- FukushimaKokugo
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福嶋隆史@ふくしま国語塾
@FukushimaKokugo
まあそりゃそうだよな。言葉が世界を作るのだから。言葉を持たない子の世界は、平坦で、色がなく、ぼんやりとしている。世界が「ない」に等しい。
2013-05-12 01:28:00
福嶋隆史@ふくしま国語塾
@FukushimaKokugo
言葉を持てば持つほど、世界は分節化され、色鮮やかなものになっていく。そんな世界で生きている子であればこそ、表現したいことも生まれるし、これだけは言いたいという主張も湧いてくる。
2013-05-12 01:30:54
福嶋隆史@ふくしま国語塾
@FukushimaKokugo
だからやはり、失敗を通して言葉の重要性を痛感する体験を与えることよりも、言葉というものがいかに世界を色鮮やかにするのかを知らしめ(すなわち言葉による成功体験を与え)、言葉による表現をしたくてたまらなくなるようにしむけることのほうが、大切なことなのかもしれない。
2013-05-12 01:39:48
福嶋隆史@ふくしま国語塾
@FukushimaKokugo
国語の授業とは、言葉による成功体験を与えるための時間である、ということだな。その成功体験が、さらなる成功を呼び込む。
2013-05-12 01:45:25
福嶋隆史@ふくしま国語塾
@FukushimaKokugo
そのためには、今日の昼に取り上げた日能研学びテストの誤った方針のような、「あなたなりの考えを書きましょう」などという拡散授業をしていてはいけない。教師は意図的に、子どもたちが成功するように導かなくてはならないのだから。
2013-05-12 01:49:23
福嶋隆史@ふくしま国語塾
@FukushimaKokugo
自分なりの考えなどというものを持っていない子どもたちに、自分なりの考えを書かせてもしかたない。自分なりの考えを生む、その前提には、言葉の力が必要不可欠。その力、その技術を与える授業を、教師は仕組まなければならない。
2013-05-12 01:52:16