月夜が導く哲学教室〜漱石・シェヰクスピア・大衆芸術〜
今宵は月が美しい。昔、かの夏目漱石が"I Luv U"を『月が綺麗ですね』と表現したそうだ。これはもちろん誤訳。月には、大文豪の心すらも惑わせる力があるのかもしれない。
2013-11-19 21:36:14心を惑わす月光の魔力と、人を愛(この場合は、エロースに相当)する事の相似を、あえての誤訳で表現する夏目漱石の想像力は、正に感服と言う他にないだろう。現代の我々が持つロゴスの価値観を越えた、奥ゆかしきペイソスを見事にメタ体現しているといえる。かくして漱石の訳は名訳となったのである。
2013-11-19 21:39:30しかしながら、有名な「吾輩は猫である」は、僕に言わせれば駄作であったと言えるだろう。あれは、西洋文学に明るい者であれば有名な劇団四季のショー、「キャッツ」の模倣である事は明らかである。当時は大衆の西洋感覚が鈍く(無論現代もだが)、このような模倣が名作となりうる事もさもありなん。
2013-11-19 21:41:28博識者ほど、大衆向けの陳腐な芸術では心を満たされなくなってしまう。一方、愚鈍であればあるほど、安っぽい模倣品にすら心を震わせる事ができる。果たして、より幸福なのはどちらなのだろう。月光が、より明るく照らしながら、僕にひたすら問いかけるのだ。
2013-11-19 21:43:35余談だが、私はこのように文学もある程度嗜んでいる。しかし、これに関してはまだまだ知識が乏しいと認めざるを得ない。それでも、一般教養として嗜んでいる程度の文学ですら、他の同世代の人よりも知識があると言うのが、実に嘆かわしい事であるのだが(苦笑
2013-11-19 21:46:11例えば、文学部であればシェヰクスピア、ディッケンズ、エンデ位は最低でも嗜んでおくべきだろう。これらは一般教養として、その一文が会話中に空でスラスラと出てきてしまう位でなければつらい。
2013-11-19 21:48:51(承前)特に本場での英語を用いたコミュニケーションでは、シェヰクスピアの一節が日常会話的に用いられる事もあり、これらの教養が無ければ、会話すら成り立たないという事態に陥ることもある。語学力はあって然りだが、このような西洋的感覚を身につける教養も欠かすことはできないのだ。 #英語
2013-11-19 21:51:36私は、小さい時から英才教育としてシェヰクスピアを英語で読んで聞かされたという。他の子どもが、有名なグリム童話やディズニーを聞かされていた頃の話である。当時は他の子どもと異なる事を不思議に思ったが、今となってはそのような境遇に心から感謝している。
2013-11-19 21:54:48あなたは自分が悪人ではないと証明できますか? "@datuzo: 佐々木さん、そこまで言うならカルトではないという理由を教えて下さい。"
2013-11-19 22:03:59私が昨日呟いた内容が、どうやら一部でアクセスを集めているようだ。大衆には難しい話だから期待していなかったが、これは嬉しい誤算。是非、この機会に哲学を勉強して欲しい。
2013-11-20 21:22:12哲学をただの衒学であると混乱した意見を耳にすることがあるが、それは大きな誤解。哲学とは我々すらも気づかない程の根底的思想を救い上げる営み。則ち、社会におけるサブレイヤーを明確化する作業なのだ。故に、選ばれた一部の人間のみが理解できる崇高さを持っている事は、ジレンマであるのだが。
2013-11-20 21:24:00私はラテン語を嗜んでいるのだが、この言語は実にインティレクチュアルな刺激を与えてくれる。英語だけを身につけようとすると、どうしても実学的な部分のみに偏重してしまい、その本質的目的を忘れがちだ。それは良くない。
2013-11-20 23:32:53確かにラテン語が実用的な言語か否かといえば、無論そうではないだろう。しかしながら、実用的・非実用的という区分は、あくまで現代社会の経済的文脈で恣意的に決定される。そのような審判の元に知性が育成されるはずがないのである。
2013-11-20 23:34:23真なる知性を得るためには、まず既存の社会的規範(ノゥム)から自身を逸脱させる必要がある。この時点で、凡庸と非凡の第一の審判がくだされる事となる。
2013-11-20 23:38:48第二の審判は、その後のインプット量で決まってくる。規範を客観的に分析する能力と否である。ここに至っては、経験と知識の絶妙なバランスが物を言う。この段階をくぐり抜ける事で、初めて世間一般では「天才」という称号が与えられる事となる。
2013-11-20 23:41:28そして第三の審判。ここで初めて、神性的な知性が問われる事となる。則ち、規範を超越した形而上的知性、「真理」を追い求め、追究する営みである。全感覚を駆使する事で、超越論的なイデアの実像を追究する営み。この辺りで、俗物一般からの理解が及ばない領域に達する。無論、私の思想もここに属す。
2013-11-20 23:44:01