接降りかかっていない地域では、日本では「絆」が良い形で発動する。避難先の住民は、物資を持ち寄り、支援の手を伸ばした。

2013-03-28 22:10:57