「フェミ」だの「クィア」だの、言葉に頼ろうとせずに、自分の生を生きようよ。
性的弱者の議論は、大抵、論者を弱者に置き、対論者を罰するというフレームワークが存在してて、なんか不毛感がある。対論者が弱者ではないと言えるもんではなく、じゃ、どっちが弱者かという話で泥沼化する。
2013-11-04 10:25:17日本社会や、現状のイスタブリッシュメントや、年配層をバッシグする際、外部の理想論や現実論を対置するというのは、制度的な提言でないかぎり不毛だというのは30年くらい前に終わった話なんだが、今のネットでの蒸し返しにクラクラする。
2013-11-04 10:30:59人間というのは生きてる時代的なまた状況・段階的な拘束から十分に自由にはなれない。個人はどさくさでも生の欲する道を進んでみるしかない。そういう局面で思考にあまり意味がないことが多い。
2013-11-04 10:35:55人の、意識としての存在は、大きな動物的な無意識の上に浮かんでいて、その拘束・相剋というのは、思考や思想では容易に打破・解決されない。
2013-11-04 10:39:42自著で出来るだけ控え目に基調としたのは、自分というのは自分が思っているより動物的な存在だった、という、折り合いのような部分だった。
2013-11-04 10:42:18結婚や育児というのは、おそらく、と留保はするが、基底部分でかなり動物的な本能が発動する。その発動をどうordainするかは、人生の意味に近い。
2013-11-04 10:47:37仲間内ではそのことを「人間の動物力」と呼んでます “@finalvent: 人の、意識としての存在は、大きな動物的な無意識の上に浮かんでいて、その拘束・相剋というのは、思考や思想では容易に打破・解決されない。”
2013-11-04 10:47:46人間存在は動物的なものからの遠隔性としても捉えられるけど、では、と、再考したとき、それは、「知」ではなく、むしろ「知」は罠のように矛盾する。ではその相剋はというと、欲望の対立ではあるだろう。
2013-11-04 10:52:36finalventさんが動物性について話している。自分は非繁殖個体だなあ、と思う。非繁殖個体をまっとうするだろうかどうかといったほうに考えを向けると、ぐらぐらぐらつく
2013-11-04 11:03:23弱者が論点じゃないもんね、そもそも。"@finalvent: 性的弱者の議論は、大抵、論者を弱者に置き、対論者を罰するというフレームワークが存在してて、なんか不毛感がある。対論者が弱者ではないと言えるもんではなく、じゃ、どっちが弱者かという話で泥沼化する。"
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