- L_O_Nihilum
- 1083
- 0
- 2
- 0
ギルガメッシュさんの前で、フィーナ姫とツイッター上で会いたいみたいなコトいってた僕だけど、ギルガメッシュの予告通り自分が演じることになってるなあ
2013-04-04 23:04:43そして、僕はその思考の故「成りきるたんびになりきられる側がなりきりであることを否定しようとしている」ことを実感している
2013-04-04 23:05:13逆ゴーストの条件なんだよな ゴーストの条件は、メタゲーム、つまり言語ゲーム上の存在としての<キャラ>たるテクストが、クラウド的な所謂「噂」によってイメージを拡散して行く事=生としてキャラクターの生命を考えるけど(ていうかそもキャラ=死が無いOr死しかないって言う教養屋の真似)
2013-04-04 23:06:31ウチの感じていることは逆だ。キャラクターは、キャラクターとしてイメージされ、そうイメージされ続けることによって、そのイメージとキャラ自身拮抗し続けることで、(つまり人にイメージされることで、且つそうでありながら)却って”キャラの側が”人のイメージの方を破壊していく
2013-04-04 23:07:56そして最終的にはキャラ自身が、なりきろうとしたり、描こうとしてる人当人の思考や思想すらも乗っ取ってしまう。ゴーストが遊離してふわつくものだとしたら、僕にとってそのゴーストは、憑依し、肉体を得て、<固有名>へと遁走し続ける
2013-04-04 23:09:10勿論、脱構築的に、キャラを知らない人がこれをやると逆にゴーストの条件の考えと一緒になるけど(つまり、あまりキャラを知らないでそのキャラを描く…そのキャラに導かれる。そのキャラは当原作のキャラとはノットイコール∧多数のイメージとニヤリーイコールだから)。
2013-04-04 23:11:49「多数のイメージのニヤリーイコールに」描かれたキャラが享受者に憑依し拡散していくならゴースト的。
2013-04-04 23:12:19つまり二次創作が総て的な議論になっちゃう、なりやすいってこと ていうか確実に「クラウド的二次創作」という言い方をしている さらに「ゴーストの条件」だ。キャラ生成をクラウドという不特定性のキャラ性(濱野のアレ)、個々ではなく多数、社会に依拠させて、中心化してる
2013-04-04 23:14:15その時、フィーナなりきり企画のようなキャラ自身の自己追究の可能性を疎外している(※否定ではないのでカオスラウンジらの思考とも一致しない。だがああいう思想に非常に利用しやすく作ってあることは言うまでもない)
2013-04-04 23:15:09藤島の思考ってのはコレね。黒瀬あたりもよく言うけれど。こういう思想に非常に有利ってこと。(まあ宇野の雑誌のなかで村上裕一自身がこの部分に異論を唱えてはいたけど…ツールではなく仏像、仏像自身の仏閣化、その生成という言い方で) http://t.co/rIe9ph9mE9
2013-04-04 23:22:34誰一人としてセイバーにもハルヒにも出会ったことが無いから今の批評は通じる。だが、それはあくまでキャラを虚構と決めつけたときにしか成立しない 彼らにとってその世界で起きるあらゆることは現実だ よって嘘と本当が彼ら自身の中にさえある
2013-04-04 23:24:33どこに落ち着くかなんだよな キャラ、つまり外世他者の、表象の表象、か、表象なのか。外世他者→外世他者表象→外世他者表象のゴースト的表象、このゴースト的表象との対話交流可能性がゴーストの条件だけど
2013-04-04 23:33:50僕の考えは実感のうえでは逆になっている。存在の順序はつねに「外世他者→外世他者表象→外世他者表象拡散表象」であるが、それゆえ、外世他者自身は、外世他者表象そのまた表象から己へと逆行を自ずから促す
2013-04-04 23:34:55あとゴス条は序盤で、バフチンにつなぐかもよ?とチラチラバフチン持って来て於いて終始バフチン持ってこないままその著書の筆記を終えている。コレ面白いなあと思った。何故なら、バフチン的なポリフォニー上の対話が実現するためにはキャラが立ってないといけないから
2013-04-04 23:36:06キャラが立っている時、バフチンはコレを「イデエ」って呼ぶのです。作品全体の帯びる雰囲気としてのキャラの立ちの事を「大きなイデエ」、それに対して各種キャラの事を『小さなイデエ』ていう。で、その世界の代表(≒バフチンの分身)は、まさに大きなイデエをもったキャラとして出てくる
2013-04-04 23:37:19で、これらがお互いに自分たちの境界線無視しまくりながらポリフォニーにスマブラするっていう冒険的な、そして他者の相互侵蝕的な対話をこそポリフォニーって言ってるわけでしてよ
2013-04-04 23:38:03ソレ考えるとゴーストの条件はどう考えても逆バフチンというか、バフチンとは距離がある。だってアレは外世他者のイメージのそのまた拡散したメタゲームイメージ同士の対話だもん。そうすると話者当人ないしキャラ当人は消えてる。
2013-04-04 23:38:53キャラの方が、作者の見ている視座、つまり大きなイデエ、なりきり手の大きなイデエっていうのを超えて行き冠を奪う。それで初めて「キャラが立つ」「キャラが動く」ていう言い方をするわけで、「作者からのキャラの遊離」って言う。
2013-04-04 23:41:18キャラクターがそのように動いたのは、作者がそう展開を書いたのではなく、寧ろ作者のほうがキャラクターに動かされているんだ、っていうのは実際のところそういう意味。外世他者表象を外世他者自身が越えることを指す。
2013-04-04 23:42:06「キャラクターがそのように動いたのは作者ではなくキャラのほうに作者が動かされ…」的なところだけうわべだけ掠っといて、実際はキャラにキャラが動かされているメタゲームをキャラとし、生の空間と座定しただけ。コレはバフチンでもなんでもない(笑)
2013-04-04 23:43:20