SF『ブラインドサイト』を買いそうになってやめる。意識を持たない異存在という設定らしいが・・・唐突だがバロック哲学の要点は要は「意識と認識の完全ゼロ化様相」の問題だった。デカルト哲学の賭けはそのゼロに辛うじて一点の「意識」を残そうとする賭けだった。スピノザもその点では同じ・・・
2013-12-14 23:56:01バロック哲学の主題の一つである機会原因論を極限化すれば意識と認識の完全消去の位相が現れる。例えばスピノザの同時代人ゲーリンクスの哲学はそこに向かおうとするか・・・意識も認識もない所に於ける「エチカ」の可能性・・・ベケットはそれに注視する・・・
2013-12-15 00:00:55・・・唐突ですが、何が嫌いと言って、大人目当ての”児童文学”ほど嫌なものはない! 二十世紀の後半にその手の”児童文学”が増え始める・・・無論逆に、教訓チャップブックめいた”児童文学”も嫌ですが・・・
2013-12-15 13:20:24吉田健一翻訳詩集『葡萄酒の色』が岩波文庫で出たのは素晴らしい。末尾にディラン・トマス『ロンドンで一人の子供が火災で死んだのを悼むことに対する拒絶』・・・。吉田さんの癖の強い翻訳については色々言われるがともかく僕は大好きです。パトリシア・ハイスミス『変身の恐怖』のような訳でも見事
2013-12-17 13:05:23オルテガの『大衆の反逆』、その原書の叙述の高さはともかくこの本がどれだけ俗流大衆論の「正論派」に利用されたかを思うとヒステリーを起こしそうになる。オルテガ自身は「大衆」がグロスの惰性存在ではなくミクロな苦悶を抱えたそれ自身謎めいた錯綜態であることを明察していたと想像するが・・・
2013-12-17 19:34:16「すっと昔のこと、花々なんていうのは雨に濡れた家の壁の下でぺちゃくちゃざわざわ煩い連中なんて思われていて名もなかった頃の話、お姫様と下女が・・・」なんて始まる小説・・・ああ、邦訳があるのかと・・・ウォーの『ヘレナ』・・・
2013-12-18 10:23:41クローデルの戯曲『都市』はどんな風に訳されているのかと調べたら、意外なことに訳されていない? 思い過ごしでしょうが「保守右派的」と目される作家は何となく翻訳が敬遠されて行くような印象がある。マルローの後期の美術論も結局訳されないまま『反回顧録』も後半は未訳のまま訳される気配もない
2013-12-18 10:29:17或る知人に「マルローの美術論で・・・」と言い出したら言下に「マルローなんてまったく駄目ですよ、エリー・フォールの方が・・・」と言われ、しかし話すとどうもその人マルローの美術論を見た気配がない。ああ、ドゥルーズがそう言ってるからなのね、と納得。不毛な会話・・・
2013-12-18 10:32:58大岡昇平さんのマルロー美術論の感想「僕ら小説家にはこんな美術史の方が面白いが、マルローの美術論はどこか『大菩薩峠』とか、剣豪小説を読むようで、ちょっとゲップが出る」・これは的確な評ですね。まあともかく読んでる人の感想です。『大菩薩峠』みたいな美術史ってだけで凄いじゃないですか!
2013-12-18 10:38:23蓮實重彦『ボヴァリー夫人論』が来春出るのに先行して『新潮』に冒頭が載っている。それこそ数十年前に予告されて待ち続けていたもの・・で、まあ待ちすぎてちょっと食傷気味で、冒頭だけではむしろ「やっぱり」という既視感の脱力が先行してしまうが・・・しかし、出色の論考となることは疑いない・・
2013-12-19 10:51:13年末になると相変わらず詰まらないことに付き合わされ、例えばわざわざ僕に「アニメも芸術です」と言いに来るのがいて、いったいなんで「芸術」なんてもんにこんなコンプレックスを抱いているのか、その方が僕には不思議。「アニメは芸術だ」と言われると何か嬉しいんだろうか? ああ、無駄話。
2013-12-19 20:39:07トウェインの遺作『不思議な少年』の最初の出版は編者たちが大幅に刈り込み末尾に別ヴァージョンを接ぎ木した「インチキ」と言われ今では『不思議な少年44号』という作が「真作」として本国著作集でも採用されている。でも僕は原書でも邦訳でも最初の「インチキ版」の方がすっきりしていて好きです
2013-12-20 20:29:46・・・フーリエの『愛の新世界』はなるほど奇書だが、これが日本語に全訳されたことが「世界史的事件!」とか、まあ宣伝文句の冗談にしても、箸が落ちても銃撃しちゃうスネークみたいなビンボ臭い自己陶酔の空騒ぎは、ねえ・・・・
2013-12-21 12:07:52さすがに松岡正剛さんはフーリエのファランステールがアメリカ・マサチューセッツを中心に「実現」されたことを「事件」として記している。まあアメリカン・ファランステールは『愛の新世界』を「知らない」ことにおいて構築されていたにしても。因に今世紀に入ってその構築物はあらかた消えたという
2013-12-21 12:25:45・・・フーリエの世界は「愛」に「重力−実体」を移行させた「愛のニュートン力学」であり、と言うかフーリエは心底信念を以てそう考えていたのであり・・・
2013-12-21 12:30:23ヴォネガットの『猫のゆりかご』は周知のように「私の名はヨナ」で始まる。「まあ、サムであってもヨナだったのだ」みたいに続くわけだがサムはサムエルの英語呼び名、語義は「彼の名は神」、従ってこの冒頭は「仮に私の名が、神の名であってもヨナなのだ」ということになる。だから何だ、はともかく。
2013-12-22 01:05:38僕は大阪の東端の町の路地と言っていい場所に居て普段は全く外出しませんしパスポートも二十五年前に切れてます。この場所のそこらの2m四方の路肩の地面があればそこに僕は全歴史と知を詰め込んで眺めることが出来ます。ほとんど神秘主義的に聞こえるでしょうが、実に詰まらないことです。
2013-12-22 01:16:55僕はまったく才能と言うものに欠落した人間ですが、唯一の特技として、2m四方どころが1m四方もあればそこに空想上の一種のジオラマを構成出来る・・・ということは特技だと思うことがあります。もっともこのジオラマには魅力というものが完璧に欠けてますので、人に説明することはありませんが
2013-12-22 01:21:37紀の山奥の寺の近くの森林の一隅に都を「のぞんで」焼身自殺した僧侶の場、みたいなのがあります。別に何か特に祀られている訳でもなく1m四方ほどの苔石が置かれているだけのことです。これもまた一種のジオラマ方陣である訳で・・・キャッツ・クレイドル方陣を成す・・・と言えば過剰美化でしょうが
2013-12-22 01:34:33ああ、別に今ヴォネガットの『猫のゆりかご』を再読しているわけではありません。水をこぼしてボロボロになってしまったその文庫本を今捨てようとしていたところで、英語原書をちらっと確認しただけのことです。ボコノン教なんてのを久しぶりに思い出し・・・・
2013-12-22 01:38:21私事。バイク用手袋を多いかなと思うほど持っているのですがこれには切羽詰まった理由があって、僕は片道80kの通勤に使うので雨に降られると片道一双で行き帰りで二双、翌日は乾かないので別口が最低でも一双必要、ってな訳でだんだん増えて来てしまう。冬はもっと大変・・・というわけです・・・
2013-12-22 10:44:36・・・さすがに十二月に入ると見ませんが、十一月には未だ山上のPAで紋白蝶を見ることがあります。六甲は寒いので、これは明らかに間違って孵化してしまった個体でしょう。この全く無意味な状態で孵化した個体は立派に花を探し回りますが、初冬の花は蜜を提供するのか、ぼんやり観察・・・
2013-12-22 10:53:34