ジュディス・バトラーの名誉博士号授与挨拶から考えたこと

まとめました。
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kazukazu88 @kazukazu881

バトラーの名誉博士号授与の挨拶だけど、テーマは現代において大学で人文科学を学ぶ意義について。Judith Butler, DLitt - McGill 2013 Honorary Doctorate Address http://t.co/Ust6coJSKJ!

2013-06-02 16:44:51
林 信長 @H_Nobunaga

バトラー、人文科学を大学で学ぶ意味について、今ここにいる自分の「今」や「ここ」から離れて自分が経験したことのない時代や事象に触れることで「脱−自分」をし、またそこから自分を反省してみることができる「批判的精神」が大事である、と。

2013-06-04 09:43:36
林 信長 @H_Nobunaga

バトラーのいっていることって、アートやるにも政治やるにも、カントとヘーゲルをまずは勉強せよ、ってことだと思う。今の人文科学で基礎教育として哲学を教える分野はほぼなくなってしまった。カントやヘーゲルの思考が実世界とどう結びついているか、豊な形で語れる学者はますます少ない。

2013-06-04 10:02:20
林 信長 @H_Nobunaga

じゃあ、大学の教養でカントやヘーゲルを思考の「原理」として体系的に教えればいいのだろうか。僕はそうは思わない。そういうことで「原理」を学べるのは、最初からカントやヘーゲルを学ぶことにコミットしている哲学専攻の学生だけだろう。

2013-06-04 10:06:41
林 信長 @H_Nobunaga

「原理」というのは不思議で、その必要性や重要性は後から遡ってしか発見できない。つまり、学生が自分の思考で社会に関して考え始めるようになった後にしか、カントやヘーゲルに「原理的」に出会うことはない。その逆ではない。だから人文科学を大学で学ぶことの大事さは前者にある。

2013-06-04 10:12:15
林 信長 @H_Nobunaga

本当の学習は、予防的な体系的学習ではなく、「必要」という衝撃に出会ってからの反省的遡行でしかうまれない。哲学や美学、果てはコンピュータのプログラム言語も、それを原理的に習得しようとおもったら、原理的に学ばざるを得ない「必要」にまず出会わないといけない。

2013-06-04 10:18:00
林 信長 @H_Nobunaga

今の大学における人文科学の教育が、本当に学生を学習へと追い込むような「必要」に出会わせているだろうか。よくできたとしても、「”反省的知性”に”いつか”必要なのだ、」と結局は知識を垂れ流すことで満足している教師がほとんどじゃないだろうか。

2013-06-04 10:21:46
林 信長 @H_Nobunaga

学ぶことは、起こるだろう未来の問題に対して知識を備えること、ではない。すでに起きている問題に対して自分がその場で態度を決めて取り組む態度と意志の問題であって、人が生きていく(問題を解決していく)ということはこういう意味だと思う。

2013-06-04 10:26:06
林 信長 @H_Nobunaga

ちなみに僕はこれをドゥルーズとガタリの著作から学んだ。彼らは必要に応じてしかモノを考えなかったし書かなかった(「ペンの先端で考える」と。)だからこそ、あれだけ広汎な分野に関して斬新な切り口で論じることができた。彼らは書きながら学んでいた。それが「学習」だ。

2013-06-04 10:31:32

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