【シューニャリアーナ批判論】システムとしてのわたしたち?
- L_O_Nihilum
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まあこの辺はそれこそ批評もいろいろ言ってるでしょうね 『そもそもああいうクラスタの人たちてそういう法みたいなの作ろうってことに批判的じゃん』→ 『でも仲良くしようって言う努力は出来ない?』 『出来っこねえよ大きな物語もねえくせに』『そのテの物語、なきゃイカンの?』
2013-04-07 11:44:57もしビジネス的な共同体というか、動員圏(ハーバーマスの公共圏が成り立たないって言うから動員圏とか言ってみるテスト)の創作の動機が経済的なものであるっていう囲い込みがおかしいのは、カオスラウンジに対する周囲の反応見れば一目瞭然では。
2013-04-07 11:49:58端折りながら言うけど、まず、まあ同人やネットコミュニティは公共圏というより動員圏であると。つまり、ネットというのは(2ch、ツイッター、ピアプロ、ニコ動等いずれも)話し合いを愉しむ場というより、湧き出る感情がぶつけられ合い、動的に世論を動かしていく運動の場であるよと。
2013-04-07 11:52:04そこでは何で互いが結びつく、文化内容の全く違う輩同士がくっつくのか。それは「キャラ」で結びつくからだ、とする(濱野)。つまり、2chでは彼らは誰でもなく「2chのキャラである」ことによって結びつくとする。ミクもこの点で同様。
2013-04-07 11:53:09結びつくために共通の「ネタ」が必要。ネタが無ければ叩きに移行する(一番違和感があるところだけどねw)。
2013-04-07 11:53:39結局のところ、結びつきの動因になってるモノ(ミクとか東方とかアイマスとかとか)を核として、連続的に生み出せる環境づくりをしている(つまり商売をしている、ビジネスをする)…つまりそれこそが目的であると。(ていうか企業の音楽産業とは別のかたちで産業が成り立ってるぞ論)
2013-04-07 11:55:34当然、「ビジネス化出来るよ!」と彼らがこのようにモデル化するからこそ、企業にいるビジネスマンもこれを利用しやすくなるんだけどね。ていうか、そういう提供者中心的な流れこそが一番問題なのね。
2013-04-07 11:56:16それを彼らの目的にしちゃおうという発想。設けないと曲つくれないんだから、それ考えたらどう考えても創作の「手段」でしょ?手段を目的にすり替えさせる魔力が産業化、システム化にはあって(ルーマン的なね)。
2013-04-07 11:56:58だがそれが生み出す疎外的状況はカオスラウンジに対する動向でも明らかだったよね。カオスラウンジの活動は、基本的にさきに挙げた理論の集積を藝術で表現に移したもの。つまりネタがあってそのネタを組み合わせて遊ぶビジネスという。
2013-04-07 11:57:55その意味での「キメこな」とかだったわけよね。二次創作区別するなとか嘘さんが言ってたけどその実態は『区別できないよ?だからこそこれ自体をビジネス化出来る世の中作るんだよ?』ていう事
2013-04-07 11:58:34当然、その考え方には本能的に反発が来る(反発が来るということ自体がカオスラウンジをくっきりさせてしまう、みたいな言い方を「前田はキリストを超えた」や「虚構内存在」でも書くけどコレまた批評お得意の反則技)
2013-04-07 11:59:27ようめさん的な。エコロジー-経世済民的消費・生産(=享受と創作)⇔エコノミー-”経済”的消費・生産(ビジネス的な売買と生産) 書かれるシステム論はこうした二項構造につねにほだされる
2013-04-07 12:01:36ていうか、「ほだされる」て書くこと自体、「システム論がほだされる」というシステム論による記述になってしまいそれこそ上から目線と同罪に。
2013-04-07 12:02:00